チアキ先輩

 アルバイト2日目。俺はまたチアキ先輩と一緒に担当フロアを掃除していた。チアキ先輩は、最初からドンドン仕事を押し付けてくるタイプではない。それが俺にはありがたかった。


 昨日、教わったことを思い出しながら、ミスをしないように注意して作業した。

 仕事自体は、それほど難しくはない。ただお客様の会社の物を傷つけたり、壊したりするのは絶対にダメだ。それは、昨日、チアキ先輩からキツく言われていた。


「仕事が遅いのは、俺がカバーしてやる。でも、物を壊すのはカバーしきれねぇからな」


 チアキ先輩には、絶対に迷惑をかけたくないので、俺は慎重に丁寧に作業するようにしている。


 この日も、大きな問題はなく、休憩時間になった。俺はみゆきからもらった包みを持ってきて、弁当箱を膝に乗せた。

 フタを開けると、おにぎりが2つと卵焼き、ウインナーが入っていた。


「お、修。それは誰からの手作り弁当だぁ?」


 昨日の歓迎会で、俺の呼び名は「修」に決まった。チアキ先輩が決めてくれた呼び名だ。

 チアキ先輩的には、苗字にくんを付けて呼ぶのは、こっぱずかしいらしい。昨日は、初対面だから、かなり無理をしてくれていたようだ。


「修一郎だから修。はい、決定」


 あっさり決まったけど、こんな風に下の名前で呼ばれることにはなれていない。最近、みゆきもチアキ先輩も下の名前で呼んでくるので、きっとそのうち慣れるだろう。


 俺はチアキ先輩に、みゆきのことを説明した。


「へぇ、じゃあ、そのみゆきって娘が弁当を作ってくれたって訳だ」

「はい。これって、もう付き合ってますよね?」


 俺は嬉しくて、得意げになって言った。


「バカ野郎!付き合うってのは、ちゃんと告白してオッケーをもらってからなんだよ。そこを省略しちゃダメだ」


 チアキ先輩は、意外と硬派らしく、告白の大切さを力説していた。


「やっぱ、シチュエーションとかも凝った方が良いですか?」

「当たり前だろう。女はみんなサプライズが大好きなんだ。だから、気合い入れて、飛び切りのサプライズを用意すりゃ、一発よ」

「そんなもんなんですね……じゃあ、チアキ先輩は、今は彼女さんは?」


 突然、チアキ先輩の表情がこわばった。


「い、今はいねぇよ。格闘技一筋ってヤツだな。女と遊ぶ時間があるなら練習するぜ」


 絶対に強がってる。それがはっきりわかるくらい、動揺していた。


「もうどれくらい居ないんです?」

「い、いや、もう2年になるかな……あ、3年か……」

「そんなにですか!?」

「べ、別にいいんだよ。そ、その気になりゃ、いつでも作れるんだから。こう見えても、ファンの女性は多いんだぜ」


 しどろもどろとは、こういうことなんだ。何とわかりやすい人なんだろう。チアキ先輩は、絶対にイイ人だと確信した。


「とにかくだ、修。しっかりサプライズの効いた告白で、彼女のハートをキャッチして来い。うまくいったら、報告しろ」

「わかりました。失敗したら、慰めてくださいね」

「そん時にゃ、飲みに連れ行ってやるよ」

「飯の方がいいです」

「欲張ってんじゃねぇよ」


 休憩時間の間、チアキ先輩とバカ話しながら、みゆきの弁当を味わっていた。

 みゆきの手料理は、弁当で味わうと繊細な味わいが際立っていて、とても美味しかった。いつも食べているコンビニ弁当の比じゃない。特に卵焼きは、ダシが効いてて、甘めの味付けで、俺好みだった。


「修、一口食べさせろよ」

「だ、ダメですよ」

「チッ、幸せそうな顔して食いやがって」


 チアキ先輩は、羨ましそうに俺の弁当を見ている。一口食べたいというのは、本心だろう。


「先輩は、格闘家だから食事制限とかあるんじゃないんですか?」

「あぁ、一応な。だから、いつも鶏の胸肉とかささ身とかばかり食ってるよ。今日も、茹でた胸肉とブロッコリー。手抜きで、一緒に茹でただけなんだけどな」

「アスリートって感じの飯ですね」

「俺は、そっちの方がいいけどな。試合が近いから、しょうがねぇんだよ」


 格闘家は、とても大変な仕事だと思う。厳しい食事制限。リングに立てば痛い思いをする。もしかすると死ぬかもしれない。それなのに、収入は俺と同じようにバイトをしなければやっていけない。

 チアキ先輩は、笑いながら話してくれているから、どれほど壮絶な思いをしているかは想像がつかない。


「先輩、すごいですね」

「ん、何がぁ?」

「いや、生き方が尊敬できるなぁって……」

「あっはっは。俺なんか尊敬してどうする。親不孝の典型みたいなヤツだぜ。お前は、大学にも通って、ちゃんとしてるんだから、俺なんかを尊敬してちゃダメだな」


 少し照れながら、それでも真剣な目つきで俺に言ってくれた。親不孝はするもんじゃない。その言葉には、先輩の実感がこもっている気がした。

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