第20話 【NONAME】
目が覚めたら、見慣れない天井だった。
カーテンの端から零れる日差しが顔に当たり、目覚めを促しているようだった。
ティア=オルコットは、上体を起こし周りを見渡す。
周りを白いカーテンで仕切られ、眠っていたベッドは清潔であるがどこか薬品の匂いが染みていた。そこが、学院の医療室という事に気づくのに時間はそうかからなかった。
どうして、自分がここにいるのだろうか。茫然とする頭に浮かんだ疑問。しかし、すぐに答えに辿り着いた。
「っ」
そうだ、思い出した。私は、また力を。
自分がしてしまった事に、途端ティアの顔は青ざめる。震える体を両腕で抱きしめ、顔を両膝に埋める。
一体、今回は何をしでかした。どれくらいの被害を出した。
考える度に体が震えるが、考えずにはいられなかった。
リンに、いらないと言われ、遠ざかっていく背中が両親や芸団の仲間たちを重ねてしまった。
嫌だ、行かないで、と寒気が走り嫌な記憶が頭を支配した。その後のことは、覚えていない。
だからこそ、怖いのだ。自分が気付かない間にどれだけの人を傷つけたのか。どれだけの人を怖がらせたのか。
自分の中に眠る強大な力に、ティアは心が鎖で絡められる思いになる。
「もう、嫌……」
自身の力に嫌気が差して、目頭が熱くなった。
「失礼しま~す」
その時だった。突然、目の前のカーテンが開かれた。
ティアは反射的に目を擦り涙を拭きとる。
「おっ、起きてたか」
「……先輩」
姿を現したのは、チームリーダーであるケイ=ウィンズだった。彼は、ティアの顔を見ると優しそうな柔らかい眼をして微笑んだ。
「体調はどうだ?」
「あ、その、なんともないです……」
「そうか、怪我はしていないようだったがまだ安静にしてろよ。ほれ、朝飯持ってきてやったぞ」
いつもの穏やかな声色で、右手に持つ籠を見せながらケイはベッドの近くに置いてある椅子に座る。籠の中には、サンドウィッチが並べられていた。
「これ……」
時間からして食堂はまだ開いていないはず。一体、どこから調達したのだろうか。
「ちょっと、な。食堂から拝借してきた。誰にも言うなよ? 特に、学院長には」
いたずらっ子のような笑みを浮かべ、人差し指を鼻の頭に付ける。何故だか、年上なのにその仕草のせいか幼く見えてしまう。
「すみません、今、食欲なくて……」
「そうか。まぁ、後で腹が減ったら食べればいいさ」
そう言い、籠を机に置くとケイは、足を組み手を膝の上に乗せた。
「あ、あの、先輩。そ、その……皆は?」
「あぁ、お前らのグループのメンバーは怪我していたけど、全員軽傷だ。一番重傷だったリンも、今じゃピンピンしてる」
「リンが!? あ、あの、重傷って!?」
親友が怪我をしたと聞いて体を前のめりにさせる。ぐいっ、と顔を近づけるティアにケイは思わず背中を逸らした。普段の彼女ならば、異性の顔にこんなに近づける事はないだろうが、親友が怪我をしたと聞いて慌てているのだろう。
「ちなみに、どこまで覚えているんだ?」
「えっ、そ、その……リ、リンと喧嘩しちゃって、それで、リンがどこかへ行った所までは覚えているんですけど。その後は……」
本当は力を行使したという記憶はある。だが、それは無意識で自分がどう力を使ったのか分からない。
あるのは、自分の心の中が吹雪の中にいるかのように寒々とした事のみ。それ以降の記憶は本当になかった。しかし、それを口にすることはない。この力が発覚した際に軍から守秘義務を課せられたので誰にも言えないのだ。
「そうか……あの後、お前は魔獣に攫われてしまってな。リンが、それを追いかけて助けようとしたんだよ」
「なっ、そんな無茶を! 大丈夫だったんですか!?」
「あ、あぁ、間一髪の所で助っ人が登場したからな」
「助っ人……?」
的を得ないケイの言葉に首を傾げるティア。
呆然とする彼女を他所に、ケイは視線をカーテンの方へ向けて言った。
「まぁ、その辺は後であいつに訊いてみろ」
「え……」
ケイの視線を追うとカーテンの隙間から綺麗な紅が見えた。
「何やってんだ。さっさと入れよ」
いっこうに入ってこない相手に、ケイが促す。すると、紅の髪が動き顔を出す。
「……リン」
「……」
カーテンから顔を覗かせる親友の名を呼ぶティア。呼ばれたリンは、喧嘩の事を思いだしたのか気まずそうにティアから目を逸らす。同様に、ティアもどこか気まずそうな表情を浮かべた。
両者の間から流れる微妙な空気。互いに目を合わせようとせず沈黙する。
「リン」
「……う」
そんな空気にやれやれと嘆息つくとケイはリンの名前を呼ぶ。ケイから呼ばれたリンはどこか苦々しい表情を浮かべ、カーテンの内側へと入ってきた。
ベッドの傍まで歩み寄り、ティアを見下ろす。その間も、ティアは顔を俯かせてリンを見ようとしない。彼女の態度に、リンは少なからず心が痛む。自分がやった事とは言え、親友に素っ気なくされるのは中々辛いものだった。
リンは一瞬、ケイを見やる。視線から助けを求めているように思ったケイであるが、顎をクイクイ、とティアに向ける。要約すると、さっさと喋れという事だろう。
救援が認められず、さらに顔を歪めるリン。諦めて一度深呼吸をすると、口を開いた。
「……ティア」
「………」
親友の名前を呼ぶ。たった一日しか経っていないのにその名前を言うのは懐かしく思えた。
しかし、返答はない。ティアはなおもリンと目を合わせようとしなかった。
けれど、リンは次の瞬間、勢いよくその場で頭を下げた。
「ごめん!」
「……え?」
突然頭を下げるリンに、ティアは唖然とした。
リンは続ける。
「実は、ティアがユイにチームに誘われていたのを聞いて。それで、私、ティアがこのままじゃ成績が危なくて。それで、その、ユイのチームに入れるようにしようと……」
「えっ、えぇと、それじゃ、私のこといらないって……」
「あ、あれは、ああ言えば私から離れると思って」
「つまり………嘘?」
「……う、うん」
「そうなんだ……」
あれ、反応が薄い? ケイは予想とは違う反応を示すティアに目を丸くさせる。
リンからティアと喧嘩したと言う話を聞いた際に、即座に仲直りさせるように指示した。恐らく、今回ティアが能力を発動されたトリガーがそれだと判断したからだ。
優しい嘘でも、彼女にとってはそうではない場合のデメリットがデカい。そういういざこざは即座に取り払う必要があった。
ティアの誤解を解き、リンが謝れば問題は解決する。そう、思っていたのだが。
しかし、ティアは笑顔を浮かべるどころか逆にきゅっ、と唇を固く結んだ。まだ、怒っているのだろうか。
けれど、ケイの予想はまたもや外れた。
「……そうだったんだ。私、嫌われたのかとばかり。私の方こそごめんね、リンを不安にさせちゃって」
「違うの、私が勝手に……」
「ううん、リンは私の為を思ってしてくれたんだもん。ありがとう」
「ティア……「でもね」」
リンの言葉を遮るように、彼女は続けた。
「私、チーム抜けるよ」
「……えっ」
静寂が、場を支配する。
ティアが発した言葉に、リンは一瞬理解が追い付かず呆然とした。
ケイは黙ってその場を見守る。
「どう、して。私のこと、まだ怒ってるの?」
「違うの。そうじゃないの」
「だったら……」
「でもね、私がこのまま一緒にいたらまた迷惑かけちゃうから」
「そんな! 迷惑だなんて」
語気が荒くなるリンに、ようやく顔を上げたティアは笑いかける。優しく、それでいて儚かげな微笑みに、リンは心を鷲掴みされたような錯覚に陥る。
だが、それがいい。一瞬の逡巡の後リンはそう結論付ける。
何故ならば、自分は落ちぶれだから。成績が危うい劣等生だから。
また、今回のようなことがあったら自分は彼女を守れるのだろうか。答えは否だ。だったら、ここは潔く身を引くのが正解なのではないだろうか。
否定する材料もなく、引き留める言葉を持ち合わせていないリンが静かになる。それが、答えと受け取ったのかティアはまた優しく微笑む。それが、どこか寂しそうに見えたのはきっと勘違いではないだろう。
「……リン、あとティアもよく聞け」
音を失くした医務室で、重々しい声が響く。
二人の視線が、椅子に座るケイに注がれる。これまで場を静観していたケイは、姿勢を保ったまましっかりと後輩の眼を見てハッキリと告げた。
「ちゃんと本音を喋れ」
優しく、でもどこか叱るような眼で二人を見るケイ。その瞳に当てられて彼女たちの顔も強張る。
親が子どもに説教するようにケイは言葉を投げる。
「お前らの会話には、全然意志が感じられない。相手を思い合うのは大変立派だが、謙虚なのと卑屈なのは違うという事を言っておく」
返答も、反論もない。恐らく、ケイの言葉が図星だったのだろう。
困惑顔の二人に、ならばとケイは口を開いた。
「俺は、ティアが抜ける事は認められない」
「……先輩」
「リン、お前はどうなんだ? このままティアが抜けて本当にいいんだな?」
促されリンは黙り込む。しかし、次の瞬間ギュッ、と拳を強く握りしめると顔を上げティアを見た。その瞳から、迷いはとうに消えていた。
「私は……私は、ティアと一緒にいたい! 成績とか、そういうの関係なくティアとチームでいたいの!」
「……リン」
「だから、抜けないで! 一緒にいてよ!!」
だいぶ気力を消耗させたみたいで、そこまで大きな声を発していないのに息が上がるリン。ケイは、彼女の放った本当の気持ちを聞くと呆然と聞き入っていたティアを見る。
「それで? ティアはどうなんだ?」
「わ、私は……」
視線が泳ぎ、彷徨う。行き場のない眼は右へ行き、左へ行きと忙しなく動いていた。
「で、でも、わ、私が居たらまた二人が危険に……」
「そんなもの、チーム組んで依頼受けていたら危険な事の一つや二つはあるだろうう。ティアに限った話じゃない」
「そ、そういう事じゃなくて……」
「ティア、俺はお前の本音が聞きたいんだよ」
リンとケイ、二人の視線がティアを捕らえる。逃げる事を許さず、許容しない強い瞳がティアをがんじがらめにさせる。
本音、私の本当の気持ち。
これまで、自分はどれだけ人に迷惑をかけず過ごすのかを考えてきた。消えてしまいたいと思った事は数えられない。きっと、これから先彼らに迷惑をかけることがあるだろう。そして、幻滅され、失望される日も来ることがあるだろう。それが、とんでもなく怖い。
それでも。
たった一つ、願いを言っていいのなら____
私は
「私は……」
リンと
「私は……」
「一緒にいたいです」
ポロポロ、とティアの眼から水滴がいくつも零れる。
溢れた思いは、もう歯止めが効かなくなった。
「リンと、ぐずっ、一緒に、いたいよぉ~~」
「……うん」
止まることのなく流れ続ける涙。ぐちゃぐちゃな顔で、口にした彼女の心からの望み。
リンは小さく頷くと親友の肩に手を添え、優しく抱きしめた。制服が濡れることなどお構いなしに、ティアの背中を母親のように撫でる。
「ティア、リン」
ようやく聞けた彼女らの本音を黙って聞いていたケイは二人を呼ぶ。
リンはティアを抱いたまま視線だけ寄越し、ティアはいまだに止まらない涙で顔を濡らしながらもケイを見る。
「どれだけ大変な目に遭おうと絶対に、仲間を見捨てない。それが、このチームのルールだ」
ゆっくりと、彼女たちの心に響かせるようにケイは言葉を紡ぐ。
「これを守れるか?」
紡がれた言葉に、二人は真剣な表情を見せ。
まるで、自分に言い聞かせるかのようにこれまで聞いたことのない強い意志を乗せて言った。
「「はい!」」
「よしっ、それじゃ、改めて……」
元気のよい返事を聞いて笑いながらケイは宣言する。
小さき英雄志望者と唯一無二の力を持つ魔法使い。
そして、夢想の騎士によるチーム。
「【NONAME】、再スタートと行くぞ」
名無しのチームが発足されたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
指令書。
本日より諜報機関【
乞はこれより、とある対象の監視及び、観察についてもらう。詳細な期限は確定していない。対象の詳細などは直接言い渡す。
なお、この任務は完全単独行動となり、任務内容を部外者また、対象にも極秘とする。
この任務は最重要案件とされるものとし、途中でこれを放棄することは許されない。
しかし、これに例外を設ける。
対象が王国及び諸外国に害を為すと乞、または機関が判断したならば、その時は__
抹消せよ。
以上、乞の働きに期待する。
悪夢なき夜を王国に。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
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