第13話 リン=ベェネラ
これで良かった。良かったのに決まっている。
リンは森の中を暫く走ると、膝に手をついて止まった。普段から基礎トレは怠っていないと言えど思いっきり走ったせいで呼吸は乱れている。
ティアは学院で出来た初めての友達。領地を出てから初めて知り合えた親友だ。
誰よりも大切で、誰よりも親身になってくれた彼女をこれ以上不幸にはしたくなかった。
「私といると、ティアまで落ちこぼれ扱いされちゃう……」
ティアは魔力量は平均的だが、魔力操作に長けており緻密な魔力コントロールが必要な回復魔法を得意としている。座学も学年でも50番以内には入るほど優秀だ。
そんな彼女の成績が危うくなったのは自分のせい。自分さえいなくなれば、彼女の成績が安定するはず。
ユイは確かに気に喰わない人物だが、チームリーダーとしては優秀な部類に入る。そんな彼女のチームと落ちこぼればかりのチーム、どちらがいいかなんて火を見るよりも明らかである。
「でも、言い過ぎちゃったかな? 嫌われた、よね……」
自分に向けられた悲し気な瞳が脳裏をよぎる。
心が痛む。しかし、ああでも言わなければティアはいつまでも自分と一緒にいるだろう。
ティアに甘えてばかりで、何もしてあげられない。そんな関係、解消するべきなのだ。
頭を振って邪念を捨てる。これからティア抜きでやっていかなければならないのだから。
「二人になっても大丈夫……なはず、きっと、多分、恐らく」
前向きになろうと声に出してみるも、チームにまだケイという人物がいたことに気づき決意がさっそく挫けそうになる。
「うぅ、大丈夫かしら……」
一気に不安な気持ちに戻るリン。
と、その時だった。
上空に花火が打ち上がった。
空を駆ける赤い雲、頂点に到達して広がる色とりどりの閃光。
それは、生徒に与えられた、もしものための品。
「信号弾!?」
空に煌めく閃光にリンは目を見開き、打ち上がった場所を確認する。
「あそこって……!」
ティアたちいた場所だ。
気が付けばリンは地面を蹴っていた。あれはグループに問題が起こった時に講師たちに知らせる合図。だが、通常の危機は自分たちで対処するべきもの。つまり、信号弾が打ち上がったという事はそれだけ重大な問題が発生したということだ。
「ティア!!」
信号弾の赤い煙を見失わないように走る。田舎の山々を駆けまわって遊んでいたリンには森の凸凹道など朝飯前だった。素早い動きで森を疾走するリンは先ほどまでティアと喧嘩した場所まで辿り着く。
「………何これ」
戻ってきたリンは目の前の状況に、唖然と呟いた。
倒れた木々。
クレーターのように抉れた地面。
そして、気を失っているグループのメンバーたち。
「な、何が……」
何が起こった。何があった。
混乱する頭で必死に考える。こんがらがる脳で纏まる訳もなく、目が回る思いになるだけだった。
「うぅ……」
「っ!?」
軽いパニック状態になるリンだったが、近くから聞こえる呻き声で我に返り慌ててそちらに向かう。
向かった先には、ユイが苦しそうに顔を歪めていた。顔に泥を付け、怪我をしているようだった。幸い、重傷という訳ではないようだ。
「ちょ、ちょっと大丈夫!? しっかりしなさいよ!」
「……あ、リン、さん」
「良かった、意識はあるみたいね。何があったの?」
「み、皆は……?」
「え、えぇと、大丈夫みたいよ。気絶しているみたいだし」
リンの言葉にユイは視線だけを動かし、メンバーたちを見る。確かに彼女の言う通り命に別状はないようだった。メンバーの安否を知るとユイはほっ、と胸を撫で下ろした。
だが、次には真剣な表情に戻りリンに告げる。
「ティアさんが、魔獣に……」
「ティア? そうよ、どこにいるの!?」
倒れてるメンバーの中に、ティアの姿が見当たらない。そのことに、リンは焦燥した顔つきでユイに言葉を催促させる。怪我人に大声を上げるなど、怒られるだろうがリンにはそれを気にするほど余裕がなかった。
ユイは痛みからか呻き声を漏らしながら答えた。
「ティアさんが、魔獣に、攫われました」
「……えっ?」
攫われた。その言葉に、リンは一瞬訳が分からず固まる。しかし、ユイの顔は真面目そのもので、冗談を言っているようには見えなかった。
「攫われた、なんて何を……」
「あなたが去った後、ティアさんの様子が変になって、それからいきなり魔獣が現れました。数も多く、すぐに臨戦態勢を取って対処に当たりましたが、苦戦してしまい。その間に、ティアさんが魔獣に……」
「それで、信号弾を?」
「えぇ、私たちではもはやどうにも出来ないと思いまして。ごほっ」
魔獣が人を攫う。珍しい話だが、ない訳ではない。コブリンなどの魔獣が人を攫い、おぞましい事をするという話は冒険者や騎士団、魔導士たちの間では一度は聞くものだ。
「とにかく、私のことはいいので、他の方々を介抱してください。すぐに先生方が、駆け付けてくれるでしょうから、周りを警戒していてください。そのくらいなら、あなたにも出来るでしょ」
「なっ、ちょっと! ティアはどうするのよ!」
「……私たちには追いかけられません。フォレストドッグに、コブリン、オーク、それにオーガまでもいたんです。追いかけた所で私たちでは討伐は無理です」
「なっ……!?」
コブリン、フォレストドッグはEランクの魔獣であるが、オークはD、オーガはCランク相当の魔獣だ。
Dランクは上級生のチームが3つほど協力して担当するもので、Cランクに至ってはプロの冒険者か騎士団の者が相手する魔獣。学院生、それも一年生が敵う相手ではない。
「ちょ、ちょっと待って。それ本当なの!?」
「……信じられないと思いますが、確かに見ました。あれは確かにオーガです」
「そ、そんな……」
「だから、後は先生方に任せましょう」
「……」
ユイが諭すように言うとリンは押し黙る。
彼女の言う事は正しい。そして、正確だ。リーダーとして、被害を最小限に抑えるために動いている。それは、上に立つ者に値する能力だった。
けれど、リンは下唇を噛み、握りしめる拳がわなわな、と震える。
脳裏に、ティアの顔が思い浮かぶ。
優しい顔。怒った顔。悲しむ顔。
出会ってからこれまでの日常が、フラッシュバックされ明瞭に現れる。
『いいか、お嬢? 冒険者ってのはロクな奴らじゃないさ。意地汚く、頑固で、頭も悪い。字も書けなければ、算術も出来ない。そんな奴らばっかりさ』
不意に、幼少の頃に出会った冒険者の言葉が脳内に再生される。
『だけどな、そんな奴らにもどうしても譲れないプライドってもんがあんのさ』
その人は、酒の入ったジョッキに手をつけて一気に飲み干すと至上の幸福を味わるかのように目を細めた。
それは、何かと聞いたら彼は誇らし気にこう言った。
『大事なものは意地でも守るという決意さ』
一体どうして、この言葉を思い出したのだろうか。あまりにも状況が似合っている分可笑しく思ってしまう。
自分の大事なものはなにか。
___そんなもの、決まっている。
確かに、ユイの言う事は正しい、リーダーとして正解だ。
だけど___
「……どこ」
「えっ……?」
「ティアはどこに連れていかれたの?」
リンの呟きにユイは一瞬、呆然となった。
だが、すぐに彼女が何を考えているのかを悟り、叫ぶ。
「リンさん何をするつもり!?」
「ティアを助けに行く」
「助けにって……無理に決まっているでしょ! 話聞いていたの? Cランクの魔獣もいるのよ。あなたが行った所で殺されるのがオチに決まってる!!」
「かもね」
「分かってるなら、大人しくしてなさい! すぐに先生方が来てくれるから!」
「待っている間にティアの身に何が起きるのか分からないじゃない」
「だとしても、ここは待機するべきよ!」
必死に引き留めるユイの態度に、リンは申し訳ない気持ちが浮かび上がる。
しかし、リンの瞳は覚悟を決めた炎が燃え上がる。
「ごめん、けどダメなのよ」
「どうして! 死ぬかもしれないのよ! あなた魔法が使えないのよ!?」
「うん、確かに死ぬかもしれないし、私は魔法が使えない。けど___」
「___友達を見捨てるくらいなら死んだ方がマシよ」
「なっ……」
リンの真っすぐとした眼に当てられたユイは驚愕の声を上げ、言葉を失う。
これが、自分の決意。譲れないプライドなのだ。
唖然とするユイを他所に、リンは地面に残っている数多の足跡を見つけた。足跡は森のさらに奥へと続いている。
「あっちね」
「ま、待ちなさい! 行かせませんわよ!!」
魔獣たちが向かった方向を言い当て、そちらに足を運ぼうとするリンの前にユイがふらふらの状態で立ちはだかる。メイスを握り、睨むユイ。絶対に通さないという気迫を感じられた。恐らく、
普通に考えて、ユイと一対一で闘ってリンが勝てる確率は0に近い。
けれど__
「ごめんなさい」
「……うっ!?」
リンは真っすぐに歩み出す。臨戦態勢を取る事もせず、ユイが攻撃してこないという確信があるかのように彼女の傍らを通り過ぎる。
「魔力も少なく、ふらふらな状態で肉弾戦なんてアンタには無理でしょ」
「くっ……!」
自身の状態を言い当てられ悔し気に声を漏らす。
リンは彼女の悔しがる態度を初めて見れてどこか得した気分になりながら、森の奥を見据える。
荒らされた地面の先に無数の足跡。薄暗い空間が奥へと続いていた。不気味な雰囲気に気が弱りそうだった。
(待っててティア)
しかし、恐怖を押しのけ地面を蹴るリン。
赤い髪の毛が木漏れ日を反射させ、烈火の炎のように輝きを放っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「1時の方向より信号弾確認!」
「こちらも10時の方向に二つ見ました!」
「こちらも奥から一つ確認しました!!」
森の入り口、お祭りのごとく空に打ち上がる豪快な花火の音が上空に鳴り響く。色とりどりに染められる空は目立つことを意識しているせいか、轟音とは裏腹に繊細な絵画のように美しさを持っていた。しかし、この芸術作品に見惚れる者はおらず、辺りから焦燥した声が飛び交い状況を把握しようと講師たちが動き回る。
「くそっ! どうなってんだ! 急にこんなに信号弾が上がるなんて!!」
「文句言う暇はないです! サポーター及び講師の方々はすぐに援助に向かってください!!」
「信号弾、さらに一つ確認! 2時方向からです!」
唐突に始まった花火大会。永らく続いてきた野外演習であるがこんな事初めてである。
だが、それでも狼狽える者はこの場にはいなかった。冷静に状況を把握し対処に当たる。信号弾が打ち上がるという事はそれだけ危険な状況になっていること。生徒たちの安全を心配する気持ちが彼らを駆り立てていた。
「ケイ=ウィンズ! 私たちも行くわよ!!」
「えっ、俺も行くの?」
「何とぼけた事言ってるの!? 当然でしょう!」
信号弾の救援要請を見てサラもケイに呼びかける。しかし、名前を呼ばれたケイはキョトン、と首を傾げた。予想外とばかりにケイは口を開く。
「いや、さも当然と言う風に仰っていますけどねサラ=ジャスティス。俺は今日肉体労働係という名目でいるのですよ。なのに、どうして俺が救援活動に勤しまないといけないの?」
「あぁもう! そんな建前はどうでもいいのよ!! 安心しなさい、【シリウス】の皆は貴方と一緒に行動しても嫌悪感出さないから!!」
「……あぁ、はい。分かりました」
うだうだ、と言うケイに苛立ちを隠せないのか声が大きくなるサラ。しかし、ケイも別に救援活動するのはやぶさかではない。問題があるとしたら、ケイと組む連中が明らかに嫌そうな顔をするという点だ。まぁ、誰も《稀代の落ちこぼれ》と組むなんて面倒はしたくないのだろう。
そういった事情から、ケイはこういう時は大人しく待機する側になるはずなのだが、どうしてか今日はサラが積極的に声を掛けるので不思議でしかない。当然のように一緒に行くのも許容しているし。サラの迫力に押されてつい頷いてしまったケイは仕方ないと嘆息つく。
しかし、ケイも森の方からざわついた、落ち着きのない気配を感じる。生物のように蠢き、吠えて、泣き叫ぶ。
(一体、何が起こっている?)
錯綜する思念を整えようとした時、サラの急いだ声が耳に入る。
「早くしなさい、置いて行くわよ!」
「へいへい、分かりましたよ」
催促され、ケイは軽い口調で返事しながら素早く身支度を整える。制服のジャケットを羽織り、剣を腰に提げポーチを巻く。身支度を終えるとサラのあとを追いかけた。
森の入り口では、既に準備を万端の男女6名の団体が立っていた。あれが、二学年上位の成績を収めるサラ=ジャスティス率いる【シリウス】のメンバーである。
サラは、ケイが来るのを確認すると全員に向かって告げる。
「これより一年生の救援に向かいます。私たちは奥から上げられた信号弾の元へ行くわ。救援が最優先となるから道中、なるべく戦闘は避けて行動するわ。最短距離で一直線に向かうから遅れないように」
『了解』
「ケイ=ウィンズ。遅れても私たちは待ちませんからそのつもりで」
「へ~い」
テキパキとした指示に【シリウス】のメンバーは真剣な表情で頷き、ケイは軽い口調でまた返事する。緊張感のない態度にメンバーからの冷ややかな視線を浴びるが、これくらい何度も浴びてきているケイからしたら優しい方であった。
ケイの態度にサラは時間が惜しいのか、言及する事なく振り返り視線を森の奥へと見据える。
ケイも彼女の視線を追うように森を見る。薄暗い入り口がケイたちを手招きするように轟々とした風の音が聞こえた。
(あいつら、無事だよな)
不意に、脳裏をよぎる二人のチームメイト。
嫌な予感が彼の脳にこびりつく。ジャックじゃないが、ケイ自身もこういった勘は割と当たる方である。これは少々、気合を入れていかねば。
瞬時に意識を切り替えると、ケイの眼が変わる。普段の疲れたような丸い形からへの字みたく鋭くなった。
「それじゃ……行くわよ!」
ダッ、とサラの合図と同時、森の入り口から【シリウス】とケイの姿が消えた。
颯爽とした風が木々を揺らし、優しい音を奏でる。
それはまるで、死出への案内のように薄暗い闇の中へと溶けていくのであった。
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