みゆきの手料理
バイト初日の疲れと、久しぶりのアルコールのせいで、眼が覚めると15時を回っていた。
バイトは20時からなので、まだ十分に時間はある。ただ、その前に『Blue Note』に顔を出したかったので、急いでシャワーを浴びて、準備をした。
3月とはいえ、17時近くになると、辺りは薄暗い。気温もグッと下がってくる。
『Blue Note』は、目立った看板も出てないので、気づかずに通り過ぎる人も多いだろう。
この日は、夕方遅い時間ということもあって、お客さんの姿はなかった。そして、カウンターの向こうには、みゆきの姿があった。
やることがなかったのか、カウンターの向こうから、顔だけを出して、入口を見ていたみゆき。俺の顔を見つけると、嬉しそうな笑顔に変わった。
「いらっしゃいませ、修くん」
「こんにちは、みゆき」
軽く挨拶を交わして、いつもの壁際の席に座った。
「何にしますか?コーヒー??」
「いや、何も食べてないから、コーヒーとナポリタンで」
「はぁい。少し大盛りにしときますね」
みゆきは、パタパタとカウンターの向こうに消えていった。
今、気づいたけど、ナポリタンを作っているのは、みゆきだ。ということは、俺はすでにみゆきの手料理を食べていることになる。
そう思うと、何だか気恥ずかしい気分だ。
「お待たせしました。ナポリタンとコーヒーです」
しばらく待っていると、みゆきができたてのナポリタンと淹れたてのコーヒーを運んできた。俺はそんなにグルメじゃないけど、ここのコーヒーは美味しいと思っている。きっと、マメが違うんだろう。
「新しいバイトはどうでしたか?」
お客さんがいないせいもあって、みゆきが向かいの席に腰かけながら、聞いてきた。以前なら、絶対にこんなことはしなかったはずだ。確実に、俺たちの距離は近づいていると思う。
「うん、イイ人ばかりで、良かったよ」
「そうなんだぁ」
「チアキ先輩って人と、一緒に仕事をしてるんだけど、この先輩がまたイイ人でね」
「へぇ」
みゆきは、俺の一言一言にうなずきながら、笑顔で話を聞いている。
「チアキ先輩は、何と格闘家なんだよ」
「格闘家?怖い人じゃないんですか?」
「あはは。チアキ先輩は、怖くないよ。サバサバしてて、すごくイイ人なんだ」
「へぇ。格闘家さんなら、筋肉ムキムキですね」
みゆきは、まるでボディビルダーのようにポーズを取りながら、おどけた。
こんな一面もあるんだな。また意外な一面を見られた気がして、嬉しくなった。
「どうだろ?腕はマッチョだったけどね」
「やっぱり!」
「みゆきは、マッチョが好きなのかな?」
「エエエッ!?マッチョは怖いから苦手なんです……」
銀色のお盆に顔の下半分を隠すようにしながら、みゆきが言った。
「ところで、バイトは何時からなんですか?」
「あぁ、20時から5時までだよ。家に帰るのは6時頃かな」
「晩ご飯は??」
「ここで、ナポリタンを食べて、あとは休憩時間におにぎりでも食べようかなぁ」
「夜中に食べると、太りますよぉ」
今度は、ちょっと意地悪そうに微笑むみゆきが現れた。今日のみゆきは、何だか七面相だな。機嫌が良いのかもしれない。
「あ、ちょっと待っててください」
みゆきは、何かを思い出したように、勢いよく席を立つと、カウンターの向こうに消えていった。
しばらくすると、みゆきは手に何かを持って戻ってきた。
「あ、あの、これ夜食に食べてください」
包みの中には、小ぶりな弁当箱が入っていた。
「おにぎりと、ちょっとしたおかずだけですけど……」
「あ、ありがとう。嬉しいよ」
嬉しすぎる。これはもう、恋人同士なんじゃないだろうか。そう思うだけで、顔が火照ってくるのを感じる。
「食べ終わったら、お店のポストに入れておいてください。また明日も作るので……バイトの前に取りに来てくださいね」
「あ、うん。いいの?ホントにありがとう」
俺は、包みを大事に抱えながら、ナポリタンを喉に流し込んだ。
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