鉄の扉


 鉄の扉――。


 ここを先に通っていった誰か・・は、慌てていたのだろうか。

 不用心だ。きちんと閉じていかないから、こうして侵入者が現れる。


 優としろくんは扉の前に並び立つと、示し合うように頷いた。


 鉄の扉は、ぶ厚く、そして重かった。

 少しだけ開いた隙間のところに手をかけて、ふたりがかりで押しやった。

 ぎぃぃ……と、やけに歪んだ音を上げながら扉は、緑の奥へと開いていった。


 さて、まずは優たちの視界を遮る、巨大な葉っぱだ。

 いろんな形のものがあるけれど、どれも細かい葉脈が透けていて、どく、どく、と脈を打っているのがわかる。優はとりあえず一番手前のものに触れて、それを横へどけてみる……。ずっしりとして、なぜだろう殆ど動かない。黒い顔の猿を隠したときは、もっとしなやかに揺れ動いたはずなのに今、細かい筋が束になったような茎からは、力というか意思のようなものを感じる。まるで、森の奥地を守る盾だ。


「行こう」

「うん」


 先頭は優で、緑の葉っぱを大きく掻き分けながら道をつくる。しろくんは後方を警戒する、という作戦なのだけれども――歩き進んですぐに優は奇妙な感覚に襲われた。


なぜだろう

  葉っぱの形が右から左へぐにゃりと曲がる

   それが今度は

 ぐる んとまわる


「あ――゛ なんだろう゛――?」


 視界が歪んで見えるのだ。

 同じような緑が優の周りをぐるぐるまわってあっという間に緑の中へ閉ざされてしまった。

 いや、まわっているのは優なのか。

 まっすぐ歩いてはやいところ抜け出したいのに、どの方向が正解だろうか分からない。次第に酷くなっていく、優はその場に膝をついてしまった。


「ゆ ~く゛ん~」


 ――これは、しろくんの声だ。

 なんだか耳も聞こえが悪い、きぃんと鳴って遮られてしまっている。


 気持ち、悪い。呼吸も乱れてきた。

 膝だけでない、優は地面へ手をついた。その途端何かが込み上げてきた。優は、たまらず下へ吐き出した――これが、ひどく苦い味――けれども、胃の中は空っぽだった。


「はあ、はあ……ごめん、しろくん。どこだろう……、ちょっと待ってて」


 なんてことだ……。

 こんなにもすぐうずくまるだなんて情けない。


 うなだれる優の首に、小さな痛みが走った。「痛い!」と思った瞬間とん、と後ろへ押し倒された。続けて、じぶんの腕がぐっと持ち上げられる。正面に、ぼやけた、しろい何か……いや違う、しろくんだ。優の腕を持ち上げて、何か施している。


「しっかり ゆうくん!」


 はっとした。

 優の意識が鮮明に戻ったのだ。


「あ……、ああ……?」


 優の目の前で、しろくんが屈み込んでいる。


「え……、僕、どうした……?」


「もう だいじょうぶだいじょうぶ」


 しろくんは優の腕から、緑色の棘・・・・のようなものを引き抜いた。

 ぷちっとした、小さな痛みを感じる。


「い、痛いっ!」


「あと みっつ」

 しろくんが淡々と答える。


「え⁉ みっつもあるの」


 この痛み、感覚、現実だ。

 なんとなく注射を思い出す。

 注射ならば優は平気なほうだけれども、この痛みの種類はまた違う。


 刺さった棘の何かが、皮膚の中へ引っかかっている感じなのだ。


 まっすぐの針ではなく、何かこう、刺さった後に皮膚の内側へ広がるような……とそこまで想像をして優は、じぶんの腕を見ていられなくなって、思いっきり顔をそむけた。


「――あれ?」


 一瞬、人間かと思った。

 優が眩暈に襲われた大きな葉っぱの密集地は終わっていて、今は緑の、やや小ぶりの木々の中にいる。新しく現れたそれらは全て低木で、細かい葉っぱを隙間なくつけている。どれも人間の形に刈り込んであるから、見間違えてしまった。


 ちょっと、いや、かなり不気味だ。なにせ全てが、さっきの大きな葉っぱの密集地から、人間が逃げ出るような構図で配置されている。


 すぐ傍にあるのなんて、さっきの優とまるで同じ。地面に膝をつき、喉元を押さえて、嘔吐しているような造形。その頭部の辺り――これは優の目が、変になっていなければ――緑の葉っぱに紛れて、その生え際から人間の毛髪のようなものが飛び出ているのだが。


 優は、なんとなく気づいてしまった。今……じぶんの腕から、しろくんが一生懸命に取り除いてくれているものって何だろう。あとひとつ、残ってる。


「うわ、やっぱりか!」


 なんてことだ、棘じゃない。じぶんの腕から小さな緑の芽が生えてきているじゃないか。

 慄いた優が、力まかせに芽を引き抜いたので、そこから血が噴き出てしまった――幸い少量だった――が、赤い血を見たしろくんは、ぎょっとして優の腕を突き離した。


「ごめん、しろくん……」


 最後に抜き取った芽は、優につままれながらも、血を嗅いで、しばらくうねって生きていたけれども、やがてぴたりと止まり、干からびた。


 

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