第9話 野外演習前日


「う~ん、疲れた」

「大変だったねサラ」

「えぇ、でもだいぶ魔獣の数も少なくなったしあとは冒険者の皆様に任せましょう。私たち、明日は一年生のサポートしなければならないし」

「げっ、忘れてた。もう~どうしてこの大変な時にそんな依頼受けちゃったの?」

「学院長から直々の依頼だし、ここまで魔獣退治に苦労するとは思えなかったから……ごめんなさい」

「えっ、あ、いやサラを責めている訳じゃ!」


 夜も更けて来た頃、学生寮までの道のりをサラ=ジャスティスと彼女のチームメイトのミリー=フログネンが歩いていた。肩ほどまである柑子色の髪に若竹色の瞳をした彼女の容姿はサラと並ぶほど人目を引くものだった。

 彼女たちの他にもチームメイトはいるが他のメンバーは先に帰宅しておりチームのリーダーであるサラが最後の書類作業を請け負った結果遅い時間になってしまったという話だ。


「そもそも、貴方も別に帰って良かったのよ。私に付き合って最後まで残って……」

「だってほら、サラって意外と抜けている所があるから心配で」

「失礼な、私は別に抜けてなどいません」

「ほぉ~ん」

「何よその眼は」

「いや~サラがそう言うのならそういう事にしておいてあげるわ」


 ミリーの発言にサラがジトー、とした目を向ける。だが、ミリーは余裕のある笑みを浮かべたまま彼女の視線を見つめ返していた。その態度にサラは余計に不愉快であった。


「まぁ、いいけど。ちゃんと明日の準備して休みなさいね」

「はいはい」

「返事は一回でいいです」

「は~い」

「全く、貴方って人は……」

「細かい事は気にしないの。そんな事気にしてたら男作れないわよ」

「なっ、何を言ってるの!? わ、わわ私にそんなものは」

「あぁ~、はいはい初心なんだから」


 ミリーの言葉に激しく動揺するサラ。彼女の反応を見てミリーはニヤニヤと楽しそうに笑うのであった。

 ミリーの態度に怪訝そうな表情を浮かべながら学生寮まで戻る最中、ふと、彼女は近くの方から微かな魔力を感じた。


(こんな時間に誰が? いや、でもこの時間帯なら……)


「どうかしたのサラ?」

「ごめんなさい、ちょっと用事が出来たから先に帰っていて」

「え、用事? 何か手伝う事があるなら私も……」

「いいえ、一人で大丈夫よ。そこまで危ないものではないと思うし」

「そう? 何かあったらすぐ呼んでよ」

「えぇ、ありがとう。おやすみなさい」


 心配そうに途中で何度も振り返るミリーに手を振り彼女が完全に姿を消すのを確認する。やがて、ミリーの背中が見えなくなったのを機にサラは行く先を中庭の方へと向け歩き出した。



 学院の中庭は夜になると誰もいなくなり闇に包み込まれる。灯りもなく、足元を照らすのは雲から顔を覗かせる月のみ。


「4990、4991、4992」


 誰もいないはずの中庭にたどり着いたサラには暗闇の中で小さく呟く男の声が聞こえた。声の主はサラが来たことに気づいていないようで、声を発し続ける。


「4993、4994、4995、4996」


 暗闇の中で聞こえる声に心当たりがあるサラは自分の予想が当たった事にため息をつく。

 まったく、こんな夜遅くまで何をしているんだか。


「4997、4998、4999、5000。 よしっ、終わり……ってあれ? 何やってんだジャスティス?」

「それはこっちのセリフよ。こんな夜中に何やってんのよ」


 サラの目の前ではジャケットを脱ぎ、ワイシャツだけで腕立て伏せをしているケイの姿があった。予想通りの人物にサラは呆れた表情を浮かべる。


「見ての通り自主練だけど?」

「見れば分かるわよ。でも、暗い中で男の声が聞こえてたら不気味よ。私じゃなかったら先生方呼ばれてるわよ」

「大丈夫。学院長以外なら逃げられる自信がある」

「逃げてどうするのよ。そうじゃなくて、私が言いたいのは、もう少し周りに気を配れって話よ」


 全く反省している様子の見受けられないケイにサラは自然と頭を抱える。

 ケイがここで自主トレしていることを知っているサラとしては少し自己管理をしっかりしてほしいとところだった。

 そんな彼女の心情など知りもしないケイはキョトン、と首を傾げる。


「で、何か用か?」

「いえ、ちょっとこっちから微かに魔力を感じたから来てみたのよ。この時間貴方が訓練しているの知っているからもしかして良からぬことを企てているのではないかと思ってね」

「そりゃまたご苦労な事……で、魔力の正体は分かったのか?」

「いいえ、それがまだなのよ。どうしてか貴方のポケット当たりから感じるのだけど……」

「あぁ、そういうことね」


 サラの指摘にケイは納得したように言うとポケットを探りティアたちから貰ったペンダントを取り出した。


「多分これだな」

「ペンダント? 確かにこれから魔力を感じるけど。これは?」

「ティアたちから貰ったんだけど、魔力を注ぐと光るお守なんだと。多分、この魔力を感知したんだろ」

「なるほど………って! これ貴方が貰ったの!?」


 ケイの言い分に一瞬納得しかけたサラであるが、次にケイが語った内容に驚愕の声が飛び出た。彼女から突然大声が出てきたのでケイは反射的に身体をビクン、とさせた。


「びっくりした。どうしたんだよ急に?」

「どうした? じゃないわよ! 何、貴方、これ女の子からプレゼントしてもらったってこと!?」

「あ、あぁ、そうだな。そういう事になるな」

「ど、どどどうしてあなたがプレゼントをもらうなんてことに……」

「あいつらに魔除けの玉奢ったらお礼って言って貰った」

「お、奢った、ですって……」

「お~い、ジャスティスさん? 大丈夫ですー?」


 凄い剣幕ではやし立ててきたサラだったが、ケイが事情を説明するとぶつぶつ、と心ここにあらずな状態で何かを呟き出した。ケイは、正気を失っているサラの肩を揺さぶる。数回体を揺らしてみると光が灯っていないサラの瞳がケイの顔を映し、徐々に光が戻っていく。

 眼前には、ケイが自分を覗き込んでいた。


「わわわわ! 近いわよ!!」

「あぁ、スマン。いきなり呆然としているから」

「だ、大丈夫よ! ご、ごほん、とりあえず魔力の正体が分かったならいいわ。もう、私帰るから」

「あ、俺も戻ろうかな。メニュー全部終わったし」


 近くに置いてあるジャケットと剣を持ち、その場から立ち去ろうとするサラを追いかけるケイ。筋トレしたせいか体が火照っているので、シャツのボタンを空け空気を送る。

 隣に並ぶサラは華奢そうな体躯な割にある筋肉と、首元を伝う汗を無意識にじっ、と見てしまっていた。


(わ、私は一体何を!)


 己の行動に気づいたサラは邪念を払うように首を勢いよく振る。暑さを冷ますために空気を送る事に専念していたケイはサラの狂行に気づくことはなかった。


「お、そうだ。明日俺もサポーターとして入る事になったからよろしく」

「学院長から聞いてるわ。大丈夫でしょうね? 業務に支障をきたすような真似だけは絶対にしないで頂戴よ」

「俺に対する信頼なくない?」

「貴方の普段からの行動を見ていたら当然の評価よ」

「酷いなぁ。お前、本当は俺の事嫌いだろ?」

「えっ、そ、そんな事は、な、ないわよ……」


 割と本気の質問に対し、サラの言葉が詰まる。その様子を見て、ケイはどうやら本格的に嫌われているという訳ではないようだと一安心する。否定する際に、サラが微かに頬を赤く染めているのだが、周りが暗いため目撃することはなかった。


「まぁ、とにかく、サポーターの件は迷惑かけないようにするから安心してくれ」

「当然よ。学院の生徒として恥のない行動を心がけることね」


 顔を明後日の方向に向けながら忠告するサラに、ケイはいつもの調子だなぁと感じながら微笑む。


「ところで、お前ら今まで何やっていたんだ?」

「依頼で魔獣討伐の手伝いをしていたわ。街道の方も数が減ってきているからもう少ししたら通れるようになるでしょう」

「そうか、いや~良かった。あそこ通れないと知り合いの所に通えなくて困っていたんだよな」


 サラの報告に胸を撫で下ろすケイ。

 頭には月に一度は顔を合わせないと怖い顔をするシスターを思い出して体がぶるっ、となる。

 心なしか顔が青ざめるケイを見てサラは首を傾げる。


「それにしても、どうして急に魔獣が増えだしたのだか原因はわかったのか?」

「いいえ、全く。ギルド側は山奥から下りてきたんじゃないかって言われているけど。あなたどう思う?」

「う~ん、さぁ? 分からん」

「少しは考えなさいよ」

「だって俺、お前みたいに人脈もなければ情報もないし。さして興味もない」

「最後のが本音ね絶対」


「はぁ」とため息をつくサラ。学院の生徒ならばもっと興味を持って欲しい所である。原因が分からず不気味なはずなのに、ケイは全く気にした様子もない。本当にどうでもいいと思っているようだ。


「それで、ほんとよく学院で生活できるわね」

「ははは! それが俺のバイタリティですから」

「自慢気に言うセリフではないと思うわよ」


 再び嘆息をつくサラ。

 そうやって会話しながら歩くとY字のようになっている分かれ道まで来た。

 右手を通れば女子寮。左手に曲がれば男子寮だ。ケイたちの会話もここで終わりを迎える。


「それじゃ、ここで」

「えぇ、遅刻せずに来なさいよ」

「保障出来ん」

「《アイシクルランス》」


 堂々と胸を張って寝坊の予防線を張るケイにサラは無言で掌をかざす。

 呪文を唱え、素早く無駄のない魔法陣構築をこなすとコンマ数秒でサラの手から氷の槍がケイ目掛けて飛んだ。


「おおい!? 何普通に魔法放ってるの! 当たったらどうすんだよ!!」


 飛来する魔法にケイは慌てて横へ飛んで回避し、サラに苦情を申す。だが、サラは涼しい顔して告げた。


「あなたがふざけてムカついたら、遠慮しないで魔法を放っていいと学院長に言われてますから」

「あの学院長……っ」


 諸悪の根源に歯を食いしばるケイ。いや、そもそも学院長から言われているからって普通人に向かって魔法を放つのもどうかと思う。


「大丈夫、あなたなら躱すと信じているから」

「何、その嫌な期待のされかた」


 他の人が見たら魅了されるだろう笑顔を向けるサラ。しかし、ケイには悪魔の笑みのようにしか思えなかった。

 この人、本当は自分の事嫌いなのではないだろうか。


「はぁ、ふざけてないでさっさと戻って明日の支度したいから行くわね」

「えぇ~引き留めているのどっちかと言うとそっちじゃ……」

「ん? 何か言ったかしら?」

「いえ、なんでもないです。おやすみなさい、ジャスティス様」


 ニコッ、と微笑むサラに本能的に危険を察知したケイは無駄な事を言う口を閉め、敬礼する。ケイの阿保な行動にとうとうサラは馬鹿馬鹿しいと思ったようで、クスクスと笑いがこぼれた。その笑顔は、先ほどとは違って自然的なものだった。


「それじゃ、おやすみなさい。

「あぁ、また明日、


 二人は互いの眼を合わせて、挨拶をすると互いの寮に向かって歩き出す。

 落ちこぼれと優等生。全く対をなすはずの二人の間には邪険な雰囲気などなく。それどころか、お互い認め合っているような確かな信頼関係を伺わせていた。


「ん?」


 サラと別れて寮に戻ろうとしたケイは、いつも通る道の外れに生い茂る草木に目が留まる。いつもなら、伸び伸びと生えている雑草は誰かに踏まれている痕跡があった。


「……」


 一度、左右と後ろに視線を寄越す。誰かいる様子もない。サラも既に寮に戻っている。

 こんな夜遅くに、こんな道もない場所を誰かが通ったというのか。実に怪しい。

 ケイは、腰に携えている剣の持ち手を握り、表情を変える。

 それは、いつも見る暢気な顔ではなく。

 獲物を狙う獣のような目つきになっていた。

 痕跡の後を追いかけ、ケイは奥へと進む。この辺りは単なる雑木林だったはずだ。当然外灯もなく、暗い道なりが続いていく。

 歩くこと数分、何者かの足跡を追いかけていたケイは静かな夜の空気に微かな音を聞き取った。

 シュッ、シュッ、と草木を揺らす風とは異なった鋭い音。ケイは音のする方に慎重に近づいていく。徐々に、その音はハッキリと明確に捉えることが出来た。

 いつでも剣を抜けるように態勢になったケイは、音のする方向を木陰からそう、と覗き込む。


「はっ! やっ!」


 ケイの視界に映ったのは、僅かな月明りで揺れ動く紅色の髪。そして、自在に舞う剣だった。

 剣は一振り、一振り力強く空気を斬り。持ち主もまた、全身を使い渾身の力を剣に込める。

 その光景に、ケイは目を丸くさせ再び身を木陰に隠す。


「こんな時間まで、何やってんだあいつは」


 見知った顔の少女に対し、思わず言葉が零れる。その間にも、少女は確かめるように剣を閃かせていた。その額からは、汗が数滴飛び払われる。

 真剣な表情に、いつもなら出ていくところであるが様子を見守ることするケイ。


「えいっ! はあ!」


 軽い掛け声とともに振りぬかれる剣。そして、最後に縦に剣を振り下ろすと動きを止める。


「ふぅ~。こんなものかしら」


 息を整え、自分の状態について独り呟く。

 剣を眺め、鞘に納めるとリンはその場に座り込んだ。楽な姿勢になり、今度は先ほどより深く息を吸い込む。まだ肌寒い夜の空気が、彼女の体を中から冷ましてくれた。


「今日はこのくらいでいいかしらね。明日は早いし、遅くなったけどちゃんとノルマは達成したし」


 口にしながら、柔軟を始めるリン。そんな彼女の様子を見てケイは「へぇ」と、感心したような声を小さく漏らした。


(魔法の練習だけじゃなくて、ちゃんと剣もやっていたのか)


 しかも、見た感じ昨日今日始めたようなものではない。長年、一日たりとも欠かしたことのないと言わんばかりの熟練された動き。一体、どのくらい前からやってきたのだろう。

 魔法が扱えない劣等生。自分と似たような境遇の彼女がちゃんと努力しているところが見られて、ケイは言い難いモヤモヤ感を胸に宿した。

 ケイは不意に、ジャックが言った言葉を思い出した。


『彼女たちにはお前が必要なんだ』


「……ふう」


 一体、どんな意図を込めた発言なのかは未だに不明だが、それでもまぁ、いいだろう。

 今は、彼女たちはチームメイトなのだから。

 ケイは、柔軟をこなしていくリンを最後に一瞥すると、気づかれることなく来た道を戻っていくのであった。

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