第26話
駅から校舎までの短すぎる登校路を歩く俺の横で、等間隔に地面を叩く音。
そういえば、と。どこかそのリズムを崩さぬような慎重さで詩織は尋ねた。
「小宇佐先輩と付き合い始めたんだって?」
「……ノーコメント」
「ふーん。でも相当、噂になってるみたいよ」
「……」、そうだろうな。
正直なところ、あの先輩が彼氏なんて俗っぽいもの作るとは、作られた当人としてもにわかに信じがたい。
雨が降り出しそうな、少し早朝。まだ登校には早過ぎる時間帯ゆえか、辺りに見える生徒らの数もまばらで。
「お相手の名前は、何故かあまり出回ってないらしいけど」
「……そうだろうなぁ」
少なくとも先輩本人には偽名で通っているし。俺自身クラスで目立たない方だし。
「君には名雪さんがいるはずだし、ね」
「……」
運悪く駅前で詩織と鉢合わせしてしまい、あまつさえ学校までの同行を断りきれなかった数分前の自分を少し恨みたい気分。こいつは混雑を嫌うから、毎朝やたら早く来るかわざと遅刻するかだなんて、わかっていたはずだったのに。
「別れちゃったの?」
「だから、ノーコメントだって」
どう問われようとも無回答を決め込む構えの俺に、奴はあくまで悪気なんてちっともなさそうに。
「ふぅん?」、と。
「……」
何だその含むところが山ほどありそうなふぅんは。ため息と区別の付かない某先輩の抑揚のなさを見習って欲しいくらいだ。
「名雪さん、今日も置いてかれちゃったみたいだし」
「それは俺が週番だったから」
「本当にそれだけ?」
「それ以外に何があるよ」
「顔合わせるのが気まずいとか」
「……んなわけ」
まぁ言われてみれば、昨日の今日で、先輩側のごたごたを優先させてもらった対価をせがまれても面倒だったというのはあったかもだけど。
「二股?」
「……」
だからって、いきなりクリティカルに正解を叩かれてもキョドってしまう。
しかし幸いにして、並行する詩織の視界には俺の表情まで映らなかったらしく。
「まぁ、流石にないか。そんな最低行為」、と。
「……いくらなんでも、だろ」
「そんなに怒らないでよ」
「別に」、
「図星突かれたからって」
「………………」
まさか今までのぜんぶ、最初からカマかけだったのか、とか何とか。そんな想いが過る俺の脳裏へと、今度こそ微笑みかけながら。
「あんまり名雪さん困らせて遊ぶのもやめてあげなよ」
「……そういうつもりじゃ」
「つもりじゃないなら何なのさ?」
「色々、事情があるんだよ」
少し呆れたような沈黙の後。まぁ、と。
「水樹くんが自ら火に飛び込む性格とも思えないから、どうせ小宇佐先輩の方から近寄ってきたってところなんだろうけどさ」
「……」
今日のこいつはやたら勘が良いな、なんてことを思いつつ、気付けばすでに昇降口前。静寂の中に靴箱の開け閉めだけが響いて。
「泣いてたんだよ」
「……え」
目を合わせもせずに。
「昨日、名雪さんが水樹くんを置いて教室出てった時さ。一瞬だったけど、彼女泣きそうになってたんだよ」
たぶん気付いてたのは僕だけだったけど、と。
しかし彼のそんな軽口に俺はまともな返事を返すことも出来ず。口から出る言葉はと言えば「……どうして」、なんて。問いかけても仕方のない。
「さぁ?」
と、わずかに息切らせた声で、俺の隣。杖を伴って器用に階段を上りながら。
「でも、そんなに意外だった?」
「だって結菜は、」
元々俺のことなんか愛していない。そう言い掛けたけど、もちろん最後までは言葉にできなかった。
だっていくら相手が幼馴染とは言っても、通すべき義理くらいある。
壁に埋め込まれた防火扉へと、灰色の朝陽が雲の輪郭をうっすらと落としていた。
踊り場を折り返しながら。
「……勘違いしないで欲しいんだけどさ」と、何とも思ってなさそうな声を意識して出しているかのように。「別に名雪さんを泣かせたからって、僕は水樹くんを責めたいつもりじゃないんだよね」
男女不平等なんて今時流行らないでしょ、と。
「……つもりじゃないなら、何だよ」
「……さぁ、何だろう?」
おい。
「いや本当に。偶然水樹くんに会っちゃったから、何となく言ってみただけだし」
苦笑いではぐらかすように、普段通りの軽口を叩きながら最後の一段を上った。
「ただ、ひとつだけ言えるのは。今の君らの関係はやっぱりいびつだよ」、と。
「……」
「いびつってのはね。つまりこのままじゃ、どこかの時点で破綻しちゃうかもってことでさ」
「言われなくとも」遮るように。
わかってるよ、と。
「……全然わかってないよ」
詩織はそう肩をすくめたきり、それ以上続けなかった。
教室へ。
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