第3話 撤退戦

「交互後退戦用意ッ!」


 その命令を聞いた小隊員たち全員の顔に、明らかな希望の光が灯った。少なくとも、うちの小隊長は馬鹿じゃない、という顔だ。

 功名心に駆られて、明らかに優勢な敵と徹底抗戦しようとするほど愚かじゃないし、置き去りにしてきた負傷隊員たちを見棄てられないと騒ぐほど感傷的センチメンタルでもない。

 どうせ軍曹が置いてきた兵は、後送しても間に合わない致命傷を負っているのだ。それに、この戦闘は明らかに不規則遭遇戦だ。


 もともとこの小隊は、集落に潜んでいるかもしれないテロリストを警戒するため、師団が受け持っていた広大な警備区域のうち、たまたまこの小さな村をローテーションで巡回偵察したに過ぎない。

 そうしたら思いがけなく、村長の家の納屋の乾草の中に複数のライフルや携帯型対戦車グレネードランチャーが隠されているのを発見してしまい、そのまま戦闘に発展したのだ。

 つまりは偶然、テロリストの巣窟となっていた村に寡兵で出くわしただけなのである。

 であれば戦略的には改めてそれに勝る戦力を整えて再攻撃することとし、今はひとまず撤退するのが正しい戦術と言える。


「ほら! 聞いただろ! 総員交互後退戦用意だ!」


 田渕の叱咤に皆がきびきびと動き始める。

 「交互後退戦」とは、隊を二手に分け、一方が掩護射撃をしている間にもう一方が下がれるところまで後退し、次は先に後退した班が掩護射撃をしている間に残った班がさらにその後方へ後退する。これを交互に繰り返して、掩護射撃の火箭を常に維持しつつ安全に後退する、という歩兵戦闘の基本戦術である。


 少し先で、突然爆発音が響き、敵兵の悲鳴が一瞬だけ聞こえて沈黙する。残置した負傷兵が責任を果たして自爆したのだ。

 今のは誰だっただろうか。士郎の胸がチリっと痛む。


「火砲準備よしッ!」


 重機関砲ガトリングガンを架台に構えた小隊員が鋭く報告すると、田渕が間髪入れず命令した。


ーッ!」


 それを合図に、毎分4,000発の7.62ミリ砲弾を発射するガトリングガンが「ヴーーーン」という重低音を発しながら敵を薙ぎ倒していく。

 数秒に一回は、曳光弾が発射されて射線が目視できるようになっている。


「一班! 今!」


 軍曹の合図で四、五人の兵が後退を始める。残りは一斉に掩護射撃だ。

給弾リロード!」「給弾よしッ!」

 ライフルの弾倉交換も、声を出しながら周りに分かるように行う。

 弾倉交換がダブると、瞬間的にそこの火力が弱まってしまうからだ。

 すると先行して後退した一班から無線が入る。


「一班後退よしッ!」「掩護撃ち方よしッ!」


 それを聞いた田渕が命令する。


「一班! ーッ!」


 今度は一班に同行していたガトリングガンが後方から鉄の暴風を送り込む。

 瓦礫の隙間から前方を覗き込んでいた士郎の視界に、機関砲弾の直撃を受けて空中に爆散する敵の兵士“だったと思われる何か”が映り込んだ。


「二班ッ! 今!」


 残っていた数人と田渕、そして士郎が、一班の掩護射撃を受けながら飛び抜けるように後方目掛けて走る。


 もはや敵と正対しながらジリジリと後退なんて悠長なことはやっていられないことが誰の目にも明らかだった。

 敵兵士の人数が、さっきよりも明らかに増えているのだ。まさに一目散に、掩護射撃をしてくれている一班の形成する防衛線を走り抜け、さらにその後方へ飛び込んでいく。

 続けざまに数人が、士郎と田渕が飛び込んだ物陰の横ラインの位置に並ぶように滑り込んできた。


「まずいですねぇ……このままではジリ貧です」


 田渕軍曹が荒い息を整えながら士郎に話しかける。敵の散兵線が徐々に押し上がり、彼我の距離はもはや30メートルも離れていないようであった。一班に至ってはその半分の15メートル程といったところか。


 その様子を見ようと士郎が前方に視線を移した瞬間、さっきから必死の乱射を続けていた一班のガトリングガンのところに、白い尾を曳いてRPGが撃ち込まれた。

――轟音と黒煙。


 ガトリングガンが沈黙する。すると、そのすぐ脇から黒焦げになった小隊員がふらふらと立ち上がり、拳銃を構える様子が見えた。

まだ生きている――!


パンッ、パンッ、と二発ほど銃声が聞こえたところで、その兵士の四方八方から一斉に敵兵が覆いかぶさっていく様子が見える。

「ウウォーッ」という太い歓声。


「くっそーッ! 死ねッ! 死ねッ!」


 隣でそれを見ていた二班の小隊員が、拳銃を構えて前方に何発も撃ち込む。

 もはや個人携行ライフルの弾薬は底をついており、単装の護身拳銃で撃ち返すしかないのだ。


「軍曹ッ! ガトリング準備できましたッ! 残弾500ッ!」


 機関砲手から怒鳴るように報告が入る。


 500発ということは、7.5秒で全弾撃ち尽くすということだ。一班には、その間にここまで後退してもらわなければならない。


「軍曹ッ! 一班と合流して、ここで迎え撃つッ!」


 士郎は覚悟を決める。もはや後退戦は無意味だ。


「了解しました。そのように皆に伝えます」


 田渕が冷静に応答する。

 「……思うに」田渕が言葉を継ぐ。


 士郎は不思議そうに田渕を見つめ返した。


(次回第4話「白兵戦用意」は12/1 朝8:05の更新です)



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