11頁:理不尽耐性ゼロ

 ヘンゼルとグレーテル。

 グリム兄弟出典の童話で、元はヘッセン州にある民話の中の一篇とされている。


 舞台は大飢饉に見舞われる中世ヨーロッパ、兄妹であるヘンゼルとグレーテルは貧しい木こりの両親と共に暮らしていた。

 しかしそんなある日、とうとう生活に限界を感じた母親が父親に切り出す。


 子どもを、森へ捨てようと。


 森へ捨てられると知った二人は協力して捨てられた後でも帰れるよう対策をするが、努力も虚しく帰れなくなり森の中でお菓子の家へたどり着く。そこは怖い魔女の家で、魔女は兄のヘンゼルを太らせ食べようとするが機転を利かせ魔女を逆に殺し家から財宝を持ち出す。

 その後二人は無事家に帰ると母親はすでに死んでおり、後悔の念に駆られていた父親と和解。二人が持ち帰った財宝でお金持ちになり、平和に暮らしたとさ。


 ***


「改めて、私は香嶋錫かしますず。グレーテルの〈キャスト〉よ」

 夕焼けに染まった光が差し込む、そんなハツカネズミ研究会で。

 香嶋は教室とは別人のような微笑みを浮かべながらも優雅に、月乃の淹れた紅茶を口へ運んでいた。

「うん、月乃先輩の紅茶は今日も美味しいです」

「本当に? 月乃嬉しい!」

 確かに美味いのは認めるが、この黒さに物怖じせず口をつけるのも尊敬するよ。

「で、王様。ヘンゼルはどこよ」

「落ち着け、せっかちなグレーテルは嫌われるぞ」

 内容がまったくと言っていいほど読めない会話に首を傾げていると、あのね、と俺でやっと届くだろう月乃の声が耳元で聞こえた。

「すずりんね、読み手の世界に生まれてからずっと別れっちゃったお兄さんを探しているの。それで月に一度、こうして手がかりはないかってかいちょーのとこにくるんだよ」

「兄って言ったら……」

 グレーテルの兄と言ったら、ヘンゼルだろう。

 妹思いで、賢い少年。てっきり兄妹などの〈キャスト〉は近い存在で生まれると思っていたが、どうやらそうでもないらしい。

「私はずっと、ずっと探してきたわ。堂野木ならヘンゼルもいるかもと思ったのに全然いないし、頼りの王様はちっとも見つけてくれない」

「まぁそう言うな、研究会も仕事はきちんとやっているのだから」

「仕事……?」

 今までトランプや散歩をしていて、どこが仕事なのだろうか。

 俺からしたら遊んでいるようにしか感じないぞ。

「怪しんでいるだろ、灰村」

「ソンナコトナイ」

 嘘、めちゃくちゃに怪しんでいるよ。

 だってそうだろ、少なくともこの一週間遊んでばかりじゃないか。

「じゃあ収獲の一つや二つ、あってもおかしくないわよね」

「お菓子の家育ちはどうしてこうも待つ事ができないのかね」

 一触即発という言葉がお似合いの部屋で、会長と香嶋は腹の探り合いをするかのようにくすくすと不気味に笑っていた。あぁもう、空気がだめだ。

「残念だが大きな進歩はない。いつも言っているだろ、何かあったらすぐに連絡すると」

「けど、ヘンゼルはここに……堂野木高校にいる」

「そんな証拠もない事で僕達も動けない」

「私だって、根拠なく言っているわけない!」

「っ……」

 今まで読み手として過ごしてきた俺にとっては、追いつけない空間だ。なんだこれ、あまりにも怒涛で激しすぎる。

「だいたい急に慌てておかしいぞグレーテル、いつもなら何もないと聞いた時点で引き下がるじゃないか」

「それじゃ、だめなの!」

 ビリビリと、鼓膜と心に叫び声が響いた。

 教室なんかじゃ絶対聞かないであろうその声は悲痛で、悲しみすら感じる。これが彼女の、本当の姿。

「私ももう待てない、時間がないの」

「香嶋……?」

 時間がないだなんて、彼女は何に追われているのだろうか。それがストレートに聞けなくて、俺は香嶋を見つめるしかできない。

「……ごめんなさい王様、急に叫んだりなんかして」

「いや、構わない。僕こそ成果が出せず申し訳ない」

 我に返ったように香嶋は俯くと、さっきまでの勢いはどこへやら。眉を情けなく八の字にして目線を下へ落としていた。

「けどこれだけは言えるの、ヘンゼルは近くにいるって」

「……何か、心当たりがありそうだな」

「私だってヘンゼルの妹よ、頭はそこそこ賢いわ」

 ここでその発言が出るのは相当の自信家だろ、なんて事は絶対言わないぞ。言わない、俺は言わないからな。

「わかった、僕達も今まで以上に力を入れる。それと真紅しんく辺りに確認しよう、彼女なら何かしらの情報が入っているはずだ」

「しんく……?」

 聞き覚えのない名前に、顔をしかめる。 

「そっか、なるるんはまだしーちゃんに会ってないね!」

 会ってない、の一言で粗方想像はつく。きっとハツカネズミ研究会のメンバーなのであろうその真紅という奴は、なにやらかなりの情報通のようだ。

「真紅は新聞部の一年生だ、研究会では主に情報収集を担当している」

 会長から飛んできた言葉は簡単な説明だったが、俺にはそれだけで言いたい事がわかった。

 新聞部の噂は、有名なものだ。

 堂野木高校の中でも変人揃いの部活であり、謎の多い部活。基本的に校内新聞の作成がメインだがそれすらも奇抜で、あまりにもマニアックなものばかりだ。

 実例で話すと文化祭の時どうしてか一面になったのは出し物ではなく、教頭のカツラが飛んだ事。そもそもとして俺達生徒は教頭がカツラであったのも知らないし、飛んだのも知らない。本当に、どこでその情報を仕入れてきたのだ。

「新聞部なら、確かに校内の〈キャスト〉にも詳しそうだな……」

「詳しいよ、だってしーちゃんがいるもん!」

「だからしーちゃんって誰」

「灰村も近々会えるさ、新しいのが入ったから挨拶にこいとも伝えてあるしな」

「月乃よりも明るくて楽しい子だよ!」

 会いたくねぇよ、そんな会長と月乃よりもとんでもな奴。

「で、君はどうするんだい? まさか僕達ばかり働かせて、自分は見ているだけなんて言わないよな?」

 話を振られたのは香嶋で、どうしましょうねなんて他人事で笑っていた。いやまじかよ、聞いてる限りお前のまいた種だろ。

「冗談よ、灰村くんもそんな顔をしかめないで」

「俺、顔に出てたか」

「感情に正直ですもの」

 悪かったな、正直で。

「私もそんなに馬鹿じゃないわ――ね、灰村くん」

「何が、痛っ!」

 突然腕を掴まれたと思えば、香嶋の顔が目の前にあって。鼻と鼻がくっついてしまいそうなくらいの近距離に、思わず耳が熱くなる。

「ねぇ王様、灰村くん借りていい?」

「いや、その許可は会長じゃなくて俺に!」

「灰村くんならきっと、助けてくれるよね?」

「い、いや俺は……」

 クラスで話題の女子生徒にこんな近距離でお願いされては、断るに断りにくい。助けてくれるよねが何を指しているかはさっぱりだが、よくない事なのは目に見えているぞ。

 ならばと思い助けを求め会長へ目をやると、そいつはブツブツと口の中で言葉を転がして何かを考えているようだった。

「……しかし、うん、そうだな」

「おい会長、見捨てるな」

 返事が返ってこないのは悲しいものだ。

「……そうだな、うん」

「おい、何が」

「よく聞け灰村」

 話を遮るように投げられた言葉に首をすぼめると、スッポンみたいだなって笑われた。素直に張り倒したい。

「まぁ怒るな、僕はお前に頼みたい事があるんだ」

 嫌だよ、お前の頼みなんて。この一週間で会長のそういう言葉は災いの始まりって学んだんだ。

「ちなみにここに件のボイスレコーダーがあってだな」

「定期的にそれで脅すのやめろ」

 本当に、一週間前の自分を恨んでいるところだ。

「じゃあ灰村、頼みなのだが」

「……なんでしょうか」

 聞くだけは聞いてやる、受けるかは別だけどな。

 さぁこい、ここまで理不尽な事だらけだったのだ。ちょっとやそっとじゃ驚かないぞ――


「今日一日でいいからヘンゼル助けを手伝ってやってほしいのだが、ふむ、受けてくれるのかありがたい!」


「…………は?」

 前言撤回、そんなジェットコースターで話されては驚くわ。だって、今勝手に話を完結させたよな。

「言っただろ、ここは〈キャスト〉の相互扶助団体だと。たまには手伝え」

「いや、たまにはってお前こそ何もしてないんじゃ」

「わかってるじゃない、王様」

「いや、俺はまだ何も!」

「さすが灰村くんね!」

「だかっ、俺は何も!」

 俺の話なんて聞かぬふり。

 二人は和気あいあいと話しながら、これからのヘンゼル探しについての打ち合わせを始めてしまう。


「はは……まじで勘弁してくれ」


 この世は童話より奇なり。

 ぴったりと俺にくっつき笑う彼女を横目に、思わずそんな事を考えてしまった。

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