枯れた密林
アクアツアーの水辺には、珍しい植物がたくさん生えていた。
すうっと背の高い木は、上のほうに風車のような巨大葉をつけている。川のほとりで恨めしそうにしているのは、黄緑色の苔に覆われてまるみを帯びた太い木だ。他にもびっしりと蔓植物の巻きつく木、つまり寄生木などが所狭しと密生している。大木たちの根元には、細かくくねった低木がこれまた密に茂っていて、扇のような葉を広げたり、ぎざぎざとした羽片の葉をしだれさせたりしている。それら緑の植物たちの背後は靄がかり、黒い木々が妖しく揺らめいては見え隠れしている。
一見するとここは、鬱蒼としたジャングルのようなエリアだ。
けれども実際に優たちのボートが近づいていくと、その植物の殆どは変色し、根や葉が腐るなどして、傷んでいることがわかった。
「なんだこれ」
ずっと
川を挟んだ両岸に迫力のある樹木がぼんぼん生えているのだから、きちんと手入れがなされていれば、さぞかし見応えのあるエリアだったはず。ボートの下を流れる川の水が不自然なほどに透明で綺麗だから、それと対照的に、優の目にはここの植物たちがまるで病に蝕まれているように映った。
「どうしちゃったんだろう……」
優は、最初に乗り場で目撃した、このアトラクションの不人気さを思い出した。お客が集まらないことには、いろいろとあるのだろうけれど、死にかけ植物の群生地――というのは確実に原因のひとつと思う。
汗ばむ優の頬を、ふわりと風が撫でてきた。
そういえば久々の地上はやたらと蒸し暑い。
空を見上げると、いつの間にやら日が傾きはじめていた。
暑いだけでない、刺さるような陽ざしの正体は、西日だ。
ここではどの植物も背丈だけは高く育ち、それが目隠しになっているので、アトラクションの外の様子がわからない。園内はしんと静まり返っている。夏休みであんなにも大勢のお客が来園していたはずなのに、だ。はしゃぐ子どもの声すら聞こえてこないというのは、どうにも不気味じゃないか。
木々だけが騒めいている。優たちの頭上でがさがさとやりあって、腐った葉を落としてきた。それは静かに水面の上に浮いた。
他に目ぼしいものもない。優はボートの上から手を伸ばして、葉っぱを一枚拾い上げようとした。その、水が――ひんやりとして、気持ちのいい綺麗な水のはずなのに、ふと、おぼえのある臭いがしたのだ。微かながらこれはアクアツアーの乗り場の周辺に漂っていた、強い薬品臭だ。
そうだ、優は思い出した。
「プールのにおい、だ!」
やっとわかった。
夏場、学校のプールなどで使われる、消毒剤の臭いだったのだ。
こちらのほうが何十倍にも強烈だが。
「ゆうくん それも めずらしい」
腐った葉っぱを拾ったり、水へ濡らした手をくんくん嗅いで叫んだりする優の姿が、どうにも不思議に映ったのだろう。ずっと黙っていた、しろくんが口を開いた。
「あ……うん、珍しいよ!」
優は自然と笑顔になって、返事をした。
さっき、しろくんに対する「珍しい」が悪い意味で伝わってしまったのだろう。あれからずっと会話がなかったから、優はボートの上でひとり気まずくなっていたのだ。
「しろくん、ここは珍しいものだらけだよ」
「それも めずらしい?」
しろくんは、優の手が持つ、腐った葉っぱを指した。
「僕の住んでるところにはない植物だから、珍しいよ」
「それ ないの? こんなにたくさん あるのに」
「ここにはあるね。でも、僕のところにはないから、珍しいんだ」
しろくんの言う「たくさん」とは、このアクアツアーの内に限られているのだろう。
「逆に、しろくんが僕の住んでるところに来たら、それこそ珍しいものだらけだと思うよ」
「ゆうくんの すんでるところ? どんなもの あるの」
「えっと……そうだな、例えば」
優は少し悩んで、しろくんの手が持つものを指した。
「そのタオルハンカチだけど……お店の売り場に、山積みされてるよ」
「やま?」
「うん、タオルハンカチがこう、山になってる」
「……っ」
しろくんは、息を飲んだ。
「今、想像したでしょ」
「……うん」
ふふっと、しろくんが伏し目がちに微笑むと、長くすだれた純白のまつげが光反射して、
なんて不思議な光景だろう。目の前の子どもは、優が生きてきた中で知る人間の容姿とは似て非なるものを持っている。その姿形はとても綺麗なのだけれど、優たちとは何かが違う。
しろい髪は水に濡れてもさらさらしているし、しろい素肌もつるりとして毛穴のようなものがまるでない。皮膚というか薄い膜のようだ。ほんのたまに端々が剥がれかけていて、そのぶぶんは繊細に光っている。
視線を落としていくと、しろい首筋にはすっと斜めに切れた傷痕のような筋がある。
これは先ほど地底湖にて、優がしろくんの脇腹あたりに見つけたものと似ている。そのときは古傷の痕だろうと勘違いしたのだけれど、今明るい場所で見ると、優のものとは様子が違ってくる。
次は手指だ。しろい指と指の間にある、水かきと呼ばれるぶぶん――しろくんのものは、指の第一関節のあたりまで薄っすらと透明な膜がはっている。足元も同じだ。さらに暗い洞窟では気づかなかったのだけれど、しろくんの素足には、細かな
そして今――
しろくんが伏していた目を開くと、くっきりとした真珠色の、非常に美しい虹彩が現れた。
優はもう、この子の正体がわかってしまった。
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