第6話

「水樹くんの周りには可愛い女の子が多くて羨ましいね」、と。

 それは体育でのことだった。

 男子はソフトボールをやるよう指示され、九対九の試合を待つ間、残りの生徒らにはしばしの自由時間が与えられていた。とは言ってみるものの、いつも通り手持ち無沙汰を持て余す俺は一人ぽつんと階段脇に腰掛けていて。これまたいつも通り、背後から松葉杖を突きつつ降りてきた彼にそう話しかけられたのだった。

「……何の話だよ?」

「昨日の、駅前での話だね」

 駅前ということは、結菜との買い食いでも見られていたのだろう。

 けれど。

「……詩織には言われたくないな」

 恐らく皮肉抜きだとしても、そう言ってくれる相手の顔がこの出来だと、微妙な気持ちになってしまう。

 詩織雅一。中学時代からの知り合いで、クラスで浮き気味な水樹くんにも話しかけてくれる人格者。俺の狭い交友範囲中、唯一の男子だったりして。

 ついでに言い添えるなら、生まれつき足が不自由で体育は毎回見学。だからこそ比較的、二人組が作れず毎回ぼっちな俺と軽く話す機会も多いのかもしれない。

 そんなことを思っている間に、彼は同じ段へと腰を降ろして杖を斜めに立て掛けた。

「まぁそれはともかく、」身を乗り出してくる。「今は水樹くんの好みの話でしょ」

「……そんな話だったか?」

 同じ分だけ引いてバランスを取りつつ、相変わらずな話題の唐突さに内心首を傾げる。

「確か君の好みは、お姉さん系なんだっけ」

「……違くて、俺は姉貴が好きなんだよ」

 これは以前からことあるごとに主張してきた事実なのだけど、詩織には冗談とでも思われているのか、今回もあははと半笑いに流される。いや、笑うなよ。

「とするなら、この前転校してきた小宇佐先輩みたいのが良いんだ?」

「……」

 彼の口からその名前が出てきたのは、いくらなんでも偶然だと思う。

 特にこちらの事情をあれこれと漏らさずともそんな話題が向こうから振られてくる程度には、やっぱりこの学校における彼女の注目度は相当なものなのだろう、と。

「黙り込むってことは図星かな、」覗き込むように。「もしや水篠くんは、ああいう天才肌もタイプなの?」

「天才肌って……」何かを迂遠に言い回したような形容だななんて思いつつ。「というか、言われてるほど天才なのかね」

「……いやいや、少しは調べるくらいしなよ」

「?」

 首を傾げた俺へと、詩織は呆れたように頬を掻いてちょっと待ってて、と。制服のポケットから窮屈そうに取り出したスマホをしばらく片手間に操作して。

「ほら見てみなよ」

 そうやって押し付けられた広告だらけの画面は、どうやらありがちなネット記事のひとつ。その内容はと言えば芸術家としての小宇佐先輩の業績を紹介する記事らしく。

 曰く、鬼才少女画家。

 結菜から聞いたのと同じようなプロフィールが列んだ直後に、先輩本人の写真が一枚挟まれている。

 どこかのアトリエだろうか。写真の中の彼女はあくまで興味なさげに、こちら側へと視線を向けたきり。猫背気味の姿勢で落ちきった肩に長い黒髪がかかり、丸椅子に座ったまま重ねた手元を剥き出しの膝に掛けている。

「その写真酷いよな。もっと笑ったとことか撮ってあげればいいのに」

 と、横から詩織が口を挟んでくる。けれど、俺はむしろ感心していた。あの掴みどころのなさはこうやって解釈するべきなのだと教えてもらえたかのような、そんな感覚。

 まぁそれはともかく、更に下へと画面をスクロールしていって。

「……」

 あぁこれか、と。

 浮かび上がるように現れたのは恐らく人物画だった。恐らくと言うのは、これをただの肖像画と呼ぶのもはばかられたからで。

 その油絵はただ短く、『マリア』と名付けられていた。

 淡く微笑みをたたえた女性。が、崩れていく瞬間を描いたもの。

 首から下だけが瓦解するパズルのように散り散りの欠片へと形を変えていく。彼女の内側で暮らしていたのだろう顔のない小人たちが、何もかもを諦めたかのような仕草で重力に身を任せ、燃え盛る暗がりへと落ちていく。それでもあくまでその女性が浮かべているのは、聖母のように穏やかな笑み、なんて。

「結構すごいだろ?」

 まじまじとその画像を見てしまっていた俺に詩織は言った。

「まぁ、確かに」

 いくら俺でもこれが天才の所業と言われるだろうことはわかる。

 モチーフの奇抜さとかを抜きにしても、表現の説得力がおかしい。現物ですらないこんなに小さな画像データでも、一目見ただけで心臓をわしづかみにされるような没入感があって、気付けばしばらく目が離せなくなる。離した後もしばらくは網膜に焼き付いた残像が視界に滲み、それさえも消える頃、今夜の夢にまで侵食してきそうな不安だけが脳蓋に染み付いていた。

 しかしそれでも、あえて言葉にしてみた。

「でも、たかが絵でしょ」

 これだけで彼女がああまで持ち上げられる理由はわからないな、と。

「噂だけど、学園長の遠戚だとか」

「……左様で」

 存外、世俗にまみれた理由だった。

 なんて、こちらが少し呆れていた油断の真ん中に。

「でもどれだけ玉の輿でも、僕ならあれはやめとくな」、と。

 彼はとぼけたような半笑いに、そう続けた。

「……へぇ、」

 正直に言えば、珍しいこともあるものだと思っていた。

 俺との付き合いがあることからもわかるように、詩織は相手が奇人変人だからという理由で自身の交友範囲を狭めたりしない。はずだと思っていたのに。

「……」

「まぁ、水樹くんにはあれくらい変なのがちょうどいいかもだけど」、と。

 返す言葉に迷うこちらの沈黙の真向かいで、気付けば詩織は見慣れたとぼけ具合を取り戻してやがる。

 それが照れ隠しとはわかっているけれど、あまり好き勝手に言われれば俺も妙な反発心くらい湧いてしまって。

「いやいや俺には将来を誓った姉がいますので」

 奴隷宣誓。もちろん冗談だけど。

 だからってそこでまた、あはは、と流されても微妙に腹が立つんだって。

「というかそれ以前に、水樹くんは名雪さんと付き合ってたっけ」

「……」

 名雪さん。名雪結菜。

 俺の幼馴染、兼。偽装彼女。

「まぁ、そうかもね」

「やっぱり水樹くんの周りには、可愛い女の子が多くて羨ましいね」、と。

 彼はまた冗談めかして小さく笑った。

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