第5章 離別

第37話 正義の味方

 香坂正義はその名の通り正義の人である。


 本当の読み方は「まさよし」なのだが、小さいころから友達が「セイギ、セイギ」と呼んでいたから、自分でもセイギでいいやと思うようになっていた。

 何といっても「正義の味方」っぽくて自己肯定感が半端ない。


 実家は山陰の米農家で、代々米を作って生計を立てていたのだが、正義まさよしの祖父の代になって中国大陸から流れてきた汚染大気が西日本各地を放射能にまみれた不毛の地に変えてしまったことから、もう数十年も前にコメを作るのを止めてしまっていた。


 正義が国防軍に入ったのは、小さい頃からの自分のアイデンティティを確かめるためであった。

 もちろんそんな自己陶酔に近い理由なんて誰にも話せないから、表向きは「しがない庶民の三男坊が家計を助けるために軍隊に入りました」ということにしてあるが、実際のところ正義は軍に入って「自分なりの正義」を見つけることを密かな野望として抱いていたのである。


 実際、国防軍にはさまざまな「目に見える正義」があった。

 何より、大切な家族や友人が住むこの国を、自分の手で護っている、という実感があった。

 大陸に派遣されて治安維持活動に従事し、時には反政府勢力の拠点を叩くという活動も、国内で頻発する爆弾テロ事件などの元凶を潰すための作戦行動であることは十分に理解していたし、自分がその最前線に従軍していることは、彼の中の「正義」を十分満たすものでもあった。


 だが、ここ最近は何だか釈然としないことが続いていた。

 何より〈オメガ実験小隊〉に配属されてからだ。

 もちろん、窮地を救ってくれたオメガには感謝してもしきれない。可憐で可愛らしい彼女たちの存在は、すさんだ戦場においてはまさにオアシスのようなものだとも思っている。

 ただ、そのオメガたちが見せるもう一つの顔――戦場での無慈悲な殺戮――が、正義の心を曇らせてきたのも事実であった。

 無抵抗で非武装の民間人を手にかけることは果たして「正義」なのか。


 新任の小隊長としてここまで正義を引っ張ってきてくれた石動いするぎ少尉も、時折そのことに困惑しているのは知っていた。

 ただ将校としては、部下に面と向かって軍に対する疑問を口にすることなどできないのだろう。

 いつだったかの戦術評価会議デブリーフィングで、少尉が少し批判的な口調でオメガたちの行動の真意を訊ねて以来、正義は石動少尉も「正義の人」なんだと理解するようになっていた。


 だから今日の作戦でも、戦術情報プロトコルで攻撃直前に示された「不本意な命令」に素直に従ったのである。

 恐らくは自分と同じ価値観を持つ少尉の指揮下で行うなら、上等兵ごときが抗命することじゃない。



 そんな中で起こった今日の意外な結末は、だから余計に「正義の味方」香坂正義の胸を熱くするのだ。

 久々に、自分がちゃんと正しいことをしたような満足感で満たされる。

 自然と、助けた女性たちにも親切に接したくなるというものだ。


「どうかな……少しは落ち着いた?」


 香坂は、駐機している〈飛竜〉の周りに広がって思い思いに座る保護女性たちの中に、自分が部屋から助け出した少女が毛布にうずくまっているのを発見した。

 急いで少女の傍に分け入り、隣に腰掛けながら声をかけたところだった。


「……は、はい……ありがとうございます……」


 震えるように小さな声を絞り出す少女に、そっとマグカップを差し出す。

 温かいコーンスープの匂いがふわっと漂う。

 おっと……と気付いて少女の小さな手を取りマグカップに添えてやる。


「……目を……怪我してるんだね。痛い?」


 香坂は、少女が鼻から上の顔半分を包帯でぐるぐる巻きにしている様子を気遣う。


 ちょうど両目の部分に、夥しい出血痕があった。

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