第21話 【黄金林檎】


 そこは、夜か昼か分からない怪しい世界。毒々しい霧が漂い、命を散らした木々が並ぶ森林だった場所。地面は割れ、湖は沼と化し明りなど存在しない、生命などとうの昔に失われた。

 そんな、あの世のような場所に建つ城。元は豪華絢爛で美しき装飾が施された外壁を持っていただろう廃墟。そこの最も高い部屋にその人物がいた。

 寝巻姿で座り心地のよさそうなソファーに座り、膝の上で微睡む黒猫を撫でながら空いた手に持つワインを飲む男。

 部屋の主であろうその者は、空となったグラスをテーブルに置きゆっくりと深く背を預ける。その所作は、まるで貴族のように気品溢れるものだった。


「失礼します、主様」

「どうした」


 男だけだった部屋の影から、別の声が聞こえる。だが、男は驚く素振りを見せず慣れたような振舞いで返答する。


「たった今、同志から通達がありました」

「言え」


 女性とも男性ともとれる声から発せられた言葉を受け、男は短く命令する。影はぶっきらぼうな物言いに文句も言わず、ただ命令通りに動く。


「『合成獣キメラの研究資料を入手。至急そちらへ送る』」

「ほぅ……」


 男は影の発す内容に、興味深そうな声を出した。

 合成獣キメラの資料は前々から目を付けていた。しかし、研究者が違法魔法実験を犯したせいで、捕縛され資料は王国に押収されてしまった。

 もはや、手に入るのは無理だろうと思っていたのだが。


「それで? 続きは」

「はっ、『合成獣キメラの研究者はロスト。捕縛は不可能。しかし新たな情報を入手した』」

「新たな情報……?」


 男の眉がピクリ、と動く。いつの間にか猫を撫でる手が止まっており、微睡んでいた猫から不服そうな鳴き声がする。

 しかし、男の興味は影から告げられる同志からの内容に注がれていた。

 影は主の顔から続きを催促されているのを知り、口を開く。


「『【魔王】が暴走。しかし、後に鎮静。いまだ覚醒の兆しなし』……以上です」

「そうか、ご苦労」


 影に対し労いの言葉を投げ、男は静かにその場から立ち上がる。猫は「にゃー」と膝から下り対面のソファーへと移動した。

 部屋に設置されている窓から外を眺める。

 空は薄暗く、深紫の霧が城を覆い隠す。外界と隔離されたこの世界には男と影しか存在していなかった。


「【魔王】に興味はあるが、王国が放っておく訳もないか。まぁ、合成獣キメラの資料で十分か」


 人と魔獣の合成。面白い研究をする者もいるものだ。出来たらこちらに引き抜き思うがままに研究をして欲しかったが、仕方がないだろう。ロストしたという事は、恐らくこの世にはいない。


「……同志たちは今どうしている?」

「はっ、複数名人里離れた場所で研究を行っている模様。少数でありますが、どこか街に潜伏している者もいるようです」


 この組織には、トップは存在しない。自分が参謀のような役割をしているが、強制的な命令を行うことはまずない。

 我々は皆、表舞台から追い出された者。または、排除された者。

 崇高なる志を貶され、怠惰な者たちから追い出された哀れな者。

 そういった者たちが集まってできた集団。社会から抹消された者たちの最後の城。

 仲間のようで、仲間じゃない。ここにいる者たちに仲間意識などない。

 だから、彼らに上下関係もなく通常の組織とは構造が違う。

 ゆえに、彼らは自分の他に組織に属する者たちを『同志』と呼ぶ。


「……しかし、若干一名移動を開始した者がいます」

「移動?」


 言いづらそうに、躊躇いながら言われた言葉に男は視線を影の方へ寄越す。

 自由気ままに、好きな所へと移動する同志もいる。なので、通常ならば何ら問題などないはず。

 しかし、影の口調からトラブルがあるような雰囲気を感じ取った男は訊く。


「どこの誰で、どこへ向かっている」

「……東方の湿地帯を根城にしていたニュエル=ザーキス様が、材料が切れたから取りに行くと」

「なるほど、あいつか。材料が切れたって、この前大量に攫ってきただろうに。使い終えるの早いな」

「ニュエル様のお話だと、一般人はすぐに使いものにならないようです」

「あの女、選り好み激しいくせにしてすぐに飽きるからな」


 それはまるで、子どもが玩具をすぐ捨てるような言い方。だが、彼らの会話に出てくる材料の正体を知ると全く笑えない。


「で? どこに向かったんだ?」


 男は、やれやれと言うように首を振ると軽い口調で訊ねた。


「ヨール市です」

「……あいつは、阿保なのか?」


 影の答えに、男は頭を抱えたい気分に陥る。いくら何でもヨール市はダメであろうに。一体、何を考えているんだあの女は。


「なんで王国第3位の街に行くんだよあいつ。馬鹿なのか?」

「なんでも、優秀で若い魔導士が欲しいとのことです」

「あぁ、なるほど。理屈は分かるが、ヨール市はダメだろ」


 確かに、あそこにはグランザール魔法騎士学院がある。優秀で若い魔導士候補がわんさかといるだろう。

 しかし、問題がある。


「あそこには、【魔王】がいる。もし、あいつが【魔王】を見つけたら絶対にヤバいことになる」


 同志からも頭のネジが飛んだヤバい研究者と認識されているのだ。そんな研究バカがもし何かのはずみに【魔王】がいると知れば絶対に手を出すに決まっている。

 それに、他の同志には【魔王】の存在はまだ隠匿している。それは、自分自身の研究のためにも必要な措置であるのだ。


「しょうがない、おい、至急ヨール市に行きニュエルを見張れ。お前なら変装していても分かるだろ」

「畏まりました。ご命令とあらば」


 姿を見せない影は主の命令を快く引き受けると優雅に一礼するように服の擦れる音が鳴った。


「もし、ニュエル様が【魔王】を見つけた場合は?」

「……止めろ。何もしなければいいが、手を出そうとした容赦するな。手段は問わん

 。そして、俺に報告しろ」

「御意」


 最後にそう言うと影の気配が部屋から消える。

 一人となった部屋の主は、再度窓の外を眺める。

 名も、姿も知らない【魔王】。その絶大な力は、自分自身の研究で解き明かしたいもの。おいそれと、他の者に手は出させない。

 男は、見えない空を見上げる。朝なのか、昼なのか、夜なのか、時間の感覚を狂わせる深紫の世界。


「我、真理を求めし者」


 ぼそり、と呟かれた言葉はこの組織の合い言葉。


「何者にも阻まれず」


 社会から摘み出された者たちが持つ共通の志。


「この世の理を解き明かす」


 そして、彼らが目指す到達点。


「永久なる時間を我が手中に」


 伸ばされた手の甲に刻まれし模様。

 大きく描かれた果実を抱く女神。

 空へと伸ばされた手を握りしめ、男は立ち上がる。


「さて、昨日の続きでもやろう」


 着替えもせず、部屋を出て行く男。ソファーでくつろいでいた黒猫も飼い主の後を追いかける。





 社会から弾き出された者たち。彼らは違法、非道魔法の実験を繰り返す研究者。

 人間の分際で神の力を手にしよとする愚者の集団。

 普段は影の中を、息を潜め隠れる。しかし、自らが必要とあらば犯罪にも容易に手を染める破綻した者たち。

 その組織を、彼らは自らをこう呼ぶ。



【黄金林檎】と。


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