第10話 野外演習


 翌日、リンたち一学年60名はヨール市の北東にある《アドリス大森林》に来ていた。森の入り口付近では学院が用意した馬車がいくつも並べられており、学年の半分だけとはいえ壮大な光景である。


「では、これから六人一グループに分かれ、森の中へ入ってもらいます」


 森の入り口で集められた生徒たちの視線が監督役の講師に向けられる。


「森に入り次第それぞれ行動を開始し、各々魔獣を討伐してきてもらいます。討伐した魔獣は一匹につきその魔獣の部位を持ち帰って来てください。今回の野外演習の目的は、野営のやり方や森での立ち回りなど多岐にわたり実戦で経験を培ってもらいます。既に魔獣討伐の依頼などを受けている者もいるでしょうが、それでも油断はしないで気を付ける事。何かあった場合は各人に信号弾を渡しておきます。魔力を込めればすぐに打ち上がる仕様となっているのですぐに空に打ち上げてください」


 淡々した口調であるがゆえか、生徒たちの表情も真面目なものである。

 講師が言ったように、一年の中でも魔獣討伐の依頼を受けている者もいる。だが、彼らに求められるのは危険な事態に陥っても、自分のチームではない者がいても、咄嗟に連携し問題の対処に当たる事の出来る応用力。だから、この野外演習はランダムかつバランスよく構成されているのだ。


「では、これよりグループの発表と作戦会議の時間を設けます」


 講師は紙に纏められているグループを読み上げていく。名前を呼ばれた生徒たちはすぐに一か所に集まり、自分が組むグループがどんな人物でどんな魔法を得意とするのかを確認する作業へと入る。

 リンとティアは運よく同じグループに所属する事になった。しかし、彼女たちの顔に喜びの顔は見えない。

 名前を呼ばれた二人は自分たちのグループだと思われる者たちの輪に近づく。

 リンたちの進む方向にいたのは三名の女生徒たち。彼女たちはひと塊になり楽し気に話をしていたのだが、近づいてくるリンたちに気づいたのか一斉に視線をそちらへと向けた。


「あら~、リンさんたちじゃありませんか。これまた奇遇ですね、あなたたちと同じグループになるなんて」


 ニコニコ、と笑いかけながらそう話すのは先日街で会ったユイだった。後ろの三名もクスクス、と囁くように笑う。

 どんな因果か、リンたちグループGには元チームメイトであるユイを始めとした取り巻きたちが組むことになった。基本、グループ分けは戦力差が出ないようにバランスよく調整されるはずなのだが、これにはリン、それにティアも作為的な何かを感じずにはいられなかった。

 とは言え、学院側にそんな意図もある訳もなく。変更を求めた所で却下されるのが目に見えている。それに王都の騎士団ならば、どんなに個人的な因縁があろうと私情を挟むことは許されない。一人の感情で隊に亀裂が走る行為など二流以下の行動である。

 リン自身も理解していることなので、嫌だという気持ちを抑えて口をつぐんだ。隣のティアは心配そうに親友を覗く。


「さて、それでは作戦会議に入りましょうか。正直な話、私たちのグループは一人人数が足りない状態なのですしね」

「……っ」


 いやらしい笑みを浮かべてそう口にするユイ。その言葉にはリンを戦力として数えていないのが分かる。

 お前は足手まといだ。

 ハッキリ口にする当たり、この女生徒もいい性格をしている。反論することも出来ずユイを睨むリンにティアはハラハラする思いで視線を彷徨わせた。


「あら? 何ですのリンさん。そんな怖い眼をして、まるで魔獣みたいですわよ」

「っっっ!」


 執拗なユイからの挑発に、リンも我慢の限界が訪れようとしていた。握りしめた拳を開き、剣に移動させようとした。

 それにいち早く気づいたティアが慌てて口を開く。


「リンッ、やめ__」

「おぉ~、どうした修羅場か?」


 リンが剣を引き抜こうとしたまさにその時、場違いな言葉と暢気な声が近くで木霊した。彼女たちは声のした方向に一斉に首を向ける。

 すると、そこにはリンたちのやり取りをケラケラ、と笑いながら立っているケイの姿があった。


「あら、誰ですの?」

「えっ、サポーターの二年だけど? ところで、何を揉めているんだ?」


 突如として現れたケイに目を丸くさせるユイ。そして、すぐに気づく。

 黒髪黒目、特徴的な容姿をしている彼こそ《稀代の落ちこぼれ》、ケイ=ウィンズだと。

 噂をすればなんとやら、まさかこの場に本人が現れるとは思わなかったであろうユイとその取り巻きは揃って茫然となる。

 しかし、いち早く我に返ったユイは途端リンに向けていたような意地悪な笑み作りケイと向かい合った。


「初めまして、私、ユイ=アングースと申します。ケイ=ウィンズ様とお見受けしますがそうでしょうか?」

「おう、そうだけど」


 スカートの裾をつまみ、貴族様式の挨拶をするユイ。腐っても貴族令嬢、見事なカーテシーにケイも思わず見惚れてしまう。


「お会い出来て光栄でございます。私、リンさんたちとは以前チームを組んでいた者でそのことで彼女にも思う所があったのでしょ」

「へぇ、そうなのか。おい、リン。確かに気まずいだろうけど、あまり騒ぐなよな俺の仕事が増えるから」

「なっ、私は何も!」


 ケイに注意され、弁明しようとした時リンの視界にユイがケイの背後でニヤリと笑うのが見えた。


(こんの、クソ女っ!!)


 決して貴族令嬢が口にするような類じゃない言葉で毒づくリン。それと同時に、ユイの外面に騙されて自分を注意するケイにも腹が立った。男というものはこれだから嫌なのだ。

 ティアも近いことを思っていたようだが教える訳にもいかず困った表情をしている。


「ところで、ケイ様。リンさんたちとチームメイトだという噂があるのですが本当なのですか?」

「あぁ、そうだけど」

「そうですの、それが聞けて安心しました。心配していましたのよ? リンさんたちに釣り合うチームが本当にあるのかと。その点、ケイ様なら安心です」

「お、そうか? いや~そう言ってくれると嬉しいわ」

「ふふ、本当にお似合いにチームですわ」


 一見、ただの世間話のようにも聞こえる内容であるが、言葉の節々にユイの悪意が見え隠れしていた。それに気づいていない様子のケイに益々リンは怒りを覚えた。

 対照的に、ユイはケイを皮肉が通じないバカだと判断したようでほそく笑う。取り巻きたちも陰湿な笑みを共有している。

 とは言え、これ以上イジっても面白くないと思ったのだろう、ユイはこの辺で会話を打ち切ることにした。


「お手数をお掛けしてすみませんケイ様。私の配慮が足りなかったみたいです。でも、ちゃんと話し合えば問題ないと思いますので」

「そうか? なら、俺は仕事に戻るけど、リンたちも大丈夫か?」


 終始、ケイに対し冷たい視線を送っていたリンと微妙な表情をしていたティアに訊ねるケイ。リンはそっぽを向き無視を決める。親友の態度を見て、ティアが代わりに頷いた。


「オッケー。じゃ、俺は戻るから」

「はい、お話が出来てとても良かったですケイ様。出来たら今度ゆっくりとお茶でも」


 ニコリ、と笑いかけ小首を傾げるユイ。見事な猫かぶりに取り巻きたちは感嘆の息を漏らした。これぞ、貴族社会を生きる者が会得する技ということなのだろうか。

 そして、馬鹿にされていることも知らず皮肉も分からない阿呆に、ユイは心の中だけで嘲笑う。

 やはり、《稀代の落ちこぼれ》だ。この程度の社交辞令も分からない愚か者だ、と。


「ん、別に構わないよ。機会があったらな」


 ケイはユイの言葉に軽く手を挙げて応えると、その場から立ち去ろうとする。


「あぁ、そうそう」


 途中、首だけを向けて未だに自分を嘲笑う彼女に対して喋った。


「俺のこと馬鹿にするのは別にいいけど、あんまりリンたちを意地悪するのはやめてあげてくれ」

「……えっ?」

「それじゃ」


 投げられた言葉に呆然とするユイを視線から外し再び歩き出すケイ。

 その場にいたリンやティア、取り巻きたちも同じような表情を見せた。だが、既に歩き出していたケイは彼女たちの表情など知る由もなく悠々と立ち去って行った。


(……分かっていたの?)


 小さくなっていく背名を眺めながらリンは先ほどまでのケイの態度を鑑みる。

 ユイの小馬鹿にしたような笑みも、彼女の皮肉も、分かった上で流していたというのか。

 自分みたいな田舎者とは違い、彼女は社交界に出る機会が多い。そういう所に顔を出す人間はまず自分の考えを読まれないように、ポーカーフェイスを心掛けるよう言われる。貴族社会を生き抜く知恵の一つだ。

 なのに、彼はそんな世界の人間の仮面を剝がしたと言うのか。剝がした上で何もせずに彼女の言動を見ていたのか。

 それは、ユイからしたらコケにされた以外のなにものでもない。

 酷く滑稽に思えてならない。その証拠に、彼女の肩が小刻みに震えているのが見て分かった。


(あいつ……)


 もうほとんど見えなくなったケイの姿をリンはジッ、と視線を固定させていた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「次、グループG。森へ入ってください」


 時間が流れ、続々と一年生が森へと入っていくのをケイは遠くから眺めていた。彼の視界にはちょうど森へ歩いていくリンたちの姿があった。いまだに微妙な雰囲気を漂わせているが、邪悪なものではないので大丈夫だろう。ヘイトを集めた甲斐がある。

 徐々に遠ざかっていく彼女たちの背中を見てケイは疲れたようにため息をついた。どうにいかあの場を収められた事の気疲れが遅れてきたみたいだ。


「まだ始まったばかりなのに、そんなため息ついていたらやってられないわよ」

「気遣いすると疲れるものなのですよ。ジャスティスさん」

「普段から気遣いしないから疲れるのよ」

「流石、名門家のご令嬢。言う事が違うなぁ」

「……からかってるの?」

「滅相もございません」


 サラの鋭くなる眼を避けるように明後日の方向を向くケイ。しかし、ケイのような平民と比べたら社交界経験があるサラの気の回しように雲泥の差があることだろう。一概にケイの言葉は間違っていない。


「で? さっきトラブルがあったみたいだけど、大丈夫だったの?」


 珍しく心配そうに顔を覗くサラ。綺麗な空色の髪がはらり、と流れる。

 思わずその美しい髪に目を奪われていたケイはすぐに我に返ると疲れた顔を戻した。


「あぁ、まぁ、なんとかな。組む相手が前のチームメイトなのと俺がチームメイトなのが原因みたいだ」

「《稀代の落ちこぼれ》と組むなんて事、学院の生徒たちからしたら屈辱以外の何物でもないですからね」

「本人の目の前でよく言うな」

「あら、事実でしょ?」

「事実だけどさ」


 改めて正面切って言われると虚しくなる。そして、それをバカにする訳でもなく、憐れむこともなく言う者は彼女くらいだろう。

 恐らく、学院で一番自分に対して公平な判断をしてくれるのは彼女くらいかもしれない。


「……お前のそういうとこ結構好きだわ」

「なっ!? なななななにをいってるのいきなり!!」

「えぇ、そんな嫌がらなくてもよくないか? 地味に傷つくわ」

「だだだ、だって貴方が急に変なことを言うから!」


 ケイから漏れた言葉に慌てふためくサラ。何故だか顔が赤い。


(体調でも悪いのか?)


 サラの様子に首を傾げるケイであるが、言及したら魔法をぶっ放してきそうなので口にはしない。獣に不用意に近づかないのが森での鉄則だ。


「ところで、そっちの仕事はいいのか?」

「えっ、えぇ……ごほん、全ての生徒たちが無事森へ入ったわ。それに森の入り口付近にいた魔物は殲滅したから早々に遭遇する事はないと思うわよ」

「ご苦労様」

「そこまで苦労しなかったけど。そうそう、貴方の仕事ってなんなのよ?」

「えぇと、この後は講師たちのテントを組み立てて、荷物を纏めて、調理用の食材の下準備もしないとなぁ」

「……それ、サポーターの仕事?」

「ま、そういう要員として編成されたという事だろう。なんとなく予感はしていたけど」


 ケイが述べた仕事内容に疑問顔になるサラ。微妙な彼女の視線にいたたまれなってしまった。だが、あの学院長が自分を無理やり参加させたのだ。このくらいは想定内である。

 まったく、面倒くさいことこの上ない。


「恨むぞ学院長」

「そんな命知らずな事言う人、貴方ぐらいね」

「そりゃ、どうも」

「別に褒めていないから」


 国内どころか、隣国までその名を轟かせるジャックに面と向かって敵対行為を取るものなど少ない。国内だと恐らく、ケイぐらいなものだろう。


 ビービー!


 と、ジャックに対して恨み言を呟くケイだったが、腕にはめられている腕輪からアラーム音が鳴り響いた。しかし、隣にいるサラはケイから視線を外して森の方を見ている。どうやら彼女にはこの音は聞こえていないようだ。

 ケイの腕に巻かれている腕輪は魔道具の一種。腕輪に特定の魔力を込め、相手の顔を念じると念話が可能となる品物。腕輪自体に魔力を帯びた鉱石が込められているので、魔力量0のケイでも扱える特別製だ。一つ金貨30枚はかかる高価なものである。


「悪い、ちょっと外すわ」

「あら? どこへ?」

「小便」

「そんな事言わなくていいです!」

「お前がどこ行くのか聞いたのに」


 口調を荒げて顔を背けるサラから遠ざかり、近くの茂みに入る。顔をキョロキョロさせ周りに人がいないことを確認すると腕輪を指先で叩いた。


『おう、ケイ。そっちはどんな感じだ』

「今、一年生全員が森へ入った所です」


 頭の中から流れるのはジャックの声。ケイは声質を改め質問に答えた。

 ジャックは今日ケイがサポーターの仕事があることを知っている。なのに、通信魔法を試みるとは、一体何の用だろうか。


『そうか、なら今ヒマだな』

「いえ、おかげさまでこの後も雑用が山ほどあります」

『おぉ、お前を組み込んで正解だったな』

「………」


 明らかに皮肉を言ったはずなのに、まるで効く様子のないジャックにケイの顔が歪む。


(これが【雷獣】と言われた男? ただの鬼畜野郎じゃないのか)


 勿論、口に出したら帰った後で何されるのか分かったものでないので胸の内だけの言葉となる。


「で、何の御用ですか学院長?」

『あぁ、そうだった、危うく用件を忘れる所だった』


 楽し気に笑いを含ませる態度を取るジャックの声がケイの脳内に響く。ここでツッコむと長くなるのは長年の経験上分かっているので黙って耳を傾ける。

 ケイの沈黙に気づいたジャックは「ごほん」と仕切り直しを図ると口を開いた。



『ケイ、明日の夜は満月みたいだ』



「………」


 ジャックから発せられた言葉にケイは黙り込む。視線は腕輪に固定され、表情は陰りを生ませる。

 刹那の時間、彼の口が閉ざされ、周りにいる鳥や風の音だけが響き渡る。

 そして、次の瞬間、ケイは腕輪に向かって喋った。


「分かりました。月見の用意を致しましょう」

『おう、頼むぞ。場所はガラム街道西に5キロだ。詳細は現地で』

「了解」


 ジャックからの通信が途切れ、脳内から声が消える。ケイは腕輪を袖に隠すと一つゆっくりと息を吐き、空を見上げる。

 天候は快晴、雲一つない空には鳥が数羽飛んでいる。暖かな日の光が森に生える草木を照らし木漏れ日がケイに当たる。心地の良い温度がケイに穏やかな気持ちにさせてくれた。


「戻るか」


 ひとしきり、自然を堪能したケイは伸びをして顔を片手でほぐす。


「バカ面するのもきついな」


 もう何年も同じ表情をしているはずなのに疲れない時がない。

 静かな茂みの中で呟かれた言葉はその場で雲散され消える。

 表情をいつものものに戻したケイは茂みから出た。


「さぁて、仕事しますか~」


 気の抜けた声を発すケイの姿は普段リンたちと接するもので、先ほどまでの表情はなくなっていた。

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