27頁:あの日の事を、教えてくれ
「待ってくれかいりっ、海里!」
旧校舎の、誰もいない静かな廊下で。
その姿を見つけた俺は、逃がしたくない一心でその背中を追っていた。
「聞いてくれ海里、豆原の奴結局〈克服〉しなかったんだ」
「へぇ」
「興味あるくせに」
どれだけ声をかけても、呼び止めても反応はそんなもので。どんどん距離を広げる大人気ない陸上部にさすがの俺も顔をしかめ、これでもかと言うくらいの大声を腹の底から出してやる。
「くそっ……聞けよこの馬鹿猫!」
「うるさいガラスの靴を落とすおっちょこちょい」
ぐうの音も出ないよ、そんな事を言われてしまっては。
「おっちょこちょいでも、お前にはまだ話す事が」
「俺はない」
いつもは気持ち悪いくらいべたべたくっついてくるくせに、それはあんまりではないか?
「帰るからな」
「わかったよ、鞄取ってくるから待ってくれ」
「いい、一人で帰る」
「最近俺と帰ってたのに、珍しいな」
「一人で帰りたい時だってある」
「嘘つけ」
この状況でそれを言われては、どう見ても嘘だってまるわかりだ。
「頼むから俺の話を聞いてくれ、海里」
「十分な」
「シンデレラより短い」
正直喧嘩腰で行きたかったが、ここでそんな事をしては十分が無駄だ。俺は深呼吸一つして、俺自身を落ち着かせる。
「あのさ……」
一つ一つ、海里の機嫌を損ねないように。
言葉を選んで、紡ぎ出す。
「なんであの時……高校受験の時にあんな事を言った俺を、今まで守ってくれてたんだ」
「っ……」
ずっと、ずっと疑問だった。
俺があんなひどい事を言ったのに守ってくれていたのも、庇ってくれた事も。そして、俺を思ってくれていた事も。
「別に俺はっ」
「あの時の忠告は、全部俺のためだったんだな」
俺がハツカネズミ研究会に出入りし始めた時に、こいつはしつこいくらいに俺と会長を離そうとしていた。くどいくらいに、会長を信頼するなと言っていた。
あれはすべて、〈克服〉していない俺を会長から守るためのものだったんだ。
「……一年の時にお前の話をしたらあいつが興味を示しただけで、俺はただ身近な奴がニセモノになるのが嫌だっただけだ」
「はいはい、そうですか」
一向に強がった皮を剥がしてくらないそいつに、肩をすくめる。わかったよ、これ以上は詮索しないでやる。
ただそれでも疑問に思う事はあり首を傾げると、海里はいかにも嫌そうな顔でなんだよ、と呟いた。
「いや、その……」
やっぱりこれだけは腑に落ちない、そんな意味を込めて言葉を投げつける。
「お前いつから、俺が〈キャスト〉だって知っていたんだ?」
俺はこいつに言った事も、見せた事もない。それなのに今までの話や内容からすればこいつは、俺が〈キャスト〉だって最初から知っている口振りを繰り返している。
「なぁ、答えろって」
「……花咲かじいさん」
「……はい?」
藪から棒にこいつ、何を言い出すかと思えば。
花咲かじいさんって言ったら俺だってわかるぞ。
犬がここ掘れワンワンやって、小判が出てきて犬が殺されて。最後は不思議な灰で桜を咲かせる、おじいさんの話。
「だってあれ、俺が幼稚園の時に」
「それだよ」
途中で入れられた言葉の意味が理解できず、目を丸くする。あれは話には関係ないと、俺は思うのだが。
「俺、お前が〈トラウマ〉を初めて使った場所にいたんだ」
「それって……まさかあの、裏山に!?」
そんなの、そんな話初めて聞いた。
だって俺と海里が出会ったのはその後、俺が誘拐されかけた時だ。それまでの海里は喧嘩っ早いでこそ有名だったけど付き合いなんてなかったし、そもそも俺はそれ以前の海里を知らない。
「いたよ、俺もあの裏山に……成が初めて〈トラウマ〉を使った、あの場所に!」
「まじ、かよ……」
それも、十数年の付き合いで初耳だ。
だいたいあの裏山は本来行ってはだめと先生達からきつく言われていた場所で、実際戻った俺達はこれでもかと言うくらいに怒られたのだから。
「あそこ、俺が〈克服〉をするために内緒で通っていた場所だったんだ」
「待て、お前幼稚園ですでに〈克服〉しようとしてたのか」
早すぎないか、それは。
「あぁ、俺だって守りたい人はいるからな」
なんて言う海里の表情は、どことなく柔らかい。いまいち話が掴めないけど、誰かさんなんて誰が――
「……もしかして、俺が関係してる?」
「なんでこの状態で疑問形が出るんだ、やっぱお前おっちょこちょいだな」
「そこでおっちょこちょいは関係ないだろ」
心外だなと思い眉間にしわを寄せると、冗談だ、なんて言いながら笑われてしまう。
「あの日は俺もお遊戯会の練習が嫌で、こっそり抜け出して裏山で〈トラウマ〉の練習をしていたんだ。記憶だってちゃんとあったけど、〈克服〉の方法がわからなかったからな」
そこでな、なんて続く言葉には少し想像がつく。
「見たんだよ、お前の〈トラウマ〉を」
「っ……」
息が、詰まってしまいそうだった。
まさかあの瞬間を、おれが初めて〈トラウマ〉を使ったとこを見られていたなんて。そんな、聞いていない。
「……ださかっただろ」
だから自然と、自虐的な言葉が落ちる。
知っているさ、俺の〈トラウマ〉は誰よりもださくて弱っちいんだから。
「お前だって思ってんだろ、俺の〈トラウマ〉は何の力にも」
「違う」
「なにがっ」
「違うんだよ!」
「っ……」
あまりの言葉の圧力に、肩が揺れてしまう。
「俺はださいなんて思っていない……俺は、成の〈トラウマ〉が綺麗だと思ったんだ」
「……なんの、冗談だ」
綺麗なんてどんな気の利かないお世辞だ。
いかにも嫌そうな顔をすると、海里はそんな顔しないでくれ、なんてぶっきらぼうに呟いてきた。
「俺の〈トラウマ〉には壊す事しかできなかったから……だからお前みたいに、成みたいに守る力が欲しいと思ったんだ」
「……けどお前」
長靴をはいた猫の〈トラウマ〉は、守る壁と戦う術だったはず。守る力は、じゅうぶんにあると俺は思う。
「あぁ、俺は〈克服〉してるからな……成のおかげで」
「……まさかお前」
「言っただろ、俺の〈トラウマ〉はご主人を上に立たせるためであれ鬼の住んでいた城を選んだ事。そしてそこがご主人の城だと言い張り、それを守り抜いてしまった事って……だからこそ俺は、この〈トラウマ〉と向き合わなきゃいけなかったんだ。あの時守れなかった等身大のご主人を、今度こそ嘘の壁で固めずに守るために」
言い返す言葉も思いつかずに呆然と立ち海里を見ていると、こいつは気にしないと言わんばかりの態度で俺に近づきそっと跪く。優雅に、どこかの洋画で観たような騎士のように。
「そんな時に、お前と出会った」
そっと差し出された手は、猫と言うよりは王子に見えてしまう。
「あの時に、お前の〈トラウマ〉を見た時に思ったんだ……俺の主人は、成だって」
「……」
言葉が、見つからなかった。
なんて答えるべきかわからず目線を下に落としていると、唐突にいいんだ、と声が聞こえてくる。
「その反応が正解だ、笑ってくれ。俺のエゴのためにお前を巻き込んだも同然だから……けど、それでも俺は、お前を守りたかったんだ」
「だから、あの時……」
中学の時に度胸試しに行こうとする俺を止めていたのは、そういった経緯があったんだ。なのに俺は、あんなひどい事を言った。
「自覚がないんだよ成は、餓鬼の時どれだけ攫われそうになっていたか」
「いや、俺が攫われかけたのはあの一回じゃ」
「全部俺が未遂にしてんだよ」
「嘘だろ?」
それに関しては知らなかったぞ、せめて事後報告をしてほしかったものだ。
「お前の身なりはよくも悪くも目立つからな、一番の問題はそのブレスレットだけど」
「ガラス玉なんだけどな……」
なんてふざけて答えると、確かにと鼻で笑われた。けどそれも、一瞬の事。
どこからか足音が聞こえると、海里はいつものぶっきらぼうな表情に戻りマフラーを巻き直す。
「話は終わりだ、俺は帰るぞ」
「結局、十分以上付き合ってくれたじゃん」
「……主人の話を聞くのが俺の務めだからな」
「素直じゃない奴」
「お前もな」
口元にマフラーを持ち上げ顔を隠すと、すぐに顔を背けられる。そんな、あからさまに態度を変えなくてもいいじゃないか。
「……豆原」
「ん?」
なんて考えていると、不意にあのひ弱なジャックの名前が聞こえてきて。
「……あいつと成がよかったなら、俺もよかった」
「……なんで俺だよ」
乾いた笑いに、返事はない。
それももう慣れた事で、俺は目を細めながら馬鹿な猫の横に立つ。
「仕方ないから、今日は一緒に帰ってやるよ」
「勘弁してくれ」
「昨日までお前からついてきてたのにそれはあんまりだろ」
昔みたいに戻りたいなんていうのは、もう思わない。
思わないけど、せめてこの言葉は伝えたくて。
「ありがとう、海里」
「……別に」
猫は素直じゃないってのは本当だななんて場違いな事を考えつつ、俺はこの愛おしい時間に心の中でそっと、優しく〈トラウマ〉を唱えた。
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