7頁:俺の事を聞いてくれ
「……で、結局くるんだよな」
普段なら教室で適当に喋ってから帰りの準備をしているであろう、そんな時間に。俺は一人、校門とは反対にある旧校舎に続く渡り廊下を歩いていた。
違う、嫌なら全然断って問題ない内容だったんだ。あんな変人みたいな奴とバズーカ女、考えなくても無視していいのはわかる。だってそうだろ、俺とあの二人はしょせん昨日からの付き合いだから。
それでも俺が旧校舎へ向かうのは、知りたい事が沢山あるから。
「別に、脅しに屈したわけじゃない……」
嘘ついた、少し脅しが怖いってのもある。
「……俺の、〈トラウマ〉」
あの言葉の意味が、〈トラウマ〉とは何かが知りたい。知りたがりなのはよくないってわかっているが、このままでは何も変われない気がするんだ。
今よりも、前に。
今日よりも、強く。
そうすればきっと、〈トラウマ〉に苦しむ事も少なくなるだろう。
「……けど、本当に嘘みたいだな」
昨日の出来事と記憶は、まるで絵空事のように俺の頭を駆け巡っている。まるで遠い記憶のようで、ぽっかり空いた心の穴は昨日の会話なんてほとんど鮮明には覚えてくれていない状態だ。
あぁ、違う、嘘をついた。
別れ際に会長と名乗るあいつが呟いたある一言。どうしてだかそれは、おぼろげな記憶の中でもはっきりと残っていて――
「けど、近くの猫には優しくしろって……」
何を指していたのかは、いまだにわかっていない。
きっと童話殺しに〈トラウマ〉を見られるきっかけとなったの猫の事だろうとは思うが、それでも何かが心に引っかかり悲鳴をあげている。
「猫……ねこねぇ」
「猫が、なんだって」
「うおお!?」
突然後ろから知らない声がかけられ、俺の口からありえないくらいに高い声が漏れ出る。
誰かと思い足を止めれば、そこにいたのは一人の男子生徒で。
「……
「帰宅部が、どうして旧校舎の方にいる」
制服に季節を無視した紺色のマフラー、整髪料でくしゃくしゃになった茶色の髪と深い緑の瞳が印象的なそいつは、まるで俺を馬鹿にするような目でこちらを睨んでいた。
「別に、俺がどこにいたってお前には関係ないだろ」
憎まれ口を叩きながらも目線を逸らし、旧校舎に向かい止まっていた足を動かし始めた、が。
「話を聞け」
「ぐえ!」
後ろから首根っこを掴まれ、強制的に歩くのを止められてしまう。高校二年生の平均身長を優に超えるそいつの力はあまりに強くて、俺は思わず顔をしかめた。
「なんっ、だよ……」
「……」
文句の一つでも言ってやろうとぐるりと後ろを見れば、目に入ってきたのは想像とはかけ離れた海里の表情で。
「……かい、り?」
「……」
無言なのがひどく不気味な、今にも泣きそうな顔。
見れば見るほど悲しさや虚しさ、雑踏が入り混じっていて。俺の心の方がどうにかなってしまいそうで、自分の目が泳いでいるのが見なくてもよくわかった。
「……た」
「……え?」
「会長に、何を入れ知恵された」
「は、なんの話」
「とぼけるな」
まだ暑いにはほど遠い渡り廊下は涼しいはずなのに、どうしてだか吹き抜ける風は寒いくらいで。俺と海里の間を、するりと抜けていく。入れ知恵なんてそんな、された覚えがない。
「昼の事だ、会長は明らかにお前を気に入っている」
「お前には関係が」
「言え」
「っ……」
言葉が、詰まる。
素直に言うべきかとかそんな簡単な話ではない。どう言えばいいのか、どう説明すれば納得してくれるのか。それが何一つわからず、俺は無意識に視線を冷たい廊下の方へ落としていた。
「海里こそ、なんだよ、あの会長とどんな関係だよ」
そんな、絞り出した言葉はどうにもならない天邪鬼で。
「俺の事はいいんだ……お前だよ、成」
もう何年ぶりかすらわからないその呼び方になんだかむず痒く感じながらも、話が見えない俺は目を細めて口を尖らせた。
「別に……この前購買で知り合っただけだ」
「嘘つけ、あの高級気取りが購買で買い物するわけないだろ」
「お前仲いいのか悪いのかどっち」
気にしたと思えば唐突に喧嘩を売り始めたぞ、こいつ。
「あぁもう、いいじゃないかどんな関係だって、誰にも迷惑かけていないだろ」
埒が明かないなと思いつつ吐き捨てた言葉に、海里は俺でもわかるくらいに眉間にしわを寄せて複雑な表情を作っていた。そんな表情されても、俺まで悲しくなってしまうじゃないか。
「お前は……成は頼むから、こちら側にこないでくれ」
「今、なんて……?」
こちら側が何を指すのかはわからなかったが、海里の顔を見てしまってはそれ以上何も言えない。
「……話はそれだけだ」
「……」
半ば強制的に話を切り上げられ、なんだか釈然としない。小言の一言でも言ってやろうかと思ったが、それを邪魔するように校内に響き渡ったのは無機質な鐘の音と海里の足音で。
「やぁ、待ちくたびれて迎えにきたよ、灰村成」
「なるるんお迎えー!」
「どわあ!?」
訂正、後ろから胡散臭い眼鏡とバズーカ女の声もした。
「話しかけるなら先に一言!」
「なるるん、一言かけるのですでに話しかけてるよ」
月乃は本当に、変なところで冷静になるからリズムを崩される。
「ところで灰村、さっきの彼は」
「さっきって……あぁ、海里か」
不意に振られた話題はあまり答えたくないものだったが、ここで答えないのも何か違うだろう。
「ただの幼馴染みだよ。幼馴染みで……今は同じクラスの犬猿の仲、ってやつ」
「喧嘩でもしたのか?」
「まぁ、そんなもん」
これ以上触れてほしくないオーラを出しつつ首を縦に振れば、察したのか詮索はされなかった。逆にその様子がやけに引っかかり、首を傾げる。
「何をやってる灰村、早く行くぞ」
「ごーごー!」
けどそれも、一瞬の事。
二人の昨日と変わらない自由な態度を前に、俺のそんな気持ちはどこかへ飛んでいってしまった。
「……って、どこに?」
「なるるん空気読んで」
「読めるか馬鹿野郎」
そもそも、旧校舎にこいって言われただけでそれ以上は何も聞いていない。ならば、俺にどう察しろと言うのだ。
「そうだな……じゃあ月乃、案内しようか」
ふわりと優しげに笑う会長の表情は、理由を知ってしまえばまったく優しく見えない。あぁやばい、これは貧乏くじを引いたかもしれないぞ。
会長は俺に目を合わせ不気味なくらいに口を三日月に歪めると、思わせぶりに口を開いた。それはもう、かの有名なハートの女王みたく厳かに。
「僕達のお城――ハツカネズミ研究会へ」
***
旧校舎の一階、一番奥にある生徒会室から見て一つ手前の部屋に通された俺は、入るなり思わず目を丸くしてしまう。
そこは普通の部室とかではない。
壁一面に並ぶのは童話に関連する書籍達で、それらは天井につくかつかないかというくらいに積み上がり部屋を支配していた。
「すごい……」
「当然だ、全世界の童話がここにあるからな。不思議の国のアリスも、四種類きちんと初版であるぞ」
「もうこれはただの童話ガチ勢では……」
ここまでくると、もう図書館だ。
どこかの異国へ迷い込んだかと錯覚する部屋は、見た目こそ大きな図書館だがかえってそれが部屋の中央にあるテーブルとソファーを浮いたものに見せてしまう。
「えっと、他の人とかは」
「あと二人いるよ、兼部だからおやすみ!」
「まぁ座れ、話はそれからだ」
言われるままに案内されたソファーに腰をおろすと、すかさず出てきたのは黒に近い琥珀色の液体が注がれたティーカップ。そしてその横には、感想を聞きたいと言わんばかりの顔でそわそわしている月乃の姿があった。
「こーちゃ、月乃が淹れたの!」
のんでのんで、なんて言われたら飲むしかない。発言がバズーカだからか若干気が引けるものもあるけど、ゆっくりとティーカップの中に揺れる液体を口へ運ぶ。
紅茶にしてはどす黒い色な気がしたそれは、想像以上に繊細な味で。茶葉の香りや甘さはもちろんの事、その温度はまさに適温で幸福感すら覚えてしまう。
「……あれ、美味い」
「当たり前だろ、月乃の紅茶は世界一だ」
「かいちょー褒めてくれた、好き!」
「なんと言うか、当て馬にされた気分」
紅茶が美味いのは認めるけどな。
「さて、灰村成」
紅茶を半分ほど飲んだ頃だろうか。
名前が呼ばれそちらを見れば、待ってましたと言わんばかりに会長が俺の顔を見ながら奥の大きな椅子に座っていた。
「まずは僕が何者かだな」
「自己紹介はもう散々」
「話は最後まで聞くがいい。灰村じゃないか、僕と月乃が何者か知りたいと言ったのは」
そんな有無を言わせないその言葉に、思わず呼吸まで止まってしまいそうだった。
「僕は堂野木高校生徒会長兼ハツカネズミ研究会会長、宮澤・G・クルト。Gはそうだな――グリムのGと、言っておこうか」
そして、投げられた言葉は確実に俺の思考能力を奪うもので。
グリムって、俺の知っているグリムは一つしかない。
「もっと言ってやろうか、僕のグリムはヴィルヘルムだ」
「おまっ、まさか『あの』次男の子孫か……!」
「いかにも、グリム六兄妹の次男ヴィルヘルム。そしてここは、そのグリムの子孫達が代々守る〈キャスト〉の相互扶助団体だ」
「そうご、ふじょ……」
読み手の常識では〈キャスト〉は自分の正体を隠し生活をしている。助け合いなんてそんな、〈キャスト〉の間に存在するなんて知らなかった。
「そう、だからこそ灰村の話が聞きたい」
「俺、の……?」
「あぁ」
月乃の淹れてくれた紅茶を飲む俺にかけられたのは、かなり直球な質問だった。
「そうだな、例えば〈トラウマ〉に関してとか、ね」
「それは……」
言葉に、悩んだ。
そんな、大層なものではないのだ。大層でなければ、強くもない。
こんな〈トラウマ〉の何を、こいつは知りたいのだろうか。
「そう身構えるな」
俺の気持ちを察したのだろうか。
会長は少し楽しそうに、だが優しそうな笑顔で俺の事を見つめてきた。この表情だけを見ると、こいつは本当に会長なのだなと思えてしまう。いや、実際会長なんだけど。
「何も取って食おうとは思っていない。言っただろ、ここは相互扶助団体だと。何か助けになれるかもしれないぞ」
「月乃もね、かいちょーに助けられたの」
「月乃が?」
小さく笑う月乃はそれ以上何も言わず、首を横に振るだけだった。きっと詳しい内容は聞くなと言う事だろう。そんな冷静にいられては、調子が狂う。
「ここではどの〈キャスト〉も平等。だから、抱え込まなくていいんだ」
「平等……」
綺麗事な言葉さえも耳に入ってくるのは、きっと月乃の様子を見たからだろう。昨日の〈トラウマ〉を見た後でこれでは、疑うに疑えない。
「……そんな事かって、笑うなよ」
だから、少しなら。
別に、会長に影響されたわけではない。これは言いきれる。
「笑わないさ」
「童話の数だけ〈トラウマ〉があるからね!」
対する二人は楽しそうに、きっとどんな事でも受け止めてくれるだろう笑顔を見合わせ笑っていた。
「お前の弱さを見せてみろ、灰村」
そんな強い言葉が憎たらしいくらいに心強くて、なんだか無性に殴りたくなる。
わかったよ、じゃあ聞いてくれよ。終わった後で後悔するなよ、俺の弱くて情けない昔話をさ。
「俺は……」
言葉を選ぶように、俺はゆっくりと前を言葉を紡ぎあげる。
「俺の〈トラウマ〉には――記憶がないんだ」
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