第7話

「こうして聞いてみると水樹ってさ」結菜は箸を止めて。「結構みんなに好き勝手言われてるよね」

 教室にて。俺が話す昨夜からの一通りの出来事を聞いた彼女は、他人事らしい呆れ笑いを浮かべた。

「そうかな」

「そうだよ」、と。

 ちなみに今は昼休みで、俺はこの通り結菜と机を合わせて俺が作ってきた二人分の弁当を食べている。

 ……誤字じゃなく。俺は自身の分に加えて、幼馴染のために毎朝弁当を作ってあげていたりする。

 向かいでは焼き鮭(昨夜の残り)をつまむ結菜お嬢様。

 こうも美味しそうに食べていただければ作り手冥利に尽きるとは思うものの、たまにはこんな言葉も口を衝いて出てしまう。

「というかいい加減、弁当くらい自分で作ってきたら」

「ん、作って欲しいの?」

 そうきょとんとされても困ってしまう。

「違くて、毎朝めんどくさいんだけど」

「良いじゃん減るもんじゃなし」

 と、いっそ清々しいまでに無視される質量保存則。

 もちろん減る。我が家の冷蔵庫の中身が。

 とは主張してみたものの。そうかな、なんてとぼけて結菜は再び箸を動かしかけた。

 しかしその途中で。何かを俺の肩越しに見つけたらしく、ふいに手を止めて。

「あれ、小宇佐先輩じゃない?」、と。

 振り返ってみれば確かにその通り。教室の入り口付近でクラスメイトへと話しかけているのは他でもない件の芸術家先輩。

 何事かと思えば。その会話を横耳で拾うに、主旨としてはこのクラスに佐藤吾郎はいないかとお尋ねのご様子だったので。

「……」

 昨日とっさのこととは言え、偽名を名乗れた俺自身に心の底から賞賛を送りたい気分だった。

 佐藤吾郎なんて名前と一文字も被らない水樹くんはその光景を見なかったことにして、向けていた首をそっと元に戻す。だってあんまりじろじろと見てたら、向こうからもこっちの顔がわかっちゃうじゃない?

「水樹さ……」

「……何だよ」

「どうしてあの人が来た途端、熱心にお弁当を食べ始めるの」

「急に美味しくなった気がして」

 うわ自賛か、と引かれる。

 そんな汚名とて何のその。危うきに関わりたくない俺としては、どう言われようとも先輩の側へと顔を向けるわけにはいかなくて。

 そのまましばらく食べることに集中していたら。結菜が呆れたように。

「行っちゃったみたいよ」

「……」

 露骨に安堵してしまった。その仕草を怪しまれて。

「もしかして、あの人が探してたのって水樹?」

「まさか、そんなわけないでしょ」

「何で即断できるの」

「……」

 墓穴。

 怒られるかと身構えた頭上にため息を吐かれて、視線を上げてみれば。

「あんまり馬鹿なことしてないでよね」、と。「私まで同類みたいじゃん」

「……そう見えるかな?」

「そんなものですよ。世間の目ってさ」

 と言い切られてしまう。

 ……事情を説明するなら。

 実態はともかく一応の建前として。俺と結菜は付き合ってる、ということになっている。

 幼馴染なんて繋がりを理由に校内での行動をともにしていたら、いつの間にか周囲からそう認識されるようになってしまっていて、しかし俺たち自身あまり積極的にその誤解を解こうとしてこなかった。

 その方がお互いに都合が良かったから。

 どこからか、もういっそのこと本当に付き合ってしまいなよという幻聴が(姉貴の声音で)聞こえてこなくもないけれど。正直俺としては願い下げで、たぶん向こうの意見だって似たようなものだろう。

 俺が結菜の事情を知っているように、結菜の方だって俺の病気(シスコン)を踏まえた上で、付き合うふりを続けてくれている。

 あくまで偽装。されどもちろん、偽装なりの責任というものは発生するはずで、こちらの悪評が相手の側にまで広がるような事態ともなれば、怒られたりするのも仕方ないのかしらね、とか何とか。

 まぁともかく。

「善処します」

「よろしい」

 と、彼女はもっともらしく頷いた。

 しかし次の瞬間には周囲をはばかる小声で、こう付け足すのだからよくわからない。

「あ、でも。ユキ姉ぇの言う通りに小宇佐先輩と付き合うつもりなら、私たち別れたことにするから早めに言ってね」

 二股かけられてるって言われるのも嫌だし、と。

 微妙に釈然としないまま「わかった」と頷けば。

「うん、よろしい」と屈託なく。

 微笑みとともに繰り返された言葉尻。少し寂しげな響きが聞こえたのは、流石に俺の自意識過剰だろうと、無理に意識を引き剥がす。

「結菜はさ、愛って何だと思う?」

「……何、突然?」

「あの先輩に尋ねられたんだけどさ。ほら一応、俺の周りでは唯一の恋愛経験者だし」

「んー……?」

 釈然とはしなかったようだが、少し考えて。

「わからないけど私は……愛ってね、何かキラキラしたものだと思うんだ」

「……本当にそう思ってる?」

 小さく息を飲む音。

「少なくとも……、真っ只中にいる間はそんな気分だと思うよ」

「……」

 当人とて気付かぬほど微細に震える左手に、なら終わってしまったら、と重ねて尋ねるだけの底意地の悪さはあいにく持ち合わせていなくて。起伏ない平和な沈黙をやむえず選ばされる。

 その向かいで、結菜は。あくまで思わずと言ったようにこう続けた。

「でも何だか予言みたいだよね」

「……予言?」

 何の話かと思えば。ほら、ユキ姉ぇの、と。

「もしこれで本当に、水樹が小宇佐先輩と付き合うことになったら、ユキ姉ぇは最初からその未来を知っていたみたい」

「……それは予言というか」、けしかけたというか。

 周囲の囃し立てで何となく互いを意識し始めるなんて、そんなガキじゃあるまいし。とは思うものの。

「まぁどちらかと言えば、呪いかもね」

「……」

 可笑しそうに微笑むものだから、割りかし冗談でなく、冷たいものが背中を伝う。

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