第2話 夏の扉の向こう側
住人の了解が得られた所で、サンタ娘は、塗装の剥げ落ちた観音開きの物置を手で示した。カメラを持った男が、その正面に回る。
「どうぞ、開けてみてください」
老人たちの誰ひとりとして、物置の扉に手を掛けるものはない。しばしの沈黙の間、窓ガラスを揺らす風の音だけが狭い部屋に響き渡った。
やがて矢羅瀬ディレクターが、サンタ娘に向けて顎をしゃくる。
「お願い」
「え~、私がですかあ?」
面倒くさそうに、また気味悪そうに顔をしかめたサンタ娘がノロノロと開けた扉の隙間からは、木の葉を打ち叩く時雨のように泣き騒ぐ、蝉の声が漏れ出でた。
老人3人は、ややもすると猫のように曲がりがちな背中を揃ってまっすぐに伸ばす。
「いや、音が聞こえる程度でそんな」
1人、2人、3人……続けざまにホコッと笑ってごまかす老人たちなど無視して、今度はサンタ娘がはずみに向かって顎をしゃくる。
「開けて」
はずみがムッとして扉を開くと、部屋の中に夏場のような凄まじい熱気がこもった。矢羅瀬はハンカチで顔を拭うが、はずみはカメラを意識してピクリとも動かない。
サンタ娘は帽子を脱いで赤毛を晒すと、薄い胸元を開いてぱたぱたやった。矢羅瀬とカメラさんは身を乗り出したが、老人たちはというと、誰かが居眠りでもするかのようにつぶやくばかりだった。
「エアコンが壊れたんでしょう」
サンタ娘が怪訝そうな顏をした。矢羅瀬とカメラさんはあちこちを見渡す。
ところどころ壁紙が剥げているばかりで、そんなものは、この部屋にない。
だが、そこで呻いたのは扉に手をかけたままの、レポーター茂野はずみだった。
「これ、なんか勝手に開きます!」
はずみが押し返そうとしても、物置の扉は中からあふれだす何かを留めきれないでいるようだった。
老人たちはおろおろと立ち上がったが、ディレクターもサンタ娘もカメラさんと同様、助けようともしない。観音開きの扉だけが、膨らんだり引っ込んだりして抵抗を続けていた。
はずみが悲鳴を上げる。
「もう、ダメです~う!」
やがて、孤立無援のレポーターが力尽きたときだった。
扉はとうとう、バタンと音を立てて開き、そこは一瞬だけ、天の川を頂く夜の古い町並みに変わった。
腰のラインを浴衣にくっきりと浮かべたお姉さんが、男5人と女2人の前を通り過ぎる。
はずみが慌てて扉を閉めると、そこは元の陰鬱な小部屋に戻った。
しばしの間、誰も口を開かなかった。もともとその立場にないカメラさんはともかく、レポーターのはずみも、ディレクターの矢羅瀬も、胸の薄いサンタ娘も、言葉が出ないようだった。
そのうち、バツが悪そうに立ち尽くしていた老人の中の誰かが声を立てた。
「娘です」
あまりといえばあまりの光景を、まるでそれが日常茶飯事であるかのように平然と答える。
その老人に、はあ、としか矢羅瀬は返事できなかったが、サンタ娘はなおも、怯えるレポーターを当然のようにこき使った。
「開けて」
老人たちも含めて、その場の全員が一斉に静まり返った。
その中で1人、面倒くさそうにうなずくディレクターを睨んだはずみが再び扉を開くと、そこは再び夏の夜の街中に変わった。
金魚すくいの成果を手に駆けてきた半袖短パンの子供たちが10人ばかり、部屋の中の大人たちに向かって目を見開く。
怯えたはずみが扉を閉めると、そこはまた、古ぼけた部屋の隅にある物置の扉に戻った。
見た目も感じも重苦しい小部屋に座りこんだ3人の老人のうち、また誰かが事もなげに答えた。
「孫です」
またしても、その場は重苦しい空気の中に沈み込む。ディレクターはおろかサンタ娘、カメラさんまでもが口を堅く閉ざしてうつむいていた。。
だが、さすがの矢羅瀬も、これにはツッコまずにはいられないようだった。
「いや、多過ぎて、それはちょっとリアリティが」
そこで、小馬鹿にするような鼻息がフッと漏れる音がした。
「去年か一昨年のやらせ番組で、関連会社に飛ばされてた矢羅瀬さんがソレ言いますかね」
ぼそっとつぶやいたのは、はずみである。冷ややかな視線を向けられたディレクターも負けじと、体の線がボンキュッボンと分かり易く起伏したレポーターに、素知らぬ顔でぼやいた。
「落ち目はお互い様でしょう、元コスプレグラビアアイドル茂野はずみサン?」
コスプレといえば、どちらかというとピンクのスーツよりも、露出の多い紅白の衣装のほうがそれらしい。
そのサンタ娘は暑さに耐えかねたのか、赤い上着の襟元を開いて、華奢で脆そうな肩までも脱いだ。あられもない格好など気にしたふうもなく、襟から胸にかけてをバタバタやりながら、苛立ちまじりに叫んだ。
「開けて! 思いっきり!」
その切羽詰まった悩ましげな声に、カメラさんはそっちを撮りそうになったが、ぐっと足を踏ん張ってこらえる。
一方で矢羅瀬の首は、くるっと半回転してサンタ娘に向けられた。
だが、そんな中年男の本能的反応を咎めるだけの余裕もなく、はずみは年下の小娘から言われるままに、再び内側から膨れ上がった扉を開いた。
そのまま、呆然とつぶやく。
「何……これ」
冬の昼下がりの光は一瞬で暗転して、夏の夜道に浮かぶ人工の光が、まばゆいばかりに辺りを照らし出していた。
満天の星空の下、浴衣姿の娘たちと半袖短パンの子供たちが、みすぼらしい小部屋にいたはずの一同を取り囲んでいる。周りにあるのは、踊りに向かう人たちで満たされて熱気のこもる、紅柄格子の古い町並みだ。
はずみの手で三たび物置の扉が閉められると、ちょこんと並んで座った老人3人は、口をそろえて弁解する。
「私たちの家族です」
さすがにこれには、カメラさんはともかく、残りの招かれざる客3人が揃ってツッコんだ。
「ウソでしょう」
3つの声が即座に返事をした。
「ウソです」
揃ってボロをまとった老人たちは一斉にそう言ったが、誰ひとりとして悪びれた様子がなかった。その態度は、どちらかといえば開き直りに近い。それがどうしたとでも言わんばかりに、胸を張ってふんぞり返っている。
これまで下手に出ていたディレクターも、さすがに声を荒らげて激昂した。
「いい加減にしてください! 私たちも必死なんです!」
はずみが振り返ったのは、見栄も何も振り捨てた、なりふり構わぬその様子に、いつにない真剣さがあったからだろう。
だが、それが老人たちに届かくことはなかったらしい。
「それはおぬしらの都合であって我々の都合ではない」
3人のうちの誰かが冷ややかに言ったが、別の誰かがたしなめた。
「まあ、あの男も、な」
別に同情しているわけではなく、年に似合わぬムダないさかいは避けたいという口調だった。
それには気付かず、はーっと深い息を吐いた茂野はずみがおもむろに正座した。
「今、この家の前、撮影スタッフと見物人でいっぱいなんです。役場からも苦情があったみたいですし、ちょっと困ったことになるんじゃないでしょうか」
「おぬしらがな」
同じ老人が言ったのか、別の老人が言ったのかは分からない。
理路整然とした落ちつきのある説得だったが、これも聞き入れられる様子はない。その開き直りには、さっきまで強気に出ていたサンタ娘までが言葉を失った。
しばしの沈黙の後に、最後のひとりかどうか分からない老人が口を開いた。
「まあ、あの男も」
面倒臭そうな口調でなだめにかかるその言葉を聞いた、別の誰か一人が言った。
「使わせてやらんでもないが、条件がある」
過ぎ去った夏と家の周りの時空を入れ替えるらしい「夏の扉」。その使用権は、気難しいベストセラー作家への著作権申請にも似て、そう簡単には手に入らないようだった。
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