指切り


 出会ったときから、実に多くの違和感があった。


 つまり、しろくんは人間の子どもじゃない。はじめに優を見る目が異様に冷たかったのも、じぶんとは違う生き物と知って警戒していたのだ。とすれば、アクアツアーの地下空間にやたらと詳しかったのも納得がいく。元々、あの青の洞窟一帯が、この子の棲みかなのだ。


 けれども、しろくんは人間の言葉を理解して話すし、ボートの水先案内人として優が遊園地へ戻る手引きをしてくれた。アクアツアーの下にただ棲んでいるわけでなく、この奇妙な『裏野ドリームランド』という遊園地に、何かしら関係していると思う。


 その辺りの事情をもっと知りたいのだけれど、優の質問に答えてくれるだろうか。


 しろくんは教えられることと、だめなことで、きっぱりと線引きをしている。むやみに訊いてもまた口を閉ざすだけだろうし、うっかりすれば水中へ飛び込んで、今度こそ優の追えないどこかへと泳いで逃げていってしまうかもしれない。


 そう悲しいことに。

 優としろくんとの繋がりは、今すぐにも断ち切れてしまいそうなほど、脆く儚いものなのだ。


「しろくん質問があるんだけど……いいかな」

「え」


「大丈夫。しろくんが嫌がることは、聞かないって約束する」

「うんいいよ」


 そう言って、しろくんはまっすぐ優を見つめてくる。

 その瞳はもうひんやり・・・・とはしていないのだけれど、優は慎重だ。


「しろくんはアクアツアーに、ここに、住んでるんでしょ」

「うん すんでるよ」


「どのくらい住んでる?」

「ずっと さいしょから」


「しろくんは、何歳なの?」

「なんさい わからないなんで」


「僕は、十歳だよ」

「じゃあ ぼくじゅっさい」


しろくんは、じゅっさいになった。


「しろくんは他の場所へ、遊園地の外へは行ったことある?」

「……ない ここからでては だめ」


「ここって、アクアツアーのこと? それとも遊園地?」

「でては だめゆうえんち だめ」


「遊園地にも、出たことないんだ?」

「ひとに あってはだめ……だから」


「あ、そっか……そう言われてるんだね」


「……ほんとは だめ……」


 優は、それだけで納得した。

 しろくんの背後には、得体の知れない何かがいる。


「もう大丈夫。ありがとう、しろくん」


 しろくんは、危険を冒して優を助けてくれたのだ。

 そして大事な秘密をこっそりと打ち明けてくれた。


「しろくん。このことは絶対誰にも言わないよ……約束するから」


 優は右の小指をあげて〈指切り〉の形をつくってみせた。

 けれどもしろくんは、きょとんとしている。


「えー……と、そっか!」


 優は、しろくんのひんやりした手をそっと持ちあげると、じぶんとそっくりの同じ形をつくらせた。


「僕の住んでるところでは、約束のとき、こうするんだよ」

「そんなへんなの しなくていいのに」


「へ…… 変でも、ちゃんと覚えるからいい……と、僕は思う!」

「ゆうくんいい ならいい」


 しろくんは困惑しつつも、水かきつきのしろい指で、柔らかく握り返してくれた。


「いくよ……指切り、げんまん、嘘ついたら僕が、針千本のむー……」

「はりのむ なんで?」


「えっと、のます……って言って、しろくんは」


「のます」

 しろくんは容赦なかった。


「約束だよ……」

「……やくそく」


 ふたりの指切りは、互いの小指、第一関節あたりで結ばれた。


 ゆっくりと不器用に、指切りげんまん。約束した。



 そんなとき。

 また遠くのほうで、がたん――! と、大きな機械の動く音がした。



 優もしろくんも驚いた。

 音のした背後をふり返ると――もうずっと遠くなってしまったが――さっき地上へ戻るために使った水路隧道の上部から、その穴を塞ぐように、ゆっくりと新たな跳ね橋が降下してきたのだ。


 地上に戻った瞬間から、前方の枯れた密林ばかりに興味を持ってしまったので、今の今まで気づかなかった。優たちが脱した水路隧道の穴は、なんとアクアツアーの象徴である、あの天然の岩山洞窟の内部から伸びていたのだ。


 そして今、水路隧道の出口は、ちょうどそこへ覆い被さるようにして降下してきた、新たな跳ね橋によって完全に塞がれてしまった。替わりに、そのすぐ上部へ、第二の水路隧道の穴がぱっくりと出現している。降下した跳ね橋の上面は、アクアツアーのボートを導く水路のレーンになっていて、やがて岩山洞窟の内から勢いよく水が噴出されてくると、水がそこを伝い流れて、巨大な滝となった。


「これって……!」


 優は、はっと気づいた。

 はじめに遊園地の園内マップで見た、アクアツアーの滝壺じゃないか。


 今、新たに出現した、第二の水路隧道こそ、アクアツアーの正規のルートだ。


 スタート地点から出航して最初の山を登り、そこからいっきに岩山洞窟の内部へと突入する。奈落のたて穴に架かった第一の跳ね橋を駆け抜けて、洞窟内をぐるぐると周回し、レーンに沿って上昇していく。そして第二の、新たな跳ね橋の斜面をいっきに降りて岩山を脱出――滝壺へと落ちてくのだろう。


 滝壺側の、第二の跳ね橋が降りたということは、反対側の跳ね橋――つまり優が最初にボートごと落下した、奈落のたて穴に架かるべき第一の跳ね橋も、同じように降りてきたのではないだろうか。


 だとしたら――、

 アクアツアーのアトラクションは、たった今、完全に復旧したということだ。


「でも誰が、いじった?」


 さっき水閘門で、管理室の機械を操作して水位を変えたのは、しろくんだ。

 そのしろくんは、ここにいる。

 優と一緒で、このボートの上から、ひとりでに降下していく不審な跳ね橋を、じっと見つめていた。


「しろくんじゃない、なら……」

「なら?」


 優がつぶやくと、しろくんが、きょとんとして見つめてくる。


「ぼ、僕らの他に……誰か、いたのかな……」


 じぶんで言っておいて、優は少し怖くなった。

 ここに辿りつくまで、人は――いなかったと思う。


 ではいったい誰が、あの跳ね橋を降ろして、アクアツアーを復旧させたのか。


 人では――、ない?


 嫌な予感だ。

 一刻もはやく、ここを離れるべきだ。


 滝の出現により、ずいぶんと水流が強まった。

 それは歓迎すべきことだ。

 レーンを外れてしまった優たちのボートはもうずっと流れ任せで来たので、地上へ脱してからはみるみる内に失速し、止まりかけていたのだから――。



 再び流れに乗って、進んでく。


 枯れたエリアを、過ぎていく。








 コポ――……。


 滝壺の深いところ。

 大きな影がひとつ現れ、離れていくボートを追うように、静かに泳いでいった。


 

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