第4話 あふるる思いは

 竜宮城のそばまで来ると、浦島は深く息をついて、半ば呆然とつぶやいた。

「いやはや……これほど大きくて美しい城、探してもそうそうあるまい」

 どこからどこまであるのか、すぐには把握できないほど大規模なためか、浦島はきょろきょろと辺りを見回している。ぐるりと巡らされた築地ついじにも、磨き抜かれた屋根にも、随所に金や銀、宝玉が用いられ、城の存在を主張していた。それでいて不思議と、うわついた印象はない。しっとりと落ち着いていて、周囲の山や木々にもなじんでいる。瓦も土壁も、傷や汚れがまるでなく、見るからにさわやかだ。今建てられたばかりと言っても、誰も疑わないだろう。

 私は迷うことなく、城の正門を目指した。こちらに気付いた門番が、驚いて裏返った声を出した。

「姫様! いつの間に城の外へ!? どこに行っておられたんですか。城じゅう大騒ぎですよ!」

 門番は慌てふためきながら、城の奥へ知らせに走った。程なく、わらわらと大勢の家臣が駆けつけてきた。

「いったいどこから外へ」

「何をしておられたんですか」

「ああ、ご無事でよかった……」

「我々がどれほど心配したと思っておられるんですか!」

 取り囲まれ、口々にまくし立てられた。予想はしていたが、それ以上に騒ぎになっていたようだ。

 己のまいた種とはいえ、さすがにうんざりする。私はぴしりと一喝いっかつした。

「静まりなさい!」

 騒然とした場が、一瞬で静寂に変わった。

 直立不動の家臣たちをざっと見てから、

「黙って城を抜け出していたことは、申し訳なかったと思っています。私の軽はずみゆえに、みなには迷惑をかけてしまいましたね。誠にすまなかった。許しておくれ」

 頭を下げてびたら、再びその場が声であふれた。

「姫様、頭なんて下げないでください!」

「もういいんです。無事に戻ってきていただけたら、それだけでもう……」

「お具合は大丈夫ですか? 怪我などしておられませんか?」

「ああ、なんと謙虚でいらっしゃる……」

 ……我知らず、ため息が漏れた。

 切りがないので、もう一度声を張り上げた。

「私はこうして戻ってきたのですから、みんなもう持ち場に戻りなさい。事情は後でちゃんと説明します。今は少し、休ませておくれ」

「「「「「はい!」」」」」

 門番と私付きの侍女以外は、潮が引くように持ち場に戻って行った。

 侍女はつつっと歩み寄ると、私の背後にちらりと視線を向け、小声でたずねてきた。

「姫様、あの方は?」

 振り向くと、浦島がぽかんとした顔で立っていた。

「私の恩人です。彼のおかげで、城に戻ってくることができました。丁重ていちょうにもてなしなさい」

 そうきっぱり言っても、侍女はいぶかしげな表情を変えなかった。

「身元は確かなのですか? 恩人とおっしゃいますが、こちらをあざむくためということもあり得ます」

「あり得ません。彼はただの漁師です。それも、世にまれなほど善良な」

「ですから、それこそが芝居ということも……」

「私の目がくもっているとでも?」

 侍女の反論が途切れた。これ以上口をはさませるまいと、私は一気に畳みかけた。

「何か問題が起きた時は、私がすべての責を負います。誰にもあなたをとがめさせはしません」

 私は浦島をうながし、おごそかで背丈の何倍もある正門をくぐった。

 浦島はおずおずと付いてきながら、

「あの……私はやっぱり、ここで帰りましょうか? 元々、礼なんて望んでいませんし、こんなたいそうな場所、私には似つかわしくありませんから。何より、軽々しく私のような者を城に入れたら、後々あなたが苦労なさるんじゃありませんか?」

 私は足を止め、振り向いて、

「心配する必要はありません。あなたには何一つ、やましいところはないのですから。むしろ、私が恩に対してむくいなければ、同義に反することになります」

「そうおっしゃるのなら……。それにしても、本当に立派な城ですねぇ。私なんぞがこんなところにいて、本当にいいのやら」

「そのように自信なさげなことをいうものではありません。あなたの行いは、この城で歓待を受けるのにふさわしいものです。私が保証します。もっと堂々としていなさい」

 浦島は目をしばたたいたかと思うと、柔らかく微笑んだ。

「やはり故郷というのは、人を安心させるもののようですね」

「え?」

「船で流されてきた時には、ずいぶんおびえておられて、こちらも気をみましたが。慣れ親しんだ土地へ戻ってきて、普段の調子も戻ってきたようだ。いや、よかったよかった」

 顔の筋肉が硬直した。

 か弱い女が不安にさいなまれているふりを、いつの間にかすっかり忘れていた。

 いや、あの芝居はあくまで、浦島にここまで来てもらうためだ。今はもう必要ない……はずだ。

 浦島の様子をうかがうと、別段、これまでと変化はない。私の態度を不審がるでもなく、むしろ安堵あんどし、喜んでいる。

 何かもう、どうでもよくなった。これでいいのだ、きっと。

 私は浦島に背を向け、

「行きましょう。客間へ案内しますから、そこで待っていてください。あなたのご両親には使いの者をやって、遅くなるむねを知らせておきます。心置きなく、ゆるりと過ごしていってください」

 城を目指して歩き出す。浦島も付いてきているのは、気配で分かった。


 浦島を客間で待たせ、侍女にもてなしの指示をしておくと、私は宝物庫へ急いだ。宝物を守る扉は見るからに重々しく、開けられる者はごく限られている。そのうちの一人が私だ。

 取っ手を引くと、力を入れずともすんなり開いた。他の者なら、いくら力んでだところで一分いちぶたりとも動かないだろう。

 中に入ると、宝飾品もあれば、芸術作品や骨董こっとう品、果ては武具の類もある。一見、「宝物」という言葉にはそぐわない物も少なくない。整然とそれらが並ぶ中から、迷わず私は一つの箱を手に取った。文箱ふばこほどの大きさで、飾り気はない。鍵や掛けがねもなく、ひもをかけて封じてあるだけだ。持ち上げてみると、中身が入っているとは思えないぐらい軽かった。当然だ。これから入れるための物なのだから。それに、この中に入れるのは――。

 私はためらうことなく、紐をほどき、ふたを開けた。

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