第3話 止められぬ流れに

 私が指示し、浦島がその通りに船を走らせる。いくほどもしないうちに、人間の世界から竜宮の領海に入ったが、それに気づいているのは私だけだ。浦島は表情も変えずに、ただただかいを操っている。ついでに言えば、順風なのも潮の流れに逆らわずに済むのも波が穏やかなのも、私の力によるものだ。もちろん、そんなこと彼にはわかるはずもない。それが証拠に、

「これは幸先さいさきがいい。今日の海はずいぶんと漕ぎやすいですよ。まるで、あなたを故郷に帰らせてあげようと後押ししてくれてるようだ」

 などと嬉しそうに言っている。私は素直にうなずいておいた。

「それはありがたいことです。向こうに着いたら、ぜひあなたにお礼をさせてください。宴を開かせますから、ゆるりと過ごしていってください」

 さりげなく話を切り出したつもりだったが、浦島はなぜかぎょっとしている。私を見つめてから、おずおずと、

「……元々、何となくそんな感じはしていましたが、乙さんはどこぞの高貴なお家か、あるいは大きな商家のお嬢さんですか? 礼のために宴を開かせるとは」

 はっとした。そうか。「宴」を、それも人を使って「開かせる」なんて、ある程度裕福でなければできないのだった。

 まあいい。距離を置かれたくなくて話さずにいたが、どのみち竜宮城へ着けばわかってしまう。

「ええ。父は竜宮の領主で、私はその娘です。知ればあなたが気をつかうのではないかと思い、黙っていましたが」

「そうでしたか。いや私も、あれこれ詮索するのも不躾ぶしつけかと思い、おたずねせずにいましたが……。気品のあるお姿や立ち居振る舞いでいらっしゃったし、着ておられる物も上等そうだったので、そこいらの村娘や町娘なんかには思えなかったんです。なるほど、ようやく納得がいきました」

「あの、領主の娘だからといって、お気づかいなされませんよう。竜宮の民ではないあなたには、私の身分など大して意味はありません。それに、あなたは大事な恩人ですから」

 浦島はぶんぶんと首を横に振った。

「いえいえ。あなたのほうこそ、お気づかいなさらないでください。私にとっては船を操るなんて、日常茶飯事。礼には及びません。わざわざ宴まで開いていただくなんて、こっちが恐縮してしまいます」

「そうはいきません。誰かに労をかけたり恩を受けたりしておきながら、それに対して何もねぎらわないなど、人の上に立つ者として示しがつきません。どうか、相応のもてなしをさせてください」

 浦島は最初、ちょっと困った顔をしていたが、やがてそれが笑顔に変わった。

「では、お言葉に甘えさせていただきます。村で待っている親兄弟にも、これでいい土産みやげ話ができそうだ」

 私は胸をなでおろした。さっさと帰ってしまわれては、あんな芝居までした意味がなくなってしまう。

 そして同時に、「親兄弟」という言葉が心に小さく突き刺さった。さりげなくたずねてみる。

「そういえば出発する前に、事情を話してきたとおっしゃってましたね。ご両親はお元気でいらっしゃるんですか?」

「二人とも元気そのものですよ。とは言っても、さすがに若い時ほどの働きはできませんから、今はもっぱら、私が漁でかせいでそれで暮らしてます」

「親孝行なんですね」

「いえいえ。昔は私のほうが頼りっぱなし、迷惑のかけ通しでしたよ。この程度じゃちっとも、恩なんて返せてませんから」

 罪悪感が頭をもたげたけれど、気づかないふりをした。ほんの数日、宴で歓待する間だけのことだ。終わったらさっさと帰らせれば、きっと大した問題にはならない。

 私の内心など知るよしもなく、浦島は、

「両親と言えば、私は乙さんのご両親が気がかりですよ。あなたのようなお嬢さんが旅に出ているというだけでも、身を案じてらっしゃるに違いありません。もし船が嵐にあったことが伝わっていたら、心配を通り越して、悲しみに沈んでおられるでしょう」

 父――竜王の厳格な顔が浮かぶ。

「父はこれぐらいでは動じません。そうでなければ、みなの上に立つことなどできませんから。それに、母は私が幼い頃に亡くなりました。私を案じているのは、むしろ家臣たちのほうでしょう」

「そうでしたか、母君がすでに……これは失礼しました。軽々しい口をきいて」

「いえ、母のことはあまり覚えてもいないので、思い出して悲しむようなこともありません。それにその分、周りの者たちから大事に扱われましたから」

 浦島が、ふっと微笑んだ。

「乙さんの記憶には残ってなくても、母君はあなたのことをよぉく覚えておられます。そして天に召された今でも、ちゃんとあなたを見守ってらっしゃいますよ。これから先も、ずっとずっと。嵐で助かったのもきっと、母君が守ってくださったんですよ、何より大切なあなたを」

 なぜだろう。不意に――泣きたいような気持ちになった。

 やはりこの人は、温かい。

「そうですね。母が守ってくれたのかもしれませんね」

 そして、この人と引き合わせてくれたのかもしれない。

 そうこうしているうちに、陸が見えてきた。竜宮だ。さらに近づくと、竜宮城もその壮麗な姿が識別できるようになった。

 浦島は目を丸くし、

「いや、これは……まさかこんなに立派なお城だとは」

 感心したように深く息をついたかと思うと、ちらりとこちらに視線を向けてきた。あなたはあのような所で生まれ育ったのか、とでも言いたいのだろう。私も一つ息をつき、

「立派な所に住んでいるからといって、その者も立派ということにはなりません。城はあくまで城でしかありません」

 私は果たして、あの城ほど立派だろうか。そうあらねばならないと、誰からも望まれ、私自身もそうありたいと思っているが――今は少し、揺らいでいる。

 やがて、船は竜宮に到着した。浦島に支えられながら、私は船から降りた。浦島はほっとした表情で、

「無事にここまで来られてよかった。それにしても、あなたが遠くないと言っておられた割には、日数ひかずがかかってしまいましたね。風も波もいい具合だったのに、十日ほどもかかるとは」

 どきりとした。私の感覚では、出発してから半日もたっていない。

 人間の世界から竜宮へ来た影響が、もう表れている。

 急がねば。早く、あの箱の力を借りないと――。

 私は動揺を押し隠しつつ、浦島を竜宮城へうながした。

「私が距離や時間を読み違えていたのかもしれません。さあ、行きましょう」

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