第6話 応急処置

「い、息はあるのかっ――!」


 口元に耳を当てると「スー、スー」とわずかに聞こえてくる。

 良かった、ただ気絶しているだけのようだ。

 しかし、気絶した理由は分からないが、この炎天下だ。

 仮に脱水症状だとすれば悩んでいる暇などない。


「待ってて、今助ける――!」

 彼女を抱き上げてなんとか助手席に乗せると、家へときびすを返した。



――家には意外と早く着いた。

 帰路はタイヤの跡を追って全速力でアクセルをふかしたからか、5分もかからなかった。

 往路に時間がかかったのはゆっくり慎重に探索しながらだったからだろう。


 すぐに助手席の彼女を抱きかかえると「ぐっ」とうめき声をあげた。

 声をあげたのは彼女ではない、俺だ。


「お、重い……」


 彼女は妙に重かった。

 こんな華奢な身体に一体何が詰まっているのか、腕と脚が悲鳴をあげる。

 車に乗せるときは必死であまり気にならなかったが、とりあえず家に着いた安心感からか、より重さを感じる。

 いや、彼女が重いのではなく、ずっと引きこもってたから筋肉がなくなったのかもしれない。

 女の子ひとりまともにお姫様抱っこ出来ない状況に我ながら情けなくなる。


 そこから自室のベッドまでの道のりは異常に長く感じた。

 途中で諦めそうになりながらもなんとか運ぶことに成功した。


 よし、あととりあえずは水分か?いや待てよ……

 意識の無い相手に水を飲ますと、気道に入ってしまって危険だと何かの本で読んだことがある。

 それよりも今は、炎天下に晒された身体を冷やす事のことの方が先決かもしれない。

 確か冷蔵庫に氷があったはずだ。


 ガバっと冷凍室を開けると、大量の水滴がポタポタと垂れ、中にあった冷凍うどんやアイスはもうほとんど溶けかかっていた。

 当たり前だ。周りに電気を供給する電柱はなかった。

 どうりでエアコンもつかなかったわけだ。


 かろうじて残っていた氷とミネラルウォーターをビニール袋に入れ、タオルにくるんで彼女の額の上に置いた。


 数分待ってみたが、まだ意識は戻らない様子だった。

 彼女はときおり、「んっ」と唸りながら苦しそうな表情を浮かべている。

 このままでは危ないかもしれない。

 えーっと、あとはなにか冷やす方法は……

 と言ってももう氷は無いし、点滴があるわけでもないし……


「あ!そうだ!」


 何かを思い出したかのように叫ぶと、本棚から「覚えておきたい医療の知識~こんなときどうする!?~」という本を手にとった。

 ペラペラとめくると熱中症の項目があった。



―――――――――――――――――――――

~熱中症の応急処置でたいせつな3つのポイント~


ポイント1 涼しい場所に移動しましょう

まずはクーラーが効いた室内や車内に移動しましょう。

屋外で、近くにそのような場所がない場合には、風通りのよい日かげに移動し安静にしましょう。


ポイント2 塩分や水分を補給しましょう

できれば水分と塩分を同時に補給できる、スポーツドリンクなどを飲ませましょう。

おう吐の症状が出ていたり意識がない場合は、誤って水分が気道に入る危険性があるので、むりやり水分を飲ませることはやめましょう。


ポイント3 衣服を脱がし、体を冷やして体温を下げましょう

衣服をゆるめて、体の熱を放出しましょう。本人に意識がある場合は脱いでもらって熱を放出させましょう。意識がない場合はできるかぎりのところまで脱がせましょう。汗でべたついている場合などはハサミなどで衣服を切るのもひとつの手です。とにかく熱をこもらせないことが大切です。

―――――――――――――――――――――



ポイント1。

すでにもう室内だ。

クーラーはつかないが窓も全開にしているし、これ以上出来ることはない。


ポイント2。

前に読んだ本ってやっぱりこれだったのか。

でも意識がないから水分を飲ませることは出来ない。


ポイント3。

なるほど、服を脱がすか!確かに熱を発散させるには効果的かもしれない!



………ん?

………脱がす?

………なにを?

………服を?

………どうやって?

………ハサミで?



「ぅへっ!?」

 ようやく状況を理解した俺は、変な叫び声をあげた。

 と同時にダラダラと冷や汗が吹き出してくる。


「どどどど、童貞ちゃうわ!」

 急にどこかの誰かにそう言い訳した。


「で、できらぁっ!」

 どんどんキャラが崩壊していく。


「ふー、ふー、落ち着け。まず落ち着け。」

「……これは、彼女の命を救うためだ。決してそういうよこしまなアレじゃない、分かったか?」

「分かったなら返事をしろ」


「……はい」


「よーし、じゃあハサミを持て!」

「今すぐにだ!」


「……はい!」

 精神の均衡を保つために自分で自分と会話をする。


「はー、はー、よし切るぞー。おーい、切るぞ―?切りますよー?」

 声は届くはずもない。

 気絶した女性を前に、ハサミを持ってはぁはぁ言っている32歳のおっさんの姿は、完全に変態のそれだった。


 彼女は、ボロボロの麻のような生地で出来ている長めのポンチョのようなものを着ていた。

 首元あたりからハサミを入れると、汗が光に反射してつやつやと輝いた、淡い褐色のキレイな肌が見える。

 ダラダラをこぼれる汗が彼女に落ちないように、そして変なところを切らないように最善の注意を払いながら、ゆっくりと下まで走らせた。

 ポンチョの下は同じく麻生地のタンクトップとショートパンツで、細身ながらも適度に筋肉がつき、健康的な身体をしていた。


「ふう…とりあえずはこれで大丈夫…か…」

 数々の困難なミッションに挑戦した俺は、憔悴しょうすいしきっていた。

 過度の緊張と弛緩からか、唐突な眠気に襲われた。


――――――

――――

――


「………と」

「……っと」

「…ょっと」

「ちょっと!」

「あのぅ……ちょっと!」


どこからか声が聞こえる。


「ん、ううん……」

 けだるそうに目を開けると、目と鼻の先にはさっきのかわいい女の子の顔があった。


「うわあああああああッ!」

 思わず叫ぶ。


「きゃあああああああッ!」

 彼女も叫ぶ。


「うわあああああああッ!」

 つられて叫ぶ。


「きゃあああああああッ!」

 つられて彼女も叫ぶ。


 そんな不毛なやりとりを繰り返す中、徐々に冷静になってくる。


「はぁ……はぁ……キミは……気がついたのか……」

「……もしかしてあなたが助けてくれたんですか?」

「た、助けたというか、まあ。あんなところで倒れてたから……」

「……わたしみたいなのをたすけてもらってありがとうございます。」

「……?…と、とにかく助かって良かったよ」


「わたしのなまえはカノ。あなたは?」


「俺の名前はミノル、織田稔だ。」

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