第57話 アラブの流儀

 サイードがフランス国内でテロ活動に手を染めるようになるのに、それほど時間はかからなかった。

 彼の理不尽を聞きつけたアラブの同志たちが身の回りに出没するようになり、その不平不満を何時間でも、何日間でも聞いてくれたのだ。

 彼らはサイードに共感し、慰め、いたわってくれた。


 やがてサイードは彼らの主張に真剣に耳を傾けるようになる。


 そもそもなぜ自分たちは先祖代々の土地を追われ、異国でこんな酷い目に遭っているのか。

 ――アメリカやフランスが、無辜の市民を無差別攻撃し、故郷が戦場になったからだ。

 なぜアラブ人というだけでこんなに差別的な扱いを受けるのか。

 ――彼らがキリスト教徒で、ムスリムを敵視しているからだ。それが証拠に、ここフランスではブルカの着用が禁止されている。「信仰の自由」などというものは嘘っぱちだ。

 なぜ欧米は中東に軍事介入を続けるのか。

 ――それは我々の土地の豊かな恵みを狙っているからだ。武力で強引に富を奪い取り、本来その恵みを享受すべき我々は虐げられ、蔑まれている。ならばこちらも武力で対抗するしかないではないか。

 大切な家族を守るためには、侵略者どもに正義の鉄槌を下し、思い知らせてやらなければならない。


 最初は、単なる連絡係だった。


 ほどなくして、地下鉄が止まった。朝の出勤時間帯だったから、駅は大混乱だった。

 サイードの繋いだ情報で、作戦が上手くいったと組織の幹部に褒められた。


 次もまた、連絡係だった。


 今度は教会で発煙弾が爆発した。もちろん死傷者は出なかったが、日曜礼拝は台無しになった。サイードは、フランス人どもが右往左往するのが楽しくて仕方がなかった。


 そうこうしているうちに、弟を襲撃したと思われる右翼グループの若者数人を偶然見つけることができた。

 組織の幹部に相談したら「目には目を」だと言われた。イスラムの流儀を教えてやれ、ということだ。

 同志たちが何人か、一緒にやってくれると申し出てくれた。

 サイードは最初、暴力に訴えることに躊躇いを感じていたから、そのことを素直に組織に相談した。

 そうしたら、「別に殺すわけじゃない」と言われ、心が楽になった。そうだ。少し痛い目に遭わせてやるだけだ。弟を侮辱され、何も出来ない兄貴なんて、アラブの男じゃない。


 襲撃は深夜、連中がいつもたむろしている店を出た時だ。


 予定通り出てきた男たちは、みなスキンヘッドでナチの赤い腕章を着けていた。

 実を言うと、本当にこの連中が弟を襲った張本人たちかどうかの証拠は一切なかった。ただ、格好が一緒だったというだけだ。相当酔っぱらっているらしく、足許がフラフラしている。

 堕落した連中だ。ムスリムは酒を飲まない。真犯人かどうかはこの際どうでもいい。この時点で制裁に値するじゃないか。


 人通りのない路地に連中が入っていくと、仲間と一緒に至近距離まで近づき、一斉に鉄パイプで襲い掛かった。

 酔ってフラフラの三人に、七、八人の同志が襲い掛かって滅多打ちにした。弟と同じ恐怖を味わってもらおう。


「うぉらぁ! 何じゃあオマエらぁぁ!」


 ネオナチどもは口々に悪態をついて反撃しようと試みたが、多勢に無勢だった。

 サイードは、リーダー格の男の頭部を何度も何度も鉄パイプで殴りつけた。気が付いたら、手に持った鉄パイプが完全に折れ曲がっていた。

 その時、「目には目を」というフレーズが再度頭に浮かぶ。

 弟はあの襲撃が原因で半身不随になってしまったのだ。脊髄損傷のせいだ。だったらこの大男にも同じ苦しみを味わわせてやる。

 サイードは地面に転がる男を蹴り飛ばし、うつぶせにさせた。そして首の後ろを力いっぱい折れ曲がった鉄パイプで叩きのめしたのである。


 その後、血塗れで横たわる三人を放置して逃げ帰った。



 翌日、組織の幹部にお昼をご馳走になった。

 「これでお前も一人前の戦士だ」と言われた。幹部から、あのネオナチのリーダー格は首から下が完全に麻痺したらしい、という話を聞いた。

 サイードは気分爽快だった。


 だが、もう一人は死んでしまったと聞いてサイードは動揺した。

 自分ではなく別の同志が叩きのめした奴だから、自分が殺人を犯したわけではないと言い聞かせたが、言ってしまえば「同じ犯行グループ」である。

 滅茶苦茶に打ち据えられ、血塗れで「悪かった、見逃してくれ」と命乞いしていたあの坊主頭たちの表情がふと浮かぶ。


 だが、組織の溜まり場で、皆が口を揃えて「お前は凄い」「さすがだ」「大したもんだ」と声を掛けてくるから、サイードの感情は次第に麻痺していった。


 俺は別に悪いことをしたわけじゃない……

 むしろアラブの尊厳を守ったのだ……

 フランス人は報復を受けて当たり前だ……


 サイードが爆弾テロに関わるようになったのは、それから一か月も経たない頃のことであった。

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