第18話

 しかしやはり、俺が授業に出ることは叶わなかった。

「散歩に行きましょう」、と。

 二年廊下で待ち伏せしていた、当の小宇佐先輩に捕まってしまい。諾とも否とも言う前に手を引かれてしまう。

 ……。いや別に、どうしても午後の授業に出たかったわけじゃないし、良いんだけどさ。

「どこ行くんですか」

「どこでも構わないわ」

 君と歩きたいだけなの、と。

 つまりはノープランと。

「……なら、ちょうどいい場所があるんですけど」

 階段を降りる途中だった先輩は振り返って、首を傾げる。

 午後の授業開始のチャイムが、背後で鳴る。


   ※


 手を繋がれたまま、俺の先導で校庭隅の金網口を抜けて学校裏の遊歩道へと足を踏み入れる。

 そこは幹線道路沿いに小川が通され、幅広い土歩道の頭上を暗がりにコナラが覆う、県が設置した人工的な緩衝緑地だった。

「……こんな場所があったのね」

 思わずと言ったように、生い茂る緑の天蓋を見上げながら小宇佐先輩は呟いた。

 むせ返るような土の匂いの真ん中で、しかし俺は首を傾げる。

「体育の時とかにも、ランニングで使ってるはずですけど」

「サボってるもの」

 なるほど。

 そのまま俺たちは左右に伸びる遊歩道の左手方向奥側へとゆっくり歩いていった。まだ放せば逃げられるとでも思っているのか、手は握られたまま。

 右手側にせせらぐ川向こうを、大型車が唸るように荒々しく行き交う。

 たまにすれ違う穏やかな通行人らに、制服姿を見咎められないかと少し不安だった。

「奇妙な場所ね」

「……そうですか?」

 ええ、と頷いた。

「この先はどこへ続いているの?」

「どこにも続いてませんよ。途中でぱったりと途切れて、パチンコ屋に突き当たります」

「川は途切れないわ」

「……さぁ、地下にでも潜っていたような気がしますけど」

「ふーん」

 すっかり聞き慣れてしまった、抑揚のないふーんだった。

「それより、奇妙って?」

「……」、少し考えるような間ののち。

「まるで森の内側のように、薄暗く生きた気配で満ち溢れているのに、手を伸ばせば届きそうな場所でたくさんの車が走っていて」、

 途切れて。「上手く言えないけど。私はこの街が嫌いだったの」、と。

 この人の急な話題の転換にも馴れてきていた俺は、気にもせずに、「でも越してきたばかりでしたよね」、と尋ね返す。

「そう。空港で降りて、住む予定だった家までのタクシーから眺めた時、嫌な街だなと思ったの」

 お墓のような街だったから。

「お墓?」

「団地があって、学校があって、病院があって、市役所があって。その内側で人が産まれて、死ぬまでに子どもを産んで、育てて、死んでいく。ただそれだけのために設計された街という気がしたの」

「でも……、ほとんどの街ってそんなものじゃないですか?」

 俺は生まれて以来、この街から出たことがないから知らないけど。

「そうかもしれない。私は仕事の都合で色んな街を観てきたけど、確かにそうだった」

 だからたぶん、生きてるということそのものが私は嫌なのね。

「嫌?」

「いずれ死んでしまうことを視界に入れまいと必死で、ひどく醜いもの」

 そう呟いたきり立ち止まって。

 遊歩道の真ん中で、先輩は肩掛けバッグからグロッキー帳を取り出し、無言のままに絵を描き始めた。

「……」

 唐突に放って置かれた俺は、彼女のそばに立ち尽くして辺りを見回した。

 幸いにして通行人の人影はなく、特段誰かの邪魔になるということもなさそうだったので、そのまま先輩が描き終わるのを待つことにした。

 遠く、蝉の鳴き声。

「こういうこと」

 と、数分後に見せてくれた絵は、恐らく車の窓からだろう変哲ないどこかの景色で。

「あぁ」、なるほど。

 意外なほどすんなりと、俺はその絵を通して先輩が伝えようとした息苦しさを受け取った。

「こんな場所に俺たちは住んでるんですね」

「でもこの辺りは好きよ」、と。

 気付けば彼女はすでに二枚目を描き始めていて。

 また少し待っていれば、「ほら」、と見せてくれる。

 それはちょうど俺たちの正面に臨み続ける景色で。樹木の木陰から何も走らない大きな道路が見渡せて、人類が滅びたあとの都市のような、言い難いもの悲しさがあった。

「こういうのが好きなんですね」

「少しあなたに似てるわ」

「……」

 自身が景色に似ていると言われるのは、正直よくわからなかった。

 それから二人でしばらく歩いて。

「戻りましょうか」、と。

 これまた唐突に、先輩は言い出して俺の手を引いたまま踵を返した。

「もう良いんですか?」

「この先は、どこにも続いていないのでしょう」

 ならここでやめておくわ、と。

「行きたいなら、果てまで付き合いますよ?」

 今更授業に戻りたいわけでもないし、なんてことを思っていたけれど。

「嫌よ……」、終わりなんて見たくないもの。

「……」

 そんなものかな、と少し疑問には思いつつ。何も言わずに付き従い、学校へと戻っていく。

 みんな消えてしまえばいいのに、と。彼女が囁く。

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