第38話 ウイグルの少女

「……だいぶ……落ち着きました……誰かが痛み止め……の注射……してくれたから……」


 周りでは、西野ゆずりはや久瀬亜紀乃などオメガたちがかいがいしく女性たちの間を歩き回り、なんやかやと世話をして回っていた。

 いつの間にか漫画のように大きな赤十字の腕章を腕に嵌め、ピンク色のナース服を着ている。

 そんなもの、どこに隠してあったんだ。


 少女がコーンスープをこくり、と一口飲む。


「……おいしい……」


 香坂は、黙ったまま少女の横顔を眺める。

 目を怪我していて本人には見えていないのをいいことに、少し不躾なほど彼女を見つめてしまっていた。

 頬は乾燥していてところどころひび割れているうえに、血の流れた跡はかさぶたのように赤黒く固まっている。

 唇は随分青黒いが、助け出した直後に比べるとほんのりと赤みが差して生気を取り戻しつつあるようだった。



「……名前……聞いてもいいかな……」


 少し遠慮がちに訊ねてみる。すると少女は僅かに頷いた。


「……クリー……」


 珍しい名前だな、と香坂は思った。

 少女が香坂の戸惑いを感じたのか、言葉を継ぐ。


「……花……という意味……ウイグル人……です」



 中国大陸は広い。

 一口に「中国」といっても、人口構成は複雑だ。

 もちろん主体は「漢人」だが、内戦が始まる以前にはさまざまな人種が中国国内にそれぞれの自治区を形成していた。

 東北部にはモンゴル人、そして西域にはウイグル人。

 そのほかにも数十の単位でいろいろな少数民族が居住していた。

 今やウイグルは独立を宣言して事実上別の国家を立ち上げていたが、共産党統治時代は厳しい「同化政策」を行っていたから、クリーのようなウイグル人がこんなところまで流れてきていてもおかしくはなかった。



「クリー……ちゃんか。綺麗な名前だね」


「俺は香坂。コーサカセーギ……セーギって呼んでいいよ」


 香坂は「まさよし」ではなく「セーギ」と名乗った。

 なんとなく、そっちの名前で呼んで貰いたかったのだ。


「セーギ……助けてくれて……ありがとう……」


 少女は空中に右手を伸ばす。

 香坂はその手を追いかけて軽く握ってやった。

 か細くて薄汚れた手首に、心が痛む。



「そういえば……君と同じウイグル人の女の子が基地で保護されてるよ」


 数週間前に、石動いするぎ少尉が身を賭して助け出した少女だ。

 確かその子も盲目だったことを思い出す。


「……名前は確か……アイ……ちゃんって言ったかな」



 その言葉に、クリーが思わずビクっと震えて香坂の方に身体を向けた。


「アイは……ウイグル語で月……という意味……」

「……今……アイ……どうしてる?……」


 クリーの食いつきぶりに香坂は少し戸惑いながらも答える。


「え、えっと……もちろん、アイちゃん元気にしてるよ……目が……もともと不自由みたいだったけどね」


 その言葉に明らかに彼女は安堵の息を漏らす。


「……良かった……アイ……優しくされてる……?」


 同じウイグル人として心配しているのか。クリーがおぼつかない手つきで再び香坂を探す。

 香坂はしっかりとその両手を握りしめて言った。


「もちろん、アイちゃんは我が日本軍が最高のおもてなしで保護しているよ。安心して」


 クリーはその言葉にようやく安心したのか、ぐるぐる巻きの包帯の下で嬉しそうな笑顔を作ってくれた。

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