第60話 浅間 疾風 その1


俺は数分で疾風が寝転がっているクレーターの対岸にまでたどり着いた。疾風はすでに目を覚ましており、空を見上げながらぼーっとしている。


俺はそれをただ見つめていた。するとしばらくして疾風は目をつぶり、ゆっくりと話し始める。





「三年前、俺は香奈の父親が大変なことになって、職を失ったことを知った。香奈は俺にそのことを知って欲しくなかったらしいんだけどな・・・・元は隣に住んでいた香奈の家に用事で訪ねようとした時に偶然それを耳にしたんだ」


それは玄関の外も聞こえるくらいの甲高い叫び声だった。その声をいち早く聞いた疾風はいそいで庭の方からリビングの窓のところまで駆けつけた。


そこでは香奈に暴力を振るわんとする香奈の父親の姿があった。隅の方では香奈の母親がビクビクしながら縮こまっている。


疾風は奇跡的に鍵がかかってなかった窓を開け、素早く香奈とその父親の間に入り込んで止めに入った。


香奈の父親はこの時顔がとても赤かった。おそらく酒で酔った勢いで殴りかかろうとしたのだろう。


「香奈の父さんは温厚で優しい人だった。とてもじゃないけど娘に殴りかかるような父親ではなかった」


この時疾風は悟った。香奈の家族が崩壊する何かが起きたのだと。その後酔っていた香奈の父親を一旦母娘から引き剥がし、別の部屋で何が起きたのかを半ば強引に問い詰めた。


その結果、香奈の父親は酔っていた勢いもあって全て疾風に事情を話した。


「俺はこの時決意した。必ず香奈を助けようと。ついに俺が香奈のヒーローになる時が来たんだってな。体の中でそんな思いがふつふつと出てきた。香奈が何故俺に知られたくなかったのかなんて、全く考えることもなくな」


疾風はまず香奈の家からお金を巻き上げようとしている組織を特定しようと、香奈の家の近くで張り込みを始めた。すると初日で黒服を着た男が三人ほど家に押しかけたのだ。これをチャンスと思った疾風はいそいで車のトランクに隠れ、組織のアジトを突き止めようとした。


本当に幸いなのが、これに気づくものが誰もいなかったということだ。疾風は特に怪我を負うこともなく、無事に組織のアジトを突き止めることができたのである。


「もし気づかれていたと思うと本当に博打でしかなかった。でも俺はやらなくちゃいけなかった。香奈を守るためにも。あの組織を壊滅させなきゃいけないんだって。ただそれだけを考えていた」


無事に家に戻ってきた疾風はすぐさま計画を練った。しかしなんの力も持たない疾風に何ができることもなかった。精々平均以上の運動神経と学生の上位に位置する学力のみだ。そんなものでは日陰者の組織をどうにかしようなんてことができるはずはなかった。


「それでも俺は考え続けた。毎日毎日ひたすら必死になってな。それでもうまくいくと思うものなんて何もなかった・・・・事態が動いたのはそんな時だった」



ある日学校へ行くと、クラスのみんながヒソヒソと一人を見ながら遠巻きで噂話をしていた。その光景を見て疾風は驚愕する。



なんとその標的は香奈だったのだ。



香奈はいつもクラスのムードメーカーとしてクラスメイトのみんなから好かれる存在だった。ルックスもさることながら、部活でもテニス部として好成績を残すまさにクラスの人気者。


そんな香奈が誰の輪にも入れずに、一人で机に座って下を向いていたのだ。


「俺は当然香奈の元に行った。すると香奈はこう言ったんだ」




、授業が始まるから席についた方がいいよ』




「俺は絶句した。今まで一度も『浅間君』なんて呼ばれたこともなかったから、最初誰のことかわかんなかったほどだった。俺はその言葉でしばらく何もできなかった。俺は我慢できずに香奈を教室から授業が始まる直前で人がいない階段まで連れ出して問いただした」


そこで香奈は疾風に抱きつきながら泣きじゃくった。再度なんでこうなったのかと聞くと、どういう理由かは知らないが、なんらかの情報筋から香奈の家族の事情を知られてしまったということだった。それがクラス中に伝播し、香奈が登校するまでにはクラスがみんな香奈を遠ざけていたのだという。


疾風はなんとか香奈をなだめ、ひとまずは教室に行ってちゃんと説明すればきっとみんなわかってくれるはずだと言って聞かせた。香奈は少し駄々をこねたが、なんとか説得して決心させ、二人で教室に戻った。





そこには誰も理解者はいなかった。




「俺はみんなの目を見た瞬間、得体の知れない恐怖を感じた。まるで絶対に安全だった命綱が一瞬で切れたかのような、そんな底冷えするような恐怖だ。俺たちが昨日までクラスメイトだと思ってた奴らは、ものの数分も経たずして俺たちの敵に変わってたんだよ」


それはその場にいた担任の教師には全く気づくことなく、生徒だけで始まった決裂だった。その後も誰も先生に訴えることなく、その日の授業は終了した。


みんなが何人かのグループになって帰っていく。たった二人、香奈と疾風を残して。


「俺は休み時間中に仲の良かった奴らに何回も声をかけた。だがあいつらは俺のことを無視しやがった。まるで俺たちと話せば人生が終わってしまうとでも言うような頑なっぷりでな。香奈と親しくしていた奴らもそうだった。別に香奈は何もあいつらに悪いことなんかしてなかった。

ほんの些細な、たった一つの噂話だけで、俺たちはクラスの悪に仕立て上げられてしまった」


だがその悲劇は終わらなかった。


このまま教室で呆然としていても仕方がないと香奈と二人で帰ろうとした昇降口前、そこにはクラスでもよく目立つ男三人、女四人のグループが待ち伏せをしていた。彼らは口元をニヤニヤさせながら、体育館の裏にある人通りの少ない場所まで二人を連れ出した。


そこで疾風は男三人に暴行を受けた。必死に抵抗する疾風だったのだが、数の暴力の前ではなんの力にもならなかった。香奈は香奈で女たちに取り押さえられ、身動きが取れなかった。そればかりか、女たちに何かを吹き込まれ、ビンタされ、腹を蹴られるなどの仕打ちを受け、香奈は目に涙を浮かべて塞がれた口で必死に疾風の名を呼んでいた。


「俺は香奈を助けようと必死にもがいて拘束を振りほどこうとした。だけどそいつの方が力は強く、距離を離された香奈に届くはずもなかった・・・・俺はなすすべもなくぼこぼこにされ、そのまま気を失ってしまった」


意識が戻った時には、顔中泥まみれで、身体中傷だらけの香奈が、倒れている疾風の前で一人泣いていた。その光景を今でも忘れることはない。


なによりも、香奈にこんな顔をさせてしまったことを深く悔やんだ。それと同時に、ことにも耐え難い怒りを覚えた。


この時、疾風は香奈に触れることができなかった。



「俺は恐怖してしまったんだ。自分がまた香奈に触れれば、さっきのような仕打ちを受けると、一瞬でもそんな躊躇いをしてしまった。本当にバカだよ、俺は・・・・何よりもまずは香奈を抱き寄せて安心させるべきだったのに。俺の・・・・この手は・・・」


後から聞いた話によると、どうやらそのグループは前々から女たちは香奈を、男たちは疾風のことを疎んじていたという。どちらも容姿端麗で人気があり、何度も告白を受けるような人気者だったのだ。それにもかかわらず二人は常に一緒にいた。明らかに二人より少し劣るも、自尊心が強かった彼らにとって邪魔な存在でしかなかったのだ。


女たちは男子が香奈のことをちやほやすることを恨み、疾風はそんな香奈を占有し、なおかつ他の女子から好かれる姿を男たちに恨まれた。この亀裂はそういった心のあるクラスの有力者たちによって引き起こされたただの逆恨みでしかなかったのである。


それでもその他のクラスの者たちはそれに従うしかなかった。逆らえば一気に地位は転落し、学校生活の終わりを意味するからだ。だから間違っても二人の話を聞くなんてことはできるはずもなかったのである。


逆らえば死。そんな絶対王政のような独裁が働きつつも、表向きは平穏な明るいクラス。そんな気持ち悪く歪んだ状態が二人が近くの別の中学校に転校するまで続いた。


「だがあんな奴らはどうだって良かった。許しはしないけれどまだ心の中のドス黒い何かを押さえつけられた。だけど・・・・この手だけは絶対に許さなかった!しかも俺は香奈と帰ることなく、あの場に香奈を残して逃げてしまった!!あの場が怖くてしょうがなかった!!一刻も早くあの場から去らなければ俺はっ!!俺はきっと恐怖で立ち竦むしかなかった!!」


疾風は無我夢中で走った。香奈のことは頭になかった。ただ触れることをためらったこの腕と受けた仕打ちのことしか頭になかった。今すぐにでも両の腕を切って捨てたいとも思った。


ヒーローになりたいと願った純粋な心は、この瞬間から心の片隅に押し込まれてしまった。


怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。



助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。



そして大部分を埋めたのは自己保身の欲。香奈を残して逃げてしまった罪悪感と、それを拭い去りたいという自分の安寧のための保身。疾風の中でそれらは正義という言葉と結びついて堅固な理屈として解釈される。


大多数こそが正義の証。正義のためならば悪に何をしても良い。


少数こそが悪の証。なんとかしても正義であり続けなければならない。




こうして浅間 疾風は、歪んだ正義の味方になった。


そして歪んだ正義は、力を手に入れる。


「俺が走って家の近くまでついた頃、家のポストによくわからない箱が届いていた。その箱を手にした途端に、俺は訳のわからない世界に飛ばされたんだ」


あたりは地割れでも起きたのかと言う風に、地面は割れ、建物という建物が崩壊寸前の状態でかろうじて立っていた。斜めに倒れそうになっている電柱は、配線からピリッと電流が漏れて発光する。


そして建物の壁には液晶の画面のようなものが張り巡らされ、それにはこの世界のどこかにある風景と、この世界にないどこかの風景がぐちゃぐちゃになって映し出されていた。そこは完全に人間がすむはずのない、廃都とかした情景。


疾風はその日、初めて『小さき戦場リトルガーデン』に立った。


「俺はとっさに何が起きたのか理解できなかった。突然終末世界のようなところに飛ばされ、挙句自分の家すらも崩壊寸前の建物に変わってた。俺はしばらく立ち尽くすしかできなかった」


だが事態は動いた。


突然地鳴りとともに巨大な音が響き渡ったのである。それと同時に何軒かの家が破壊され、その粉塵がそれなりに距離のあるはずの疾風がいた地点にまで飛んできた。


疾風はこの状況をなんとかできる糸口を見つけるためにも、その音の発信源の方に向かった。


そこで疾風が見たのは、倒れ伏し、息も絶え絶えな一匹の巨大な赤いドラゴンであった。


「俺はすぐにその場を離れようとした。何よりも自分の命がかかってる時ほど機敏になる自分を呪いながらもな。そうしようとした時だ・・・・そいつは俺に交渉を持ちかけたんだよ」





『我と契約しろ人間。そうすれば強大で最強の力が手に入るぞ』





ーー契約だと?どういうことだ?


ーーお主は契約者であろう?ならば意味はわかるはず。


ーーは?契約者?いみわかんねぇよ!!


ーーぬぅ、お主もしや初めてこの世界に来た者か・・・・なるほど、どうりで我の他に『イマジナリー』がいないと思ったらそういうことか。


ーーおいお前!!力が手に入るといったな!!それはどういうことだ!?


ーーふん、我をお前呼ばわりするとは愚かにもほどがあるのだが、まぁ良い。特別にその無礼を許そう。さっき言った通りであるぞ。我と契約すれば貴様は力を手にする。何者にも負けぬ力をな。


ーー誰にも負けない、力・・・・



「その後俺は簡単にそいつから異世界大戦のことを教わった。俺はその時人間側のメリットに食いついたわけだ」


換金、それも多額の金額を一戦勝てば手に入れることができる。これは疾風にとって願ったり叶ったりな展開だった。


「俺はそいつ、フレアと契約し契約者となった。もちろん記憶の消去についても聞いたが俺にとってはどうでも良かった。ただこの世界で勝てば香奈の家族の借金を払えるという信念だけが俺を動かしていた。心の中では、フレアという強大な力によって万能感にも似た感覚を味わっていた。俺はお前と出会うまではその圧倒的な火力だけで相手を粉砕するだけで良かったからな。」


この世界ならば、どんな夢だって叶えられる。


どんな風にも誰かを助けることができる。


これでずっと、自分は正義でいられる。


「俺はこの力を使って正義と悪を自分で都合よく生み出し、その名目で倒してきた。常に自分が正しいんだと自分に言い聞かせてな。そして勝った金で香奈の借金を支払った。香奈には言わなかった。言えば拒まれると思ったからな。あの時俺が拒んでしまった時のように・・・・」


こうして浅間 疾風は歪んだままここまで来てしまった。そんな疾風を転校した先でも、高校に進学した先でも、周りは誰も止めることはなかった。むしろ無責任にもてはやし、賞賛した。いつだってみんなのために動いていると、誰かのために何かを為す素晴らしい人間だと褒め続けた。その賞賛が疾風の歪みをさらに助長させたのである。


ある日、たったひとりの男に阻まれるまでは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る