第28話 魔女

 荒涼な砂漠を抜けたところで気が付いた。


 砂漠での分かれ道――今にして思えば『こっち来んな感』を出していたのはレストアガマではなく、あの巨大な猫の手の持ち主だろう。別にデカけりゃ強いってわけではないが、デーモンたちが荒涼な砂漠に手を出さないのは奴がいるせいもあるだろう。存在を知らずとも、そこに嫌な気配を感じるだけで、大抵は進むことを止める。


「この辺りまで来ればもう大丈夫だろう。……ツヴァイ?」


 立ち止まり振り返ったところにいるツヴァイを見れば呆けた顔をしていた。


「いえ、あの……マタタビ様の頭に……」


 その言葉で頭の違和感に手を伸ばすと、その正体がわかった。


 掴んで目の前まで持ってくれば――ネコだ。しかも、スフィンクス。ああ、なるほど。合点がいった。こいつの猫の品種はスフィンクスだが、さっきの猫の手も確かにだった。


「やれやれ、まったく。儂を置いていくとはどういうことじゃ。せっかく助けてやったというのにの」


「……お前も喋るタイプの奴か。名前は?」


「スピン。しがない魔女じゃ」


「魔女ね。まぁ、とりあえずさっきは助かった。で、何か用か?」


「儂に会えたというのに随分と反応の薄い奴じゃの。そやつを見てみぃ」


 言われてツヴァイを見れば、名前を聞いたせいか驚いたように目を見開いていた。


「なんだ、知っているのか?」


「聞いたことがあります。砂漠の魔女・スピン。どこにも属さず誰のためにも戦わない魔女――噂、だと思っていました」


 その言葉に何故か得意気な顔をするスピンだが、褒められている要素は一つも無いぞ。


「それで、そんな魔女がなんで俺たちを助けたんだ?」


「助けるつもりも無かったのだが、懐かしい匂いがしたのでの。お主、森の獣主と知り合いか?」


「森の主? ……ああ、白虎のことか? 魔窟の森も主だろ?」


「そうじゃ。やはり知り合いだったのだの。彼奴とは旧知の中。これで恩も売れたというものじゃ」


 白虎のやつ、ペロとも知り合いだったと思ったがこんな砂漠の主とも知り合いだったのか。ネコの世界も意外と狭いんだな。まぁ、ともかく。


「じゃあ、俺たちは今日のうちに戻らないといけないから」


 そう言ってスピンを手放せば、地面に降りた直後に再び俺の頭までよじ登ってきた。


「コレコレ。そう急くでない。どうやらお主、見所があるの。どうじゃ? 儂と夫婦めおと関係を組まぬか?」


「いや、悪いけど本当に急いでいるから。冗談は余所でやってくれ」


「それじゃそれじゃ。そういう反応が気に入ったのじゃ。どうじゃ? 儂と一緒に来やんか?」


 ……薄々気が付いていたが、たぶん俺はネコ科に好かれるんだな。元の世界ではそんなことは無かったと思うが、こっちの世界に来たせいか? まぁ、どちらでもいいが。


「とりあえず夫婦は断る。一緒に来るのなら止めはしないが……どうする?」


「よかろう。では参ろうぞ!」


 良いのか。ツヴァイもいまいちどうしていいのかわからないような顔をしているが、拒否しないということは王国側としては別に構わないのだろう。この魔女も俺の頭から降りるつもりはないようだし、早いところ城へ戻るとしよう。


 来た道を戻りながら思うのは、前を行くツヴァイが未だに信じられないような視線をこちらに向けてくるのは魔力の気配がわかるからかもしれない。俺が感じているのはあくまでもそのものの存在や殺意などの意志だが、魔力を持っている奴らは相手の魔力の大きさもわかるらしいから、この魔女――スピンを味方に付ければ相当大きな戦力になるのかもしれない。


「なぁ、スピン。お前の魔法は自分の姿を変えることなのか?」


「んん? いや、体を大中小と変化させられるのは儂固有のものじゃ。魔法はまた別だの」


 聞きたいことが増えたな。


「え~っと、まず姿を変化させるのが魔法じゃないことはわかったが、大はあのスフィンクスだよな? 小は今の姿。じゃあ、中ってのは?」


「言うなれば人型じゃな。気が向いた時にでも見せてやろう」


 なら人型になって走れ、と言いたいところだが。


「期待しておくよ。で、どんな魔法を使うんだ?」


「ふぅむ、秘密にしておいたほうが面白そうじゃが、まぁ良いじゃろ。儂は砂を使役する。当然、範囲は限られるがその力を使って砂の中で眠っておったのだ」


「へぇ。色々あるんだな」


「おぉおぉ、その興味無さそうな感じが堪らんの」


 何やら喜んでいるようにも聞こえるが、それはそれとして。


「そういえば、スピンはデーモンと戦ったことがあるのか?」


「あの節操の無い連中か。当然、戦ったことはあるの。その時はたまたま運悪く儂のテリトリーに入ったのでな。丁重にお帰り願った」


 テリトリーに入ったから、と言うのなら俺たちもただでは済んでいないだろうから嘘だとわかるが、お帰り願った――十中八九、皆殺しだな。言葉の端から伝わってくる殺気がそれを物語っている。つまり、少なくともデーモン側では無い、と。前に誰かが言っていたが、デーモンは魔物を使役していることもあるらしいから多少なり気にしておかないとな。


 ともあれ――引き摺っている尻尾が重い。


「ちょっと待ってくれ。考えてみたら俺たちが走って帰るよりも大きくなったスピンに乗ったほうが早いんじゃないか?」


「ほう。お主、儂を小間使いにするとな? そういえば名前を聞いとらんかったの。なんというのじゃ?」


「俺は猫ヶ原瞬尾。マタタビでいい。そっちはツヴァイだ」


「マタタビ――なんと甘美な響きじゃの。よかろう。ちと下がっておれ」


「あ、ちょっと待て。出来れば誰にも悟られたくないんだが気配を消せるか?」


「ふむ。容易いことじゃ」


 頭から飛び降りたスピンがそう言うと、地面から舞い上がってきた砂が体を包み――砂埃が広がるのと共に巨大なスフィンクスが姿を現した。手を見た時に気が付いていたが、やはりデカい。だが、にも拘らず目の前にいるのに霞掛かったように存在が薄く感じる。なるほど、確かに魔女のようだ。


 前脚を伝ってツヴァイと共に背中に移れば、駆け出すように動き出した。


「で、主らはどこへ向かっておったのじゃ? 今も残っている土地と言えば……バルバリザークかの?」


「ああ、そうだ。よくわかったな」


「あそこの王の魔法は守りに特化しておるからの。加えて森の主と知り合いときておる。そこ以外に有り得んじゃろ」


 この場合、ルグル王の魔法が広く知られているというよりは話し方や雰囲気から察するに長く生きているであろうスピンが物知りだと取るべきだな。


 この世界で戦って感じたのは魔法によるアドバンテージは知られていないことと知られていること、どちらにもあるということ。相性は大事だ。故に、ジュウゴのようなことが起きる。


「あ、そうだ。スピン。知っての通り、今はデーモンたちと戦争中なんだ。あまり事を荒立てたくないから魔窟の森の前に着いたら姿を戻してくれ」


「そういうものかの。まぁ、良いじゃろ」


 大地を揺らすスフィンクスの背中に寝転びながら、先に見える城を見て不安そうな顔をするツヴァイを見上げれば、不意に目が合った。


「何が不安なんだ?」


「見つかること、でしょうか」


「あ~……レオとか?」


「ですね。黙って行って黙って帰ってくるだけなら未だしも、は……どうにも」


 まぁ十中八九、バレるだろうな。気配を隠していても、存在が薄くとも、姿形はここにある。というか、多分もう目視で気付かれているんじゃないか?


 などと言っている間に、魔窟の森が目と鼻の先だ。さすがは巨大なスフィンクス。俺たちの数時間がほんの数分とは。


 もうすぐ着くかと思えば、途端に背中に感じていたスフィンクスの体が無くなって地面に着地した。せめて一言頼む。


「さて。そんじゃあ早いところこの尻尾を――」


 言いながら尻尾を担いで振り返れば、そこには見知らぬ少女がいた。切れ長のネコ目に、色白い肌。腰まで伸びた黒髪から覗く耳はネコそのもの。見た目的には十二、三歳ってところか。


「スピン。お前、何歳だ?」


「なんじゃ、唐突に。齢なぞ随分と昔に数えるのを止めてしまったわ」


 思っていた通りの長寿か。だが、おそらくは俺が思うよりも長い時を過ごしてきたのだろう。


「では、マタタビ様、魔女様。参りましょう」


 出るときは白虎が案内してくれたが、戻る時は問題ない。


「つーか、どうして人型なんだ? ネコのままのほうが行動しやすいだろ」


「こちらのほうが都合が良いのでの。それに何より魔力のコントロールがし易いのじゃ」


「へぇ。そういうもんなのか」


「ま、魔力を持たぬお主にはわからんじゃろが」


「……気付いていたのか?」


「当然じゃ。魔力を持たぬこと、この世界の者ではないこと。一目見ればその程度のことはわかる」


 その見た目で全てを知られている風に語られるのは変な感じだな。


 魔窟の森を散歩がてらに進んでいくと、開かれた門の先にアインの姿が見えた。それに――クルシュ王子率いる兵士が数名、こちらに向けて弓を引いている。


「物騒だねぇ」


 呟いて歩み寄れば、立ち止まるように掌を向けられた。


「正直……救世主についてもツヴァイくんに関してもボクらの監視下じゃないから関わらないに越したことはないんだけれどね。そこの少女についてだけは看過できないんだ」


 まるでスピンが何者か知っているような口調だな。


「クルシュ王子! 説明させてください!」


 すり寄っていくツヴァイを横目に、隣のスピンは首を傾げた。


「ふむ、どうやらそこそこ戦える者のようだが、何者じゃ?」


「クルシュ王子。城の警備を担う兵士を束ねる兵士長だ」


「ほう、なるほどの。今では実力が無くとも親のコネだけで兵を束ねる長になれるのか」


 言わんとしていることはわかるが、そんな聞こえるように言わないほうが良かったんじゃないか? ほら、矢を挟む指に力が入った。


「王子を愚弄する気か! この魔女め!」


 ん、今おかしなことを――疑問符を浮かべるのと同時にスピンへ向かって放たれた一本の矢を横から掴み取った。


「なんじゃ、守ってくれるのか?」


「違ぇよ。つい反射的に取っただけだ。それに、なんか変だろ。ツヴァイですらお前のことを噂程度にしか知らなくて、実際に目の当たりにして驚いていたんだぞ? なのに、どうしてこいつらはお前のことを知っているんだ?」


 問い掛けながら掴んだ矢を圧し折れば、呆れたように溜め息を吐いたクルシュが兵士に武器を下ろさせ、スピンに視線を送って徐に口を開いた。


「儂のことを知っているのは当然じゃろ。お主がこの世界の者でないとわかった時に――」


 言い掛けたところで城のほうから白虎と共にこちらに向かってくるルネの姿が見えた。


「やっぱり魔女様でしたか! お久し振りです!」


 ああ、なるほど。そういうことか。


「それほど久し振りな気もせんがの。エンヴィー」


「すみません、クルシュ王子。ここからは私が預かります。王子は会議室のほうへ。すでに皆様お集まりになっているので」


「……まぁ、ルネが言うなら大丈夫かな。じゃあ、ボクらは引き上げるけどあとのことはくれぐれもよろしく。ああ、それと一応、無断外出の件は不問にするから」


「いいのか?」


「いや、本当は良くないんだけどね。でも、これから先のことを考えればそうするべきかな、って。ボクは父や団長ほど規律や規範に対して頑なではないから。じゃ、そういうことで」


 組織も色々だな。それに何より柔軟な思考は良いことだ。まぁ、違反した俺が言うことでもないが。


「そんじゃあ説明を――と言いたいところだが、まずはキャンサーだ。いつまでも尻尾を抱えているのは血生臭いからな」


 話は腰を据えてから。とりあえずは荷物が邪魔だ。

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