22頁:台風発生接近中

「……とは言ったもののなぁ」

 上の空で口から漏れ出た言葉は、人っ子一人いない図書室で虚しく反響する。

「おや、お困り事かい」

 嘘ついた、人はいる。

 図書室入口の手前。受付、とプレートが立てられたそこに座るそいつはふにゃりと笑うと手をひらひらとこちらに振っていた。

「ならば、この老人が話を聞いてやろうか?」

 大変に他人事で紡がれた言葉は、実際他人事だから仕方がない。

 深く溜息をついてそちらを見ると、俺はその人に力なく笑い返した。


「……めちゃくちゃにお困りです、呂中先輩」


 香嶋の一件で出会ったこの呂中先輩は、あれから何かにつけて話しかけてくるようになり昼休みには図書室を避難場として使わせてくれるようになっていた。

 何に対しての避難場かって、そんなの海里からの避難に決まっている。

「しかし君も難儀だな、幼馴染みなら素直にごめんなさいですまないのか?」

「すまないからここにいるんです……あいつ、休み時間まで俺に引っ付いてくる」

 幸いこの図書室は普段カーテンで閉め切られていて、外から中を覗く事はできない。隠れるには都合がいいのだ。

「俺とあいつの関係は、単純に見えてめちゃくちゃにややこしいんです」

「へぇ、その話私も聞きたいわ」

「……いつからいた」

 突然現れたあっけらかんとした声はここ一ヶ月で嫌というほど聞いたもので、思わず顔をしかめる。対する当の本人はそんな怖い顔しないで、なんて笑いながら鼻歌を歌っている。あぁもう、次から次へと。

「俺はいつからいたって聞いてんだ、香嶋」

「ずっとよずっと、灰村くんより先にいたわ」

「お前は会長側だから信用できない」

「あら、意地悪」

 意地悪はどっちだよ。

 話す気はさらさらなかったが、香嶋と呂中先輩の様子は興味津々だ。

「……馬鹿な昔話だよ。幼稚園の時に出会った俺達は、そのままわけもわからず仲良しこよしして、高校前に仲違いしたんだ」

「嘘だな」

「……俺、呂中先輩のそういうとこ嫌いです」

 そうだよ、大嘘だよ。

 まさか秒速でバレるなんて思ってなかったけど。

「で、どうなんだ」

「どうなの?」

「……わかった、言う、言うよ」

 降参のポーズを取りながら首を横に振れば、誰でもない自分自身を落ち着かせるために深呼吸をする。

「俺と海里の関係は……早い話が、守るか守られるかだ」

「……となると、主従か」

「そこまでお堅い関係ではないです。ただちょっと、俺昔誘拐されかけた事があって」

「あら、唐突にヘビーな話題」

「だから言いたくなかったんだよ」

 もう遠い昔の記憶だけど、これでも〈キャスト〉としての〈トラウマ〉とは別のトラウマになっているんだ。そんな、誘拐されていい思い出がある奴なんていないだろ。

「年長の時だったかな……幼稚園でサッカーして遊んでいたんだけど、その時ボールが外に出て俺が拾いに行ったんだ。そしたらそこにいた男二人組に突然車に押し込められてさ」

「けど、灰村くんって幼稚園の時に〈トラウマ〉がわかったんじゃ」

「わかったと言っても使い方なんてままならなかったし、目隠しだってされていたからな。それに目隠しが取れた時にはそいつら倒れてて、立っていたのは当時同じクラスで喧嘩っ早いって有名だった海里だけだったってわけだ」

 懐かしいような苦しいような記憶はそんなもので、そして海里と出会うきっかけになっか思い出に俺は目を細めた。

 どうやって男達を倒したのか疑問だったが、よく考えればそれも〈トラウマ〉で片付けたのかもしれない。口が裂けてもそんな事、今になって聞けないけどさ。

「なら、関係はむしろ良好なのではないか?」

「そんな簡単な話なら、とっくに二人にしてます……」

 溜息と共に、記憶が心を駆け巡る。懐かしいような、後悔の塊のような記憶が。

「……俺が、意地を張ったのが悪いんだ」

 ぽつりぽつりと、一言ずつ、慎重に選びながら。

「その一件から心配だからって、あいつは俺の横につくようになった。俺もそれはよかったし普通に親友で幼馴染みって関係だったんだけど……高校受験の時に、俺、あいつにひどい事言ったんだ」

「ひどい言葉……?」

「あぁ、ちょうど進路決定の時でさ、みんな殺気立っていたんだ……俺もあいつも」

 その時は、たまたまお互いにイラついていたのもある。中学も終わりがけなのにいまだに俺に対して過保護っぷりを発揮するあいつにも、正直うんざりしていた。

「クラスで思い出作りと度胸試しを兼ねて隣町の廃墟に行こうってなったんだ、馬鹿な話だろ。そこは犯罪を犯した〈キャスト〉がよく隠れているって有名で実際何度も犯罪者が身を隠していたから、海里は俺がそこに行くのを反対したんだ……お前があそこに行っても、足を引っ張るだけだって。だから、言っちまったんだ」

 記憶の産物だってわかっているが、込み上げるのは後悔だけ。俺はそれでも、ゆっくりと言葉を紡ぐ。俺達の関係を決定つける、呪いの言葉を。

 

「お前に俺の何がわかるんだ、わかり合えない癖にって」


 わかっている、今ならわかるさ。もしもお互いに〈キャスト〉だってわかっていない状態で意地を張っていたとしても、わかり合えないなんて言ってはいけなかったことくらい。けど、それでも当時の俺の考えと〈キャスト〉の世界は怖いものだらけなもので、そんな幼稚な言葉しかでなかったんだ。

「それ以来あいつもその言葉を間に受けて距離を取るようになって、志望校は同じ堂野木で一緒に受かって今の関係になったってわけだ……餓鬼だろ」

「灰村くん……」

 憐れむような視線を二人から送られ、反応に困る。

 ここにいるのはみんな〈キャスト〉。

 それぞれが何かの苦しみを抱え、悲しみを知っているはずだ。

「そのね、灰村くん」

「ん?」

 どこかよそよそしく香嶋に名前を呼ばれたと思うと、何やらもじもじしながら俺の事を見ていた。

「どうした?」

「あの、ね」

 まるでイタズラを母親に謝る子どものように下を向くと、小さく溜息をついて首を小刻みに横に振る。それこそ、何かを決意するように。

「きっと長日部くんも、話せばわかってくれると思う……だって、それは私達〈キャスト〉の宿命だから」

「……慰めてくれてありがとう」

「ちが、私は」

 きっと彼女は彼女なりに、気にかけてくれたのだろう。それがなんだか申し訳なくて、俺はそれ以上何も答えなかった。

「しかし灰村」

「はい」

 今度は何かと思えば、呂中先輩からで。

「そもそもとして、君はどうして誘拐されそうになったんだ?」

「なんだ、その話か」

 それなら簡単な事、むしろ今では笑い話にしたいくらいだ。

「俺の付けているブレスレットの石って、角度によって色が変わるんです。だから貴重なものだって思って、俺を金持ちだと勘違いしたらしいですよ」

「なんだ、そんな昔から付けてるのか」

「死んだばあちゃんからもらったお守りですから」

 ガラス玉でも大切なこれは、今までもこれからも俺にとっては大切な物で。図書室の蛍光灯に当たり紫色に光を変えるそれが、愛おしく感じた。

「……あぁ、けど」

 そういえば、童話殺しもこのブレスレットに興味を示していた気がする。ばあちゃんは安物だからって言っていたけど、やっぱり色が変わるってのは不思議なのだろうか。

「……もしかして、これが〈アクター〉?」

「どうしたの、灰村くん」

「え、いやなんでもない!」

 別に隠す事はないが、無意識に手を後ろへ回してしまう。


「まさか、まさかな……」


 ***


「んん、そんな怒らないでくれよ、ほら、こうして知りたい事も知れたし……あぁもう、耳に響く!」

『ーー、ーー!?』

「はいはい、君の〈トラウマ〉には助けられたよ、おかげで顔を誤魔化す事ができた。実際の木坂って読み手とは似ても似つかない顔だったけどね」

『……、ーー!』

「悪かったよ、さすがに休んでいる人間の顔はわからなかったんだ」

『……』

「わかった、必ず」

『……ブツッ』


「あぁ、やっと見つけたよ灰だらけ――灰村成くん、だったかい?」

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