第4話 サタンのいるクリスマス
開かれた扉の向こうは、不思議な世界だった。
まず声を上げたのは、レポート抜きに叫んだはずみだった。
「何? なになになにこの人、人、人……」
そこは、我を忘れて徹夜で踊る人の渦だった。
確かにクリスマスの日は暮れかかっていたが、聖夜というほどではなかった。あいにく大陸性高気圧までが日本列島全体に張り出していて、雪もろくに降ってはいない。だが、今はそんなことが問題ではなかった。
ここは明らかに、真夏の夜だったのである。
中途半端に古い街並みに沿ってどこまでも続く瓦屋根の上に、夜空に浮かんだ天の川が燦然と輝いている。自動車がなんとかすれ違える程度の幅しかない道からあふれんばかりの人がどこまでも踊りの輪を広げていく。
さっきまで山間のみすぼらしい廃屋の内外にいた者は誰もが、辺りの喧噪にただ茫然と立ち尽くしているばかりだった。
傍らで開け放たれた観音開きの木枠の向こうには、やはり夜の街並みを行き交う人の姿しか見えない。
そこで真っ先に我に返ったのは、矢羅瀬ディレクターだった。
「よし、カメラ準備、レポート!」
その叫び声に応じるかのように、見物人たちも何が何やらわからぬまま、無限に続くかに見える踊りの輪の中へと吸い込まれるように消えていく。
ただ、「夏の扉」の前で、3人の老人たちだけが呆然とそこに立ち尽くしていた。
自分たちで扉を開けておきながら、何が起こったのか分からないという様子だった。
人の波の中へと消えていく撮影班を見送ったディレクターは、これまでなんどとなくポケットから出していたハンカチで汗を拭き拭き、そろそろてっぺんが禿げ上がり出した頭を深々と下げた。
「いやあ、助かりました。ガセ情報を掴まされたかと思ったんですが、天下のいっぽんテレビ、これで名誉挽回です。いや、私もね、今までやらせなんてこれっぽっちも……」
ここまで突然に状況が変わっても、目を覚ましてレポーターの仕事に戻っていたはずみだったが、さすがに思いとどまったのか、慌てて口を挟んだ。
「勝手にやっちゃっていいんですか、中継」
「いかん」
そう言ったのは、ディレクターではない。渋い顔をして人波の中にじっと佇んでいた、老人たちの誰かだった。
「人が……人が余りに多すぎる……この人数はいくら何でも、装置が支えきれん」
「装置? 何の装置ですか?」
あちこち見渡して首をかしげるはずみに、また老人の誰かが重々しい、しかし苦々しげな口調で答えた。
「この扉は、我らが作ったものではない……我らではどうにもならんこともあるのだ」
はずみは眉根を寄せながら、その話に耳を傾けている。一方で矢羅瀬は全く関心を示すことなく、浴衣姿の若い女性たちに見とれていた。
開け放された扉に目を向ける者など、誰もいない。
そこで突然、別れを告げる軽い声があった。
「じゃあ、そういうことで……皆さんごきげんよう!」
いつの間にかサンタ娘が、観音開きの扉の間に駆け込んでいた。暑さのせいもあってか、木枠の向こうでさっさと深紅の服を脱ぎ捨てる。フェルト生地の上着が、分厚いブーツが次々と剥ぎ取られては放り出されていった。
さらにアンダーシャツの裾に両手をかけて引っ張り上げ、華奢な両足から靴下をめくり取る。
やがて、夜空を流れる銀河の光の下で、瑞々しい肌が露わになった。
それなのに、踊り客は誰ひとりとして目を留めはしない。
ただ1人、男としてディレクターとして、真っ先に反応したのは矢羅瀬だった。
「おい、カメラ! カメラどこだ!」
撮影に行けと言ったのは、探している本人である。
だが、問題はそこではない。
「何言ってんですか、放送できなくなっちゃいますよ!」
サンタ娘も、そこまで破廉恥ではなかったらしい。
はずみが心配するまでもなく、その局部はビキニラインの鎧で隠されていた。
「悪いけど……この扉、向こうで灰にするよ!」
片手で差し上げたのは、どこに隠していたのかよく分からない真っ赤なヒョウタンである。中には何か液体が入っているのか、たぷたぷと音がする。果たしてそれは、酒か油か。
もう片手に握っているのは、18金のネックレスと、はずみのポシェットである。
中年のディレクターと、グラビアで鳴らした元アイドルが同時に悲鳴を上げた。
「あ~! それ、メグミちゃんのプレゼント!」
「それ、結構高い化粧品入ってるのに!」
騒ぎ立てる者があれば、静かに見守る者もある。
老人のひとりがつぶやいた。
「黄金・没薬・乳香……もしや、お前は」
今までのとぼけた物言いは、どこにもない。そこには、まるで別人になったかのような貫禄さえあった。
サンタ服を脱ぎ捨てたビキニアーマー娘は、顔つきまで変わってしまった老人3人を前にして、不敵に笑った。
「そう、お察しのとおり、サタンさ」
「はい?」
現代日本のテレビ局に務める2人だけが、話についていけずにぽかんとしている。もっとも、これは仕方がない。どちらかといえば、本来ならば何の関係もないところに自分たちから首を突っ込んだ手合いと言っていい。
だが、名乗って知らぬ顔をされたのがよほど癇に障ったのか、このサンタ娘、いや、サタン娘は、こちらにも鬱屈した思いを一気に吐き出してみせる。
「もともと、アタシたちにとっては太陽が神だった。それなのに、いつか救世主が現れるなんぞと! だから、アタシは、アタシは!」
その隙を突いて、3人の老人が動いた。
「おのれ!」
一斉に叫ぶと、「夏の扉」を三方から包囲するフォーメーションを取る。
それこそ生まれ変わったかのような身のこなしだったが、まだ発達途上の身体を夜空の下に晒した少女サタンは鼻でせせら笑う。
「学ばないねえ、学者サンがた!」
しなやかな腕を横に一振りしてヒョウタンの中身をぶちまけると、この世のものとも思われぬ芳香を放つ液体が、四方八方に飛び散った。さらに、空になったヒョウタンを逆手に持つと、その先端を、薄い胸ごと掴み上げたビキニアーマーにこすりつける。
そこで両の乳首辺りから火花が散ると、さっきの液体が飛び散った辺りから火柱が上がる。
ボロをまとった3人の老人もまた、炎に包まれた。
「死にはしない、大やけどするだけさ!」
「きゃあああ!」
はずみが絶叫しても、踊りの輪の中でそれに気づくものはない。お囃子も下駄の音もますます高らかに、果てもない夜空の彼方へと昇っていく。
炎に巻かれた老人たちにとって、頼る相手は全く役に立ちそうもない放送局員たちしかいないようだった。
その眼の前に、1本の小さなカギが放り出される。
サタンの放った火に焼かれながら、老人の1人が叫んだ。
「このカギを持って追え……奴が、サタンが扉を焼き尽くす前に!」
観音開きの「夏の扉」は、その木枠と共に炎を上げていた。
アスファルトの地面に転がるカギに飛びついたところで、半狂乱の矢羅瀬が泣きついた。
「はずみちゃん、早く! 早く!」
「離してください、邪魔です!」
そのぶっとい腕を引き剥がされた中年男は、無様に転がされたかと思うと泣き喚きながら、燃え盛る扉の向こうへ駆け込んでいく。
「危ないですディレクター!」
はずみが止めても聞きはしない。
「ああ、俺のメグミちゃん!」
そこまで切羽詰まっている割には、持ち去られたネックレスを回収できなかった場合の心配をする余裕はあるらしい。
「まだそんなこと言ってるんですか!」
浮気相手からのプレゼントのために見境を失った上司を追って、駆け出しのレポーターは燃え盛る扉の中へと飛び込んだ。
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