第2話 KIA

「――小隊長! 石動いするぎ小隊長ッ! しっかりしてくださいッ!」


 両肩を激しく揺すられ、士郎は意識の深淵から急速に引きずり戻される。見上げると、戦闘用ヘルメットの下から派手に鮮血を頬に滴らせた田渕軍曹が、士郎に覆いかぶさるようにして上から覗き込んでいた。


「私の分隊チョークは七割方KIAですッ! 第二分隊チョーク2は連絡取れませんッ! 第三分隊チョーク3はその辺に散らばっていますッ!」


 KIAケイアイエーとは「戦闘中死亡(Killed In Action)」、すなわち戦死という意味である。

 一分隊の隊員数は原則10名。三個分隊30名で一個小隊を形成する。士郎は、自分が最下級の将校としてこの一個小隊を率いる少尉であることを思い出した。

 水分が完全に失われてヒリつく喉を、一度咳払いして何とかしゃがれた声を絞り出す。


「軍曹、伍長を見てやってくれ……」


 隣で頭蓋を打ち砕かれて横たわる兵士の方へ顎をしゃくる。


「コイツも残念ながらKIAですッ! 小隊長、何とか撤退ルートを探しましょうッ!」


 そういうと軍曹は、攻撃を受けている方向に正対しライフルを構えたまま、膝をついた状態で少しずつ後ずさりした。小隊の先任軍曹は、戦闘ストレス反応で現実逃避症状を起こしかけていた新任少尉を、何とか現実に繋ぎ止めておくべく、声を掛け続ける。


「小隊長! 一緒に下がってくださいッ!」


 その言葉に、さっきよりは幾分正気を取り戻した士郎は、慌てて尻を上げると先任軍曹の後退した導線を同じように辿って石壁から数メートル後方に残っていた太い柱の陰に身を移した。


 軍隊において、「軍曹」という存在は最前線における最も信頼すべき実存である。彼らは、大抵の場合上官より実戦経験が豊富であるし、それだけ生き残る術も身に着けている。現に、石動小隊の最先任であるこの田渕軍曹は、士郎が生まれた三年後の2070年には既に兵士として大陸での〈大暴動〉に従軍していたそうだ。

 戦場に出て僅か二週間の自分と、19年間の実戦経験を持つ田渕とでは、経験も知識も技術も、そして精神力も、何もかも違い過ぎる。士郎は素直に田渕を頼ることにした。


「軍曹、何とか残った隊員をかき集めてほしい」

「分かりました! 小隊長! ――で、その後は?」


 田渕が横に折り重なるようにしながら、はきはきと受け応えする。一瞬、ブンッ、と耳の横を銃弾がかすめる。


「――逃げるッ!」

「了解ですッ!」


 田渕は、ニヤリと士郎に白い歯を見せたかと思うと、柱の陰から匍匐ほふく前進しながら数メートル横の瓦礫の山に消えていった。


 後は軍曹がどうにかして残存隊員を集めてくるはずだ。そして小隊の陣形を立て直し、後退戦闘をしながら撤退ルートを切り開いていくのだ。


 これが、軍隊における「指揮官」と「下士官」の関係である。指揮官は一言「やれ」と命令し、それを具体的にどのような手段や方法で実現するかは下士官の裁量に任せられる。

 だから結局のところ、軍隊は下士官で成り立っているのだ。

 だが、同時に軍隊では「命令は絶対」である。馬鹿な将校が間違った判断をして突撃を命じたら、その判断がどんなに間違っていたとしても、兵隊は突撃しなければならない。

 そうなると、いくら経験豊富で優秀な軍曹が分隊を率いていたとしても、無駄死には避けられない。


 だから下士官たちは、自分の隊を率いる将校が新しく着任したら、まずは頭のてっぺんからつま先までソイツを値踏みする。


 自信満々で実績を積みたがる若造は最悪だ。どうせ最初の接敵で小便を惨めに垂らしてすぐ使い物にならなくなる。

 慎重な感じの奴は、最初よりはマシだが、これも初陣ファーストエンゲージで化けの皮が剥がれる。ソイツは決して「慎重」なのではなく、単に「臆病」なだけなのだ。

 こういう手合いは、臆病風に吹かれて何事も機を逸する。勝つことも、負けて撤退することもできない。


 ではたった今、士郎が下した命令を田渕はどう思っただろうか。恐怖に駆られ、戦意を喪失したと思われただろうか。

 仮にこの場を切り抜けたとしても、今後「臆病者」のレッテルを貼られ、指揮官としての威厳を失ったまま、部下たちから面従腹背の憂き目に遭うだろうか。

 いや、まずは目の前の窮地を切り抜けなければならない――。


 柱の向こうにいる敵のライフルの連射音が、タタタン、タタタンとリズミカルな音を立てる。その音は、先ほどよりも更に近づいているように思えた。

 ふいに後ろから声がかかる。


「小隊長! 動ける奴、全員集めてきました」


 振り返ると、士郎の後ろに控えるように10名あまりの隊員が這いつくばってこちらを見つめていた。あちこちに怪我を負っている様子で疲労は見えるが、全員、戦場の兵士特有の異様に目をぎらつかせた表情をしている。


 健在なのはこれだけか……。

 損耗率が五割を超えると、部隊の作戦行動はほぼ不可能になる、と士官学校の講義でやっていたことをふと思い出す。

 士郎の考えを補足するように田渕が言葉を続けた。


「他の者はKIAか重傷で動かせない者です。手榴弾グレネードを渡してあります」


 つまり、残りの者は敵が間近に迫ったら手榴弾で自爆して一人でも多く道連れにし、撤退を掩護しろ、と命じてきたということである。

 これが戦場だ。

 士郎は、腹の底が震えているのを部下に見られてないだろうかと不安に駆られる。周囲で荒れ狂う激しい戦闘音に負けないよう、すぐ隣の田渕に大声で怒鳴る。


「軍曹ッ! では重火器を持った者を殿しんがりとし、残りは二手に分かれて交互後退戦用意!」


(次回第3話「撤退戦」は11/30 夜20:05の更新です)


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