第53話 アラブの兄妹

「シロー! シローじゃない!?」


 突然呼びかけられた士郎は、慌てて声がする方に振り向いた。

 それに釣られて他のオメガたちも一斉にそっちに視線を向ける。


「まぁっ! こんなに女の子引き連れて! シローはいつからジゴロになったのかしら」

「ふぇっ!? ……サルマ?」


 そこには、彫りの深い切れ長の目をした細身の外国人女性が立っていた。名をサルマ・ハターミーという。美しい黒髪は少しウェーブが掛かっていて、黒のアイラインが彼女の黒い瞳を更に印象付けていた。ヘジャブを被っていないので一瞬分からないが、れっきとしたアラブ人女性で、おまけに日本語ペラペラである。


「帰ってきたのね! 無事でなによりだわ! 兄も喜ぶよ!」


 そうまくしたてると、サルマはずんずんと士郎に近付いていってガシッと抱き締めた。彼女にしてみれば普通のハグなのだが、隣の久遠くおんがあたふたしている。他の三人の頬も心なしか赤い。


「――サイードは元気?」


 士郎は笑顔でハグを返す。「お……オトナです……」亜紀乃が尊敬の眼差しで士郎を見上げていた。


「ええ! もちろん元気よ! ところでこちらの可愛らしい兵隊さんたちは?」

「あぁ、彼女たちは……えっと」


 途中まで言いかけて士郎は少し言い淀んだ。まさか「オメガ」だとは言えないし――。サルマの「可愛らしい」という形容に、いつの間にか少女たちからも「この人だれ」オーラが消えている。


「はっはーん、さては彼女さん候補たちってわけね! お邪魔だったかしら!?」


 サルマが何かを含んだ目つきで士郎にジト目を送る。

「彼女――////」なぜかくるみが耳を真っ赤にしていた。

「……そんな急に言われても……」などと小声でモジモジし始める。

 サルマはサルマで「立派になって……」などと勝手に話を進めようとしているので、士郎は慌ててみんなの妄想をぶった切る。


「いやッ! 違うから! 彼女たちはその……戦友?」

「なぜ疑問形!?」


 ツッコミ担当の亜紀乃がボソリと本領発揮する。


「シロー少尉の部下じゃないの? 見たところ皆さん可愛らしいキューティ下士官サージャントのようだけど」

「いやぁ部下だなんて……」


 この言葉は本音である。正直なところ、彼女たちの戦闘力は半端ない。見た目こそ女子高生だが、実像は「死の天使」と呼んでも差し支えないほどの実力だ。そんなオメガたちが自分みたいな平凡な兵士の「部下」であるはずがない。実際問題、士郎は戦場で彼女たちを指揮する権限を持っていない。今日は行きがかり上引率しているまでであり、階級がこの中で最上級というだけでなんとなく統率しているだけなのだ。それに――。


 士郎の周りにはかざりや亜紀乃が抱きついたりまとわりついたりしていた。どう見ても部下と上官には見えない。


「だぁーっ! やめろお前ら! 馴染み過ぎだ!」

「し、士郎さんに餌付けされたんですねきっと……」


 くるみが頬を赤らめながら伏し目がちに説明する。


「おいちょっと待て」


 くるみがさりげなく士郎を「少尉」ではなく「士郎さん」と呼んだことに気付き、士郎が焦る。


「し、士郎は意外に女心を分かっているからな」


 久遠がぶっきらぼうを装って口を挟む。しかしさらりと揺れた黒髪の間から覗いた耳が真っ赤である。間違いなくくるみに対抗して呼び方を変えてきた!


「こっちは呼び捨てっ!?」


 あたふたする士郎に、サルマは嬉しそうな視線を送る。


「ふぅーん? あのシローがねぇ……!?」

「いや、サルマ! 違うんだ! これは……」

「あらー、いいじゃない! ……妹ちゃんがいっぱいいるみたいで」


 その言葉に、士郎はふっと動きを止め、サルマを見つめる。そんな士郎を、吸い込まれるような黒い瞳で見つめ返したサルマは、そっとその頬に掌を添えると穏やかな微笑を浮かべた。


「……サルマ……」


 すると突然、サルマが少女たちに視線を移した。


「そうだ! ねえ皆さん、これから兄のお店に来ない? 渋谷でダイニングをやってるのよ!?」

「えー! 行きたい行きたい!」


 月見里やまなしかざりが速攻で話に乗ってきた。


「そ、そうですね……そろそろお腹も空いてきました」くるみが応じる。

「……士郎がいいなら私はどこでも行っていいぞ」久遠が恥ずかしそうに視線を外す。

「ぐぅぅぅぅ」亜紀乃はお腹の虫で答える。


「お前は直接的だなっ!」


「じゃあ決まりっ! そっちの従卒さんもご一緒にどうぞ」


 サルマが各務原かがみはらにも遠慮しないようにとわざわざ声を掛ける。


「え!? あ、いや俺従卒じゃな……」

「ご苦労! 従卒ちゃんっ!」

「はっ!? このや……!」


 文がまた各務原をからかう。この二人はいつもそうだ。「きゃはははっ」と笑いながら逃げる文を各務原が追いかけるのはいつもの光景だ。


  ***


「サイード!」

「シロー!」


 サルマに連れてこられた一行がお店の扉を開けた途端、奥から男が早足で歩み寄ってきた。士郎を見つけるなり大きく手を広げ、バンバンと背中を叩きながら抱きしめる。


「懐かしいな!」

「ゲンキだった!?」


 サイードと呼ばれたその男は細身だが大柄で、彫りの深い顔立ちに太い眉、豊かな口髭を蓄えていた。サルマと同じような浅黒い肌が男の精悍な顔つきを一層引き締めている。目つきは鋭いが、先ほどから満面の笑みをたたえていて、とても気さくな雰囲気を辺り一面に振りまいていた。

 そんな彼らを眩しそうに見つめるサルマ。


「あのー、少尉とはどういったご関係で……?」


 各務原が相変わらず山のように紙バッグを抱えたまま、サルマとサイードに訊ねる。オメガたちもさっきからずっとそのことが気になっているらしく、各務原の質問に同意とばかりに目を大きく広げてふんふんっと頷いていた。


「まぁそうね……せっかくだからこの子たちに士郎とのこと教えてあげたら? 兄さん」

「俺は……まぁいいけど」


 士郎が同意する。それを見てサイードがオメガたちを見渡した。


「オッケイね! でもその前にフードの注文ね! サービスいっぱい!」

「「「「やったーっ!」」」」

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