夏の扉を開けて、クリスマスには盆踊りを

兵藤晴佳

第1話 奥美濃のクリスマス

 西暦1年12月24日の深夜のことだった。

 ひとりの男が「夏の扉」を開けて、冬の星降る中東ベツレヘムの荒野に降り立った。

 薄い半透明のマントを風にはためかせて、大きく腕を広げる。

「いやあ……たいへんだった、この扉を作るのは」


 そして西暦2018年12月24日の夕暮れ時のことである。

 白く瀬を噛む長良川のほとり、奥美濃の山奥までは万聖節ハロウィンの喧噪も及ぶことなく、気が付けばジングルベルの響きも賑やかな降誕祭クリスマスである。だが、支流の支流のそのまた支流を遡ったところにある、険しい山々に挟まれた湿っぽい谷間に、いつしか住みついた3人の老人には関係ない。

 谷間に架かる古い木橋を渡り、落ち葉の積もった道をとぼとぼ帰ってきたそのひとりに、軒も傾いだ古い小屋の中の老人のひとりが玄関のドアを小さく開けて声をかける。

「メルヒオール、どうだった」

「あろうはずがない。カスパー、お前もか」

「バルタザールもよ」

 名前を呼ばれた最後のひとりは、玄関の床に置かれた季節定番の人形をじっと見つめる。

 馬小屋の、マリアとイエス……そこにはなぜか、東方の三賢者の姿はない。救いの御子の生誕と共に天空に輝く星(おそらくはシリウス)を見て現れた彼らはそれぞれ、黄金と没薬と乳香を捧げたという。

 まるでその三賢者のように、この3人の老人は小さな聖母子像を見下ろして一斉にため息をついた。

「あの男も酷なことを……こんなカギがあっても」

 鈍く光る古い真鍮の小さなカギを手に、そこで異口同音につぶやくのは「かほどに貴重なものがそう易々と」の一言である。

 ところが、そこでもう1人、別の誰かの声がした。

「お邪魔します」

 ノックの音と共に、返事も聞かないでドアを開けた者がある。

 3人の老人は3人とも、皺くちゃの顔をこわばらせて身を寄せ合った。

「まさか、あやつか?」

「あの男、太陽神の戦士を見逃した?」

「サタンが……我らを追って?」

 年を取り過ぎて、もはや誰がどの言葉を口走っているのやら分からない。

 そこへ、背広姿の小太りの男が、許しもなく踏み込んできた。 差し出した1枚の名刺には、「いっぽんテレビ ディレクター 矢来瀬伏犠やらせ ふっき」と書いてある。

 つぶれた肉まんがニカッと笑ったような顔が、愛想よく用件を告げた。

「どおも、ドアをお借りします」

 借りるも何も、さっき開けたばかりである。

 その占有者は3つの顔を寄せたまま、このディレクターと名乗る男を怪訝そうに眺めた。

「はい?」

 そのひと固まりになった皺だらけの顔の真ん前へ、ピンク色のスーツをぴしっと着込んだ若い女が、真剣な眼差しでマイクをつきつけた。

「こちらに、夏の扉とかいうものが」

 何か言わせるまでは逃すまいという気迫に満ちたその顔の向こうには、背後で大柄な男がこれまた大きなカメラを担いでいる。そのまた奥には、開けっ放しのドアから、山間の狭い道を塞いでいるであろう、無数の人だかりが見えた。

 老人のひとりがドアを閉めると、また1人が玄関の隅にある扉を開ける。

 最後のひとりが、ディレクターとマイクを持った女と、そして赤いとんがり帽子をかぶった小娘の3人を差し招いた。

「ちょっと奥へ」

 さっきまで何も言わずに目ばかりキラキラさせていた小娘が、赤い服の短い裾から形のよい脚を晒して、年長の2人を追い越して先頭に立った。


 家の奥にある、ほんのりと明るい小部屋で、6人が円陣を組んで座っている。その中心には、ディレクターが突き出したスマホの画面があった。

 古い流行歌と共に現れたロゴは、最初のフレーズで聞こえる「夏の扉」の一言だった。

 マイクを持った女が、恨めしそうに天井のシミを見上げてボヤく。

「あ~あ、私もこんなん歌いたかったな」

「はずみちゃん!」

 声を低めて目で叱る男を、はずみと呼ばれた女は横を向いて完全に無視した。スーツのジャケットを突き上げる豊かな胸のプレートには、「レポーター 茂野もののはずみ」と、丸まっこい字で大きく書いてある。

 そっぽを向いたまま指さすスマホに映るのは、ドローンか何かを飛ばして撮影したらしい、この町の全景が映る動画であった。

 不貞腐れたままのはずみの代わりに、ディレクターが説明を加えた。

「ここに、この情報が」 

 

《この冬、クリスマスに奥美濃の盆踊りを!》


 のべ10万人は踊ったとされる、この夏の一幕が映し出された。

 櫓の上で奏でられる笛太鼓の囃子に合わせて、中途半端に古い町並みの狭い道を埋め尽くした浴衣姿の男女が、老いも若きも子供まで、我を忘れたかのように踊り狂っている。

「で、これと私どもといかなる関わりが」

 当然といえば当然の問いを、誰が誰だか見分けのつかない老人の誰かが口にした。3人が3人とも、同じ方向に首を傾げてディレクターを見つめる。

 ちょっと身体を引いた矢羅瀬ディレクターは、レポーターの茂野はずみに話を振った。

「それは、地元案内のこの方が」

 はずみの手にしたマイクが、小娘の前に突き出される。娘は赤いサンタ帽子を押さえながら、カメラの前で可愛らしく首を傾げてみせた。

「サンタですが何か?」

 

 そのサンタ娘が、平手でずばあんと床を叩いた。顔に似合わぬ脅し文句が、凄みのある声で放たれる。

「ネタは上がってるんだ、白状しな」

 小娘の威嚇に縮み上がった老人3人は顔を見合わせる。こういうのを三すくみというのか、お互いに目で牽制し合ったまま、身をすくめたまま口も開かない。すると、サンタ娘はいきなり背筋を伸ばして正座した。

 さっきとは打って変わった穏やかな口調で、勿体をつけて懐柔にかかる。

「これ見て人ドッと来ちゃいますよ」

 怯えたように目を見開く老人たちの傍らで、ディレクターの背広の胸ポケットが振動した。

 取り出されたスマホの画面には、「町役場」と表示されている。

 おそるおそる電話に出た矢羅瀬を、それほど離れていない役場からの抗議の声が責め立てた。

《いったいどういうことなんですか? そんな企画は観光協会も出してません!》

 怒りを抑えに抑えた担当者の声が、小部屋の中いっぱいに響き渡る。もともと声の大きな相手なのか、それとも怒りは抑えるほどに声を増幅させるものなのか。

 いずれにせよ、矢羅瀬は電話の向こうの相手にへいこら頭を下げるしかない。

 誰のせいかはともかくとして、責任を取るのが責任者の仕事なのだから、これも仕方がないといえば仕方がない。

「たいへんなことになっちゃいましたね、ディレクター?」

 はずみは他人事のように、その背中へ引きつった笑顔を向ける。困ったことにはなったが、少なくとも自分がやったことではないということだろう。

 やがて気持ちが落ち着いたのか、それとも腹を括ったのか、サンタ娘は悪魔の笑顔で3人の老人に告げた。

「たいへんなことになりましたね……ところで、税金は?」

 ほとんど廃屋ともいっていい、古ぼけた家の壁から床から、ぐるっと見渡す。こんな家でも、住めば何らかの税金は免れない。

 その「税」という言葉には、バルタザールもメルヒオールもカスパーも、まとめて震えあがった。東方の三賢者の名で呼び合う3人が3人とも、居住まいを正しながら口をそろえて答える。

「では、仕方がありませんな」

 咳払いなどしながら、胸を反らしてもっともらしく答えてみせたのは、痛いところを突かれて醜態を晒した老人たちの、最低限の見栄であっただろう。

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