第5話 よどむことなく

 宝物庫を後にし、客間へ向かって廊下を歩いていると、途中で父が待ち構えていた。

「父上、あの、無断で城を抜け出していたのは……」

「恩人だという若者は、何も知らぬのだろう?」

 もう伝わっている。いや、それより何より――鋭い。

「……はい。ですが、大丈夫です」

「あの箱を使えばな」

 すっと頭が冷えた。

 やはり、父だけは誤魔化ごまかせない。きっと他のこともすべて、とうに見透みすかされているのだろう。

 すぐには言葉の出てこない私を見て、父は小さく息をつき、

「己の立場は、わかっているな?」

 有無を言わせぬ威圧感。逆らうという選択肢は、最初から用意されていない。

「わかっております。宴が終われば、すぐに故郷へ帰らせます」

 ほんのひと時でいい。ごく平凡な男女のように共に過ごしてみたい――私の願いは、ただそれだけだ。元より、それ以上は望んでいない。

 父は私をじっと見つめ、

「それならもう、何も言わん。後は自分でよくよく考えて、なすべきことをせよ」

 そう言い置いて去って行った。

 父の姿が見えなくなった途端、体の強張こわばりがほどけた。いつの間にか、全身に力が入っていたようだ。

 私は再び歩き出した。廊下の角を曲がると、きらびやかな彩色画が目に飛び込んできた。悠々と海鳥が飛ぶ風景を描いたふすまは、迫力がありながら、同時に包容力も感じさせる。その前で立ち止まり、いったん心を落ち着かせ、中へ声をかけた。

「乙です。待たせてしまいましたね」

 間を置かず、中にいる侍女が襖をすっと開けた。

 広々とした客間は、装飾が過剰にならぬよう抑えられているため、落ち着いた雰囲気をかもし出している。障子や床の間に用いられている木材は、どれも上質で清々すがすがしい。つぼも掛け軸も、一見地味だが実際には、一つあれば屋敷が建つほどの宝物だ。そんな客間で、ごちそうと酒と侍女たちに囲まれている浦島は、どこか居心地が悪そうだった。

 中に入ると、侍女たちは浦島からさっと一歩引き、居住いずまいを正した。私は彼の前に座り、

「何か不手際ふてぎわや行き届かないことでもありましたか? したいことでも欲しい物でも、遠慮なく申し出てくださって構わないのですよ」

「いえ、不満など何もありません。このように、あれやこれやと人からもてなされたのは初めてなもので。お恥ずかしながら、どう受け止めればいいのか戸惑ってばかりなのですよ。こういう大きな宴での振る舞い方など、身に付ける機会もありませんでしたから」

 私は思わず噴き出した。

「宴を行うのはもう少し後です。今、急いで支度をさせています。それを待っていただくために、こうして侍女に接待をさせていたのですが……」

 浦島はぽかんとしていたが、じきに自分の勘違いに気づいて顔を赤くした。

「そ、そうだったんですか。私にはこれでも充分、豪勢で。まるで別世界に来たような心地でしたから、てっきり」

「ごめんなさい、笑ったりして。でもこれは、あなたがおかしいからではないのですよ。私が何気なく侍女たちに命じたことが、まさかこんな勘違いを引き起こすとは思わなかったものですから。裏を返せば、あなたに宴だと思わせるほど、侍女たちは心を尽くしてもてなしていたのですね。これはうれしいことです」

 そう言い添えても、浦島は恥ずかしそうに目をそらしていた。

 私は表情を改め、

「少し、城を案内しましょう。あなたにはそちらの方が合っていそうですし、いい土産話にもなるでしょうから」

 立ち上がって浦島を誘うと、彼だけでなく侍女たちも立ち上がった。私はきっぱりとそれを制した。

「あなたたちは宴の支度を手伝ってらっしゃい。案内は私一人でできますから」

「ですが、殿方とお二人だけでというのは……」

「心配いりません。浦島殿は決して、私を傷つけるようなことはしませんから」

 まだ何か言いたそうな侍女を振り切るように、客間を後にした。浦島も私についてきたものの、戸惑った様子で、

「いいんですか? あんなことをして。後々もめたりしませんか? 私は侍女の方々がついてきても気にしませんし、あるいは、城の案内は別の機会にでも……」

 私は足を止め、

「彼女たちは、まだあなたに疑念を抱いているのです。来客、それも恩人に対して、あれでは礼を欠いています。私が一人で城を案内しても何事もなければ、疑いが杞憂きゆうに過ぎないという証明にもなります」

 浦島が、ふと真顔まがおになった。

「何をいら立っておられるのですか?」

「え?」

「家臣は主君の身を案じ、用心に用心を重ねるもの。万に一つのことも起きぬよう、あらゆる可能性を考え、危険を遠ざけるのが務め……そう聞いたことがあります。あなたが恩人だと言ったところで、私の素性すじょうが保証されるわけではありません。警戒されるのも当然です。あなたは、それがわからないような方ではないでしょう?」

 すぐには言葉が返せなかった。

 その通りだ。私はわかっている、侍女たちのほうが正しいと。城の中とはいえ、素性を確かめてもいない男と二人きりで過ごすなんて、危険だとさとされても仕方ない。

 それでも。

「長らくとどこおっていた私の婿むこ選びが、ようやく少し進んだそうなのです」

「え?」

「ですが、まだ決して私の耳に入れてはいけないそうです」

「あの、それはいったい……」

 私は自嘲じちょう気味に微笑んだ。

「家臣がそう話しているのを、偶然聞いてしまったのです。父の子は私一人。婿選びが慎重しんちょうになるのは、もっともなこと。でもどうして、一番の当事者である私に、何も知らされないまま話が進むのでしょう?」

 私が何を選ぶか、どう振る舞うか、どのように生きるか――すべてが周囲によって決められてしまう。蚊帳かやの外に置かれ、決定事項を与えられるだけ。はみ出すことは許されない。

 領主の子とは、そういうもの。他に子がいなければ、なおのこと――わかっている。わかっているけれど。

 実は、浦島に釣り上げられたあの日も、婿選びの話を耳にして衝動しょうどう的に城を抜け出していたのだ。亀にして人間界にまぎれ込み、ああやって泳いでいると、一時的とはいえ、しがらみから解き放たれた気分を味わえる。

 浦島は黙って、ただ私が話すのを聞いていた。

「父が後添のちぞいを迎えるなり側室をもうけるなりしてくれて、男子が生まれれば、私が負わされている荷も少しは軽くなるのに、などと考えてしまうこともあります。勝手なものですね。母が亡くなった時、私はまだ幼少のみぎりだったものの、二人がむつまじく暮らしていた姿はちゃんと覚えているのに」

 己の自由のために、父の心を無視している――ひどい娘だ。

「私は、ただの人形にはなれそうもありません。理想像を演じるのにも、時々疲れてしまいます。上に立つ者としてどころか、子としても失格なのでしょうね」

 私の言葉が途切れると、浦島はいつもの柔和にゅうわ面持おももちで、

「城を案内していただけますか?」

 そう願い出た。私が困惑していると、

「いい土産話になるぐらい、素晴らしい城なのでしょう? 私だけでなく、きっとあなたの心も晴れますよ。二人で見て回れば、なおさら」

 さあ、と促された。

 言われるままに、私は彼を先導して廊下を歩いた。浦島は後をついてきながら、

「この城に滞在させていただく間だけにはなりますが、それでよければ、あなたに付き合いましょう。私は、しがない漁師にすぎません。これが、私にできる精一杯です」

 振り向かないまま、私は問うた。

「あなたは私のような者に対しても、同情してくれるのですね」

「え?」

「衣食住が保証された身分で、さらにそれ以上を望むなんて、あなたから見れば贅沢ぜいたくな話でしょう? おまけに、周囲の者の思いも都合つごうも考えていない。そんな身勝手な者にも同情できるあなたは、やさしい人間に違いありません」

 浦島は少し間を置いてから、感情を抑えた静かな声で語り始めた。

「同情……と言えば、そうなのでしょうね。私も身勝手な人間ですから。うかがっていて、他人事ひとごとと切り捨てることはできませんでしたよ」

 これまでの彼と、まとう空気そのものが何か違って感じられた。どこかかげを含んでいるような――。

「昔は、親に仕事を手伝わされるのを、のらりくらりとかわして逃げてばかりでした。それどころか、親の稼ぎでこっそり飲み食いしたり、遊んだりしこともありますよ。『あんたの子供になりたくてなったんじゃない』なんて、捨て台詞ぜりふのように言ったこともありました。親が働いてくれているからこそ、飢えもこごえもせずに済んでいるというのに。今でこそ、その親を養っていますが、受けた恩の半分も返せちゃいませんよ」

 いったん言葉を区切ると、少し口調も表情もやわらげ、

「ですが、城を案内していただきたいと言ったのは、同情とは関係ありません。元々、城の中がいったいどのようになっているのか、気になっていたんです。外から見ただけでも、たいそう立派な城で驚かされましたから。中ももっと見られればいいのに、と。城内のみなさんを、何よりあなたをわずらわせてはいけないと思い、口には出さなかったんですが……余計な気遣きづかいだったようですね」

 なぜだろう――ほっとしているのは。

 どうして、この男は。

 たしなめるでなく。責めるでなく。なぐさめるでなく。ただ、穏やかな波のように、こちらの心を受け止める――こんな風に接してくる者は、初めてだった。

 一つ、深く息を吸い、吐く。

 まだ、大丈夫だ。もう、大丈夫だ。

 私は何もなかったように、城の案内を続けた。

「さあ、こちらへ。きっと、見れば驚きますよ」

 浦島も、何もなかったようについてきているのが、気配でわかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る