13頁:犬と猿じゃ生ぬるい

 旧校舎を抜けた先、普段俺達が授業で使っている本校舎にそれはあった。

「……ここよ」

「おいおい、ここって……」

 変な汗が頬を流れていくのがわかる。わかるよ、わかるさそりゃ。だってそういう状況になってしまう場所にいるのだから。

「さぁ灰村くん、元気に突撃を」

「待て待て待て、考え直せ」

 必死に腕を掴んで止めさせると、どうしてなんて言いながら不機嫌そうな顔を浮かべていた。

「何が悪いの、落し物は人に聞くのも手よ」

「お前の兄貴は落し物なのかよ」

 とんでも兄妹だな、まったく。

「だからって、ここに聞くのは何か違う気が」

「なんでよ、人に聞かなきゃ何も進まない!」

「…………あのな、香嶋」

 だめだと思いこれ以上は強く言わず、なるべく優しく香嶋の肩を掴む。それこそ小さい子どもに言い聞かせるように、目を合わせながら問題の扉にかけられたプレートを指さす。


「そんな……人探しで校長室に突撃する奴、俺は初めて見るからな」


 俺だったらしないぞ、そんな命知らず。

 校長室は交番じゃない。

「だって、校内で一番生徒の情報を知っているのは校長だから」

「けどだってじゃない」

 今日一日だけでわかった事がある。

 こいつは、香嶋は暴走したら止まらない。

「とにかく、最初からチートコースで行くな」

「なんで、ヘンゼルがいるかは聞くのが早いに」

「聞いて何もなかったらどうするんだ。お前は自分から〈キャスト〉である事をバラしただけになるだろ」

 この読み手が大半を占める世界で、俺達みたいな〈キャスト〉は言わばイレギュラーなのだ。バレてしまっては、何を言われるかわからないし何をされるかもわからない。それにその能力故に、今回の俺みたいに童話殺しとかの犯罪者に目をつけられるかもしれない。

 だから〈キャスト〉は、なるべく息を潜めて生活をしているんだ。

「……わかったわよ」

 最後の俺の言葉で少しは納得してくれたのだろう、香嶋はそれ以上何も言わず不服そうに目を伏せていた。

「じゃあ、どうするかだな」

 気を取り直して少ない頭で考えているのは、どうヘンゼルを探すのかという事。堂野木高校の中までは絞り込めていても、それでも人数は膨大だ。二人で探したところで、見つかるのはいつになるかわからない。

「何か時間帯とかわかればいいのだが」

「時間ならわかるわよ」

「いや、なんで」

 真顔で言ってしまったよ、なんで。

「昨日は部活が早く終わって、一度帰ったのよ。けど途中部室に忘れ物したのに気づいて戻ったら、下駄箱に手紙が入っていたの。部活が終わったのが五時、学校へ戻ってきたのが六時前だから、時間はその一時間かな」

「それを! 早く言え!」

 一歩どころか五歩前進の話ではないか!

「そんな、関係ないかなって」

「あるある、大ありだよ」

 ヒントがないよりは全然いい、これでかなり人数も絞り込めたと思う。

「その時間にいるとしたら、運動部がサッカー部とバスケ部陸上部、文化部なら吹奏楽部と演劇部くらいかな……」

 六時前となると、残っているのは大方真面目に活動をしている部活くらいだ。そこを狙えば、話が早い。

「けど私、その部活に知り合いなんていないからどうすればいいかわからないわ」

「そこは俺に任せろ、運動部なら顔は通っているし陸上部だって……あっ」

「灰村くん?」

 やばい、すごいあっさり言ってしまったが陸上部なんて今の俺には地雷でしかないじゃないか。どうしてそこで大見得張ったんだ、数秒前の俺。

「陸上部だって、どうしたの?」

「…………心当たりなら、ない事もない」

 だめだ、誤魔化せそうにもない。

「あらちょうどいいじゃない、それならその人に」

「すっごい不本意だけどな」

 嫌な事は嫌だが、これくらいしか俺のできる事はない。

「……わかったよ、行くか」

「やだ灰村くん、目がこの上なく死んでいる」

 途端に重くなった胃と不思議そうに俺を見つめる香嶋を連れて、俺は地雷原へ向かって歩く事しかできなかった。


 ***


「えっとまずはどこの部活に……あれ?」

 授業が終われば部活動のみでしか使用されない運動場はひどく殺風景で、そこには砂を踏みつける足音しか聞こえない。

 けど、違う。俺は疑問に思ったのはそこではない。

「なんか今日、活動している部活少なくないか?」

 普段ならサッカー部と陸上部が活動している運動場に、今は陸上部しかいない。

「休みなのかしら」

「いや、あのサッカー部が平日に休むとは……」

 堂野木高校のサッカー部は、地区の中でもかなり強く練習熱心なのが評判だ。そんな部活が、晴れた日に休むとは思えない。

「ねぇ、灰村くん」

「ん?」

 服の裾を引っ張られそちらを見れば、そこには薄い紙を俺に差し出す香嶋がいて。何の紙かわからず慎重に受け取ると、どうやら運動場の使用予定表のようだ。

「これ、落ちてたわ」

「……あぁ、今運動部も大会で忙しいからな」

 よく見ればサッカー部の欄には今週一週間練習試合という字が躍っており、今日もそれであるのは容易に想像できる。つまり、昨日も含めてこの場には陸上部しかいなかった事になる。

「運動部は大変ね……」

「運動部はって……香嶋は、何の部活だよ」

 さっきから部活がと言っているが、何の部活か謎なのが本音だ。

「なに、知りたい?」

「いや、いいです」

 明らかに話がややこしくなりそうだからな。

「そんな変なのじゃないわ、茶華道よ」

「……へぇ」

 ごめん、意外すぎて感想がそれしか出ない。

 だってそうだろ、これだけ余裕綽々で自由奔放な奴が茶華道なんて、正直想像できない。

「そういう灰村くんは、研究会に入る前何やってたの?」

「俺?」

 まさか俺も聞かれるとは思っていなく、目を丸くする。そんな聞いてもつまらないぞ、俺の部活は。

「ねぇ、教えてよ」

「俺は……元バスケ部からの帰宅部で、現ハツカネズミ研究会居候」

「かなり異色ね」

 そうだな、本人が一番思っているさ。

 軽く答えて周りを見ても、やっぱりいるのは陸上部だけで。

 これ以上はここにいても意味がないと思い、くるりと身体を校舎の方へ向ける。意味がないどころではない、あいつがくる前にいなくならなきゃ。

「さぁ、サッカー部がいないなら知りたい事もわからないだろ。次行くぞ」

「まだ陸上がいるじゃない」

「やだよ、あんな震源地」

 本音が思わず口から飛び出したが、それでもなんとか香嶋の心を運動場から遠ざけようと話を逸らす。

 長居はだめだ。あいつに見つかったら、俺はどんな顔すればいいかわからない。


「何やってんだよ」


「げっ……」

 とか言っていたら見つかってしまったよ、地雷原のど真ん中に。

「ひやかしなら帰ってくれよ」

「そんな理由で会いにくる暇、俺にはない」

 売り言葉に買い言葉。背後から聞こえた声を睨みつつ振り返ると、そこにいたのは印象的なマフラーを外し陸上のユニフォームに身を包んだ海里で。あぁ、今日も人がよさそうな仮面を貼り付けているよ、こいつは。

「あら、長日部おさかべくん」

「なんだ、香嶋も一緒だったのか」

 どうやらこの二人、仲はそこまで悪くないようだ。よかった、これなら無理に海里と話さなくてもいい。

「で、今日はどうしてここにいるんだ、元バスケ部の成くん」

 だめだ、無理やり話を振ってきたぞ。

「別に、お前には関係ない」

「それがね長日部くん」

「おい香嶋」

 そんな簡単に話そうとしないでくれ、俺の心に影響が出る。

「その、昨日下駄箱の辺りで不審な行動をする人はいなかったかなって思ってね。運動部って下駄箱見えるから、何か知っているかなって」

「なんでまた、下駄箱なんて」

「ちょっとね、いわゆるラブレターの犯人探しよ」

 あの内容でラブレターとは、えらくポジティブだな。俺なら心折れるぞ。

「下駄箱か……とは言っても、俺達も部活で忙しいからな」

「はいはい、じゃあ俺達はこの辺で」

「残念だが話は終わってないぞ馬鹿成」

 切り上げようと海里の横をすり抜けようとした俺を、そんな意地悪な言葉が遮る。

 なんだよと睨めば、海里は仮面が剥がれ落ちた顔で俺と香嶋を見ていて。

 

「確かに俺達は忙しいが、見ていないなんて一言も言っていないだろ」


「教えて!」

「ちょ、香嶋!」

 いきなり海里に掴みかかった香嶋は、目を見開いて声を荒らげていた。すかさず止めようと手を伸ばすと、海里が俺を見つめながら首を横に振っていた。

「成は見てろ」

「っ……」

 なんだよ、カッコつけやがって。

「落ち着け香嶋、俺は逃げないぞ」

「……そうね、ごめんなさい」

 海里になだめられると、香嶋は肩をすくめて目線を下に落としていた。

 香嶋が静かになったのを確認すると、海里はお得意の人の良さそうな笑顔を貼り付けて右手で指を三本立て、それじゃあ、と言葉を続ける。

「俺が見た限りだから断言はできないが、いたのは三人。一人目は俺のとこの二年だが、後ろ姿だけだから誰かはわからなかった。二人目はバスケ部、正直誰かはさっぱりだから成にでも聞いてくれ」

「俺もさっぱりだよ」

 二年の頭まではいたけど人数だって馬鹿にならない、悪いけどこれだけじゃ絞り込めないぞ。

「あぁそれからもう一人……こいつは背格好的に二年か三年だと思うが、制服を着ていた」

「……となると、文化部か」

 答えが見えてきたなら後は早い、その三人を探せばいい話だ。

「よし、行くぞ香嶋」

「え、ちょっと、せっかく長日部くんが教えてくれたのにお礼くらい」

「あー、気にするな香嶋。俺達はこれが普通の関係だから」

 香嶋を前に歩かせて、海里に背を向ける。早く離れなきゃ、心が壊れてしまいそうな気がした。

「……けど、成」

「……なに」

 突然呼び止められたのがひどく不快で、顔をしかめる。

「深入りはするなよ」

「……お前に心配されても、嬉しくない」

 吐き捨てるように言葉を投げつけ、先に校舎に戻っていた香嶋の後を追う。

「話、終わった?」

「……あぁ」

 表情に出ていたかもしれないけど、香嶋は何も言わなかった。むしろ頬が緩んでいて、ニヤニヤと俺の事を見てくる。

「なんだ、灰村くんと長日部くんって仲いいのね」

「今のでどうしてそう思えるんだ」

 節穴が過ぎるぞ。

 そんな節穴はいたずらっぽく笑うと、だって、と言葉を続けてくる。

「長日部くんの言葉、暖かかったから」

「…………まさか」

「男子達から聞いてるよ、二人は仲悪いって」

「……色々あるんだよ」

 これ以上は言いたくないというオーラを出せば、察してくれたのかふぅん、とだけ呟いて深く聞かれはしなかった。

 けど、話の意図が読めないのは逆に気持ち悪く、思わず香嶋に手を伸ばす。

「……あのさっ、香嶋」


「カシャカシャー! スクープです!」


「…………え?」

 なんだ、今の騒音。

「なんとなんと、香嶋先輩のお相手は歩く校則違反と名高い灰村先輩!? スクープだー!」

「誰が歩く校則違反だ」

 言いたい事はたくさんあるがまずはそこだ、誰だそんなあだ名を付けた奴は。

 後ろを見ると、そこにはさっきまでいなかった人影が一つ。


「にひ、真紅様にかかればなんでもスクープです!」


 俺に向かって満面の笑みを向けるそいつは、制服の上から赤いポンチョを羽織った人の事を言えないレベルでの校則違反だった。

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