第19話 夢覚めし朝


「はっ!」


 ブオッ、と空気を斬る音が学院の訓練場で鳴る。振られた剣と共に、水滴が一粒宙に飛ぶ。

 剣の持ち主は横に振った剣を両手で握り、縦に振り下ろした。

 シュパッ、と先ほどとは違い鋭い音。剣は、頭を地面すれすれで止められていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 乱れる呼吸を整えながら、剣を見つめる一人の少女。紅い髪の毛が風でなびき、顔に張り付く。それを鬱陶しいように払い、また構えようとする。


「ぐっ……」


 しかし、脇腹から感じる痛みで中断させた。剣を振る腕が重たい。切れ味も全然ダメ。己の剣を辛辣に罵り悔しそうに唇を噛む。流石に、骨が繋がったとは言えあまり無茶は出来ないようだ。


(けど、あいつはこんなものじゃなかった)


 脳裏に黒髪の剣士の姿がよぎる。彼は、自分と同じ境遇なのに遥かに自分よりも強かった。今まで散々罵り、馬鹿にした自分が恥ずかしくなるほどに。

 魔力操作が苦手でも、剣の腕には自信があった彼女のプライドは粉々になった。どれだけ自分の世界が狭いのか思い知らされた。


「ケイ=ウィンズ……」

「呼んだか?」

「うわっ!! な、いつからそこに!?」

「ついさっき。てか、お前こそ早朝から何してんだリン」


 思わず呟いた独り言に、近くから返答があったために驚くリン。バッ、と思いっきり振り返ったのでまたもや痛みが彼女を刺激する。


「あぁもう、怪我してんだから無理するなよ」


 痛みでうずくまるリンに、ケイは呆れた顔で首を振る。彼の態度にむっ、とするリンだが痛みでそれどころではない。顔を歪め、痛みが引くのを待つ。


「全く、まだ安静にしていないとダメだって言われているんだろ」

「う、うるさいわね、私の勝手でしょ」

「もう勝手じゃないんだよ。お前と俺はチームメイトなんだから」


 そう言った途端、ケイはしまった、と顔をしかめる。リンが自分を快く思っていないのを知っているので次には、罵声が来るものだと構える。


「……チーム、ね」

「……?」


 しかし、ケイの予想に反してリンはしみじみと、同じ言葉を口にし、考え込む。言葉の暴力を覚悟していたケイは様子がおかしいリンに首を傾げる。

 痛みが引いたのか、うずくまっていたリンはすっ、と立ち上がるとケイと対峙する。

 エメラルド色の双眸に見つめられ、ケイは思わずたじろいでしまう。

 だが、ケイが一歩下がるとリンは一歩前へ、また一歩下がると一歩前へ。真っすぐと、自分から視線を外さないリンに痺れを切らして口を開く。


「な、なんだよ一体」

「………」


 だが、ケイの言葉に答えが返って来ない。ジッ、と彼を見つめ続けるリン。

 沈黙が両者の間に流れる。朝日に照らされる訓練場に立つ男女。さながら絵画になる光景であるが、本人たちにはそんな芸術的感性は今は持ち合わせていなかった。

 一体、どれくらい時間が経っただろう。ケイは数秒が数分に感じ、いい加減どいてもらおうと口を開きかけた、その時だった。


「わ……け……えて」

「え? 何?」

「だから、わ、私に……け……しえて」

「いや、聞こえねぇよ。もっと大声で言ってくれないか?」


 ぼそぼそ、と呟く彼女の声を拾おうとケイは耳を澄まして傾ける。だが、当のリンは口をもごもご、とさせ顔を赤くさせる。

 しかし、次にはやけくそとばかりに大きな声を木霊せた。



「私に、剣を教えて!!」



「……えっ?」

「き、聞こえてるでしょ! なんで首を傾げるのよ!!」

「あぁ、スマン。聞き間違いだと思って、つい。……お前、本気で言ってるのか?」

「ほ、本気よ」

「散々、足手まといとか、足を引っ張るなとか言っておいてか?」

「うっ……」


 痛い所を突かれて唸り声を出すリン。確かにこれまでにリンが犯した数々の失礼な態度は、目に余るもの。ケイじゃなかったら、説教で済まないものばかりである。

 微妙な表情を浮かべるリンだったが、次の瞬間覚悟を決めた顔つきになるとその場で勢いよく頭を下げた。


「今までのことは謝ります。これで満足しないなら、気が済むまで罰を与えてくれても構いません。だから、お願いします!! 私に剣を教えてください!!」

「………」


 直角に腰を曲げて、地面を見つめながら真摯に謝罪するリン。

 そんな彼女の意外な行動に、ケイは目を丸くさせた。これまで接してきて、ケイはリンをプライドの高い人間だと思っていたからだ。そんな彼女が自分に対して首を垂らして懇願する姿に、並々ならぬ覚悟を垣間見た。


「どうして俺なんだ?」

「強くなりたいから」


 素直な質問にリンは顔を上げず即座に応える。ケイから何か言わない限り絶対に上げないという意志が感じられる。


「とりあえず、顔を上げろ」

「……」


 会話しようにも、この状態のままじゃ気が散って仕方がない。それに、もし誰かがこの光景を目にしたら、また変な噂が流れる恐れがあった。

 ケイの一言にリンは下げていた頭を上げ、再び対峙する。


「俺が学院長の弟子、っていう事を知っているな?」

「うん」

「じゃ、残念だけど、ご期待には沿えないな」

「な、なんで!?」

「確かに、学院長から色々教わったけど、あくまで実戦での戦い方についてだ。必殺の剣とか、特別な魔法なんてことは知らない。俺が磨いたのは強敵と出会った時の対処法とかだけだ」

「……」

「だから、お前が思っているみたいな、王国最強の剣技なんてのは……「それでも!!」……」


 諦めさせようと、紡がれた言葉の途中、リンの必死な声が遮る。

 その必死な声に、ケイは思わず言葉を止めた。その間に、リンが喋り続ける。


「それでも!! 私は、あなたに教えて欲しい!!」


 確かに、ジャックから教わったであろう技術を期待していないと言えば嘘になる。けれど、それだけではない。リンが彼に教えを乞う理由は、それだけではなかった。

 あの時、薄れゆく意識の中で見た彼の剣技。風のように舞い、疾風のごとく駆ける姿、嵐のような剣。荒々しく、でも美しさを兼ね備えた彼の剣術は一種の芸術作品のようだった。

 そんな、剣技を目のあたりにして、リンは意識を失う前に強く心が奮えたのだ。



 私も、あんな風になりたい。



 憧れたのだ。彼の剣に、恋焦がれたのだ。

 魔力操作が苦手で、魔法が扱えない落ちこぼれな自分でも戦えるのだと、彼が証明してくれたみたいに思えた。

 だから、どれだけ愚かと罵られようと、図々しいと蔑まれようとも構わない。誰がなんと言おうと自分は彼に剣を教わりたいのだ。


「……一つ訊いていいかリン?」


 懇願するリンの意志の強さを見て、ケイは訊ねる。リンはキョトン、と首を傾げつつも頷いた。

 どんなことを聞かれるのだろうか、と身構えるリンを見てどこかほのぼのとした気分になる。しかし、ケイは真剣な顔つきになると質問を投げる。


「……お前は、何を為したい」


 それは、過去に自分が聞かれた質問。その時、ケイは“復讐”と答えた。激情に流されるまま、紡がれた言葉は今もなお彼の中で燃えている。

 では、彼女は一体何を成し遂げたいと考えているのだろうか。

 つまり、これは一種の選定試験。彼女の答え次第でケイの答えは決まる。

 ケイの纏う雰囲気から、この質問は重大なものなのだと直感したリンは顔を強張らせ、答えるのに数秒の時間を有した。




「英雄になりたい」



 至極真面目な表情で、目を逸らさなかった。彼女の答えに、ケイはポカン、とした表情を見せる。

 しかし、リンの言葉は続いた。


「皆を守れる、大事な人たちを守れる強さが欲しい。悪を討ち、弱気を助ける。私は……私はそんな英雄になりたいの!!」

「っ」


 子どもみたいな夢だった。魔法を扱えない者が、何を戯言をと笑われる願いだった。

 けれど、ケイは彼女の願いにある情景が脳裏をかすめた。

 遠い記憶、現実も何も知らない子どもが語った夢。それを応援してくれた人々。

 雷に打たれたような衝撃が、ケイに走った。なんとも不思議な数奇か、彼女の語る夢にケイは既視感を抱いた。

 なんとも子どもっぽく、けれど真っすぐで綺麗な願いとリンという人物像がケイの中で噛み合わず「ぷっ」と空気が口から洩れた。


「ハハハハハ!!」

「ちょっ、何笑ってるの!? バカにしてるの!!」

「い、いや、スマン。だって、お前がそんな、ガキっぽい事言うなんて思わなかったから、ぷぷぷ」

「もう! 悪かったわね、子どもみたいな答えで!!」


 笑い出したら止められず、ケイはお腹を抱えてうずくまる。真剣に出した答えが笑われ、リンは顔を赤くして怒る。そっぽ向く姿もまた子どもみたいで、普段とのギャップがまたケイの笑いを誘発させた。


「あー、久々に笑ったわ」

「……笑わせるつもりで言ったんじゃないんだけど」

「分かってるよ。悪かったって」

「ふんっ、そ、それでどうなの? 教えてくれるの、剣?」


 恐る恐ると訊ねるリン。ひとしきり笑ったケイは涙を拭うと再び向き合う。

 リンの語った内容は、子どもじみていて貴族様とは思えない発言だ。大抵の学院生なら貴族としての責務がどうとか、代々そういう家系だからとか答えるだろう。

 だけど、リンは違う。純粋に、ただ素直に心の底からにそう思っている。

 心配そうに覗き込むリンにケイはまた笑いそうになるが、今度は抑えることが出来た。


「言っておくけど、厳しいぞ俺の教えは?」

「……っ、望むところよ!」


 軽く脅すように言うケイに、リンは一瞬嬉しそうに顔を綻ばせると腕を組んで挑むように片目を瞑る。

 太陽が昇り、朝日が訓練場を照らす。

 その時にケイの視界に映ったリンの顔はとても晴々となっており、輝いて見えた。

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