第5話
それから数時間後の話。予定通り、待ち合わせていた結菜と登校して教室に至り、今日こそは真面目に授業を受けてやるぞと心機一転、新たな心持ちで臨んではみたものの。
結論から先に言えば、俺はその日の一限を教室で過ごすことさえできなかった。
せめて言い訳くらいさせて欲しかった。
昨日だって教師側さえ許してくれたのなら、ちゃんと授業には出るつもりだったのだ、と。
「黙れ、シスコン野郎」
健全な聖職者の使う言葉じゃないですな、と。思ったけど、口に出せばますます怒られるだろうことはわかりきっていたので俺は黙り込む。
「昨日一日どこでサボってたのよ、え?」
「……」
それでも黙っていれば。「何か言えよ」と、スネを蹴られる。
いよいよ本当にカタギかと怪しくなってくるけど、これで学校の保健医だったりするのだから世の中色々間違ってると思う。
江花こより。通称こよちゃん。
ちなみにこの通り、保健医にしては不自然なほど見た目が若いけど、実年齢もゲロ若い。それもまぁ当然で。何を隠そう江花さんはうちの姉貴と同年齢どころか、この高校の同窓だったりして。
「それは君の脳内設定」
「……」えー。
加えて何故か歴史修正主義者。
学生時代の姉貴と余程な過去があったのだろうと思うけど、怖くて未だ聞けてない。
「そんなことよかあんた、あげた薬はちゃんと飲んでるの?」
「飲んでますよ」
などと、嘯いて。
「それよりどうして俺は呼び出されてるんですか」
「昨日、授業サボったからでしょ」
しかも生意気にピアスなんか、と苛立たしげに。……いや、両耳合計で七つも下げてる人にそう言われましても。
なんて本音は飲み込みつつ、比較的勝てる見込みのありそうな反論を試みる。
そうだな、例えば。
「だからって、その説教でまた授業サボらされたら本末転痛い痛いです、耳やめて」
穴のあいてる側を迷いなく引っ張られて、議論もプライドもなく、思わず懇願してしまう。
生意気とか言うくせにお前、拡張するつもりかと。内心ぼやく俺の向かいで思い出したようにあ、と声を上げて。
「そういえばあの子に会ったそうね」
「あの子?」
ほら屋上で、と言われて。あぁ昨日の逆レイプ先輩かと、顔と下着の色までは思い浮かぶのだけど肝心の名前が出てこない。
まぁ、そんなことより。
「江花さんもやっぱり知ってるんですか」
「そりゃあね。てか、そんな言い方するってことは」
まさか知らなかったのか、と尋ねられて。今も微妙に名前が思い出せていないとは言い出しにくくなってしまう。
誤魔化すように。絵が上手いそうですねと言えば、馬鹿を見たような顔をされた。
「……何ですか」
「間違ってないけどさ、そんなあっさり言われると美術部レベルみたい」
ふむ、言われてみれば確かに。天才画家(笑)を相手に失礼な表現だったかもしれないと反省する。
「というか実はあの子、二人目の私担当なのよ」
「へぇ、それはそれは」
うちの学校で特殊保健医に担当されるということは、日頃から専門的対処が必要な程度には何かしらの問題を抱えてるという意味だったりする。
「ご苦労様です」
「うるさい一人目」
ななな何ですと?
またも蹴られたスネを遠ざけつつ、初めて知った驚愕の事実。
まさか俺も知らず知らずのうち、心の病気でも抱えていたのかしら。そりゃどうしてこよちゃんに会うたび薬もらえるのかなとか、この人やたら医者患者みたいに接してくるなとか。今までのそういった積み重ねを疑問にも思わなったような俺の頭なら、確かに欠陥のひとつやふたつもあるんだろうけどさ。疑いなく(自己解決)。
というか、嫌なことに気付いてしまった。
「もしや、俺への説教が毎回江花さんなのも」
「今頃気付いたの?」
「率直に、担当変えてくれませんか」
「指名できる立場なわけないで、しょ」
と、またも不意打ちで蹴られそうになったけど、長さ足らずで俺の勝ち。「あ、そだ。」されど嫌がらせのように椅子の足を蹴られて揺れる。ガシガシと何が楽しいのか飽きずに蹴りまくりながら。
「ちょうどいいからあの子と仲良くしてやってよ」
「……」
少なくとも人に物頼む態度とタイミングじゃないなと思いました。まる。
「もちろん嫌なんですけど」
「あんたに拒否権なんかあるわけないでしょ」
ないんだ。
「あと嘘吐かず。薬はちゃんと飲むように」
バレてら。
……。
それにしても、少し珍しいなと思った。半ば強制とは言え、この人が俺に頼みごとをするなんて。と言うのも普段のこよちゃんはもちろん、説教がてら(じつは診断)にあれしろこれしろとうるさい人だけれど、その一方で。彼女が個人的お願いを口にするところなんて、俺はこれまで見たこともなかった。
余程、何たら先輩のことを気にかけているのかもしれない、なんて。
そんなことを考えていたら、「てか、私は次の面談もあるんだから」と。たった今その無駄加減に気付いたらしい唐突さでガシガシが止まり、追い払うような仕草で早く出て行けと指図される。
あんまりな態度豹変ぶりに内心呆れつつ、素直に立ち上がってはみたものの。
「そういえば、」と捻くれ者の口先が勝手に心残りを尋ねてしまう。
「何さ?」
「あの人ってどうしてこんな学校に来てるんです?」
「……本人に直接訊きなよ」
なんて、珍しく素っ気ない声音で言うものだから。
「……」
そのへたれ具合に周囲からの高い評価を得ている俺は、会釈ひとつ残して保健室から立ち去ることを選んでしまう。
もちろん直接になんて訊きもしないつもりの後ろ手に扉を閉め。さて教室へ、と。
「佐藤くん」
「……小宇佐先輩」
件の本人と鉢合わせて、折角忘れかけていた名前も同時に口を突いてしまう。
やたら間合いの近い彼我の距離、約半メートルほど。
出来ることならこのまま踵を返して何も見なかったことにしたい気分だったけれど、たった今手ずから閉めたばかりの扉が背中に固く冷たかった。
「……先輩は、」覗き込んでくるような視線から目を逸しつつ。「どうして保健室に」
「あなたも特別生なのね」
「……」
会話はもちろん噛み合わない。
いや、ある意味では問いの答えになっていたけどさ。なるほど次の面談相手とやらがこの人だったのか、と腑に落ちるものを感じながら。
「どいてくれる」
そう尋ねられて。上手く返事も出来ないままに避けてしまう。
雨の残り香。
横をすり抜けた少し不機嫌そうな背中から察するに、たぶん俺と同じく、彼女も今からサボりで説教されるのだろう。なんてことを考えて微妙な親近感を覚えつつ、だからと言ってやはり、ことさらに関わりを持ちたい相手でもない。自身の足音だけがやたら響いてしまう廊下を抜けて、俺は早々に自身の教室へと逃げ戻る。こういうのなんて言うんだっけ。そう、あれ。
君子危うきには目をつぶるのだ。
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