✅出航


 アクアツアーのボートは、ゆっくりと動き出した。


 と同時に、風が揺れた。優は思わず目を瞑った。ひりりとみるような痛みを感じたからだ――なんだろうと目を擦るうちに、ボートは水路のレーンをどんどんと進み、最初の山をのぼりはじめていた。


 アクアツアーのスタート地点は森林地帯だ。アトラクション受付のウッドハウスから、その並びに建つ森のレストラン、宿泊施設であるツリーハウスの窓辺を、すうっと通り過ぎていく。そこのお客たちは、ひとりでボートに乗る子どもの姿に気がつくと、指をさしたり、手をふってきたりした。


 なぜ笑顔?

 最後列にぽつんとすわる優なんかを見て、あの人たち、何が楽しいんだ?


 皆、ひとりぼっちの優に気づいて微笑みかけてくる。

 皆、家族と一緒、楽しそう、楽しそうに笑っていて――……優の目が赤いのは、さっきたくさん、擦ったからだ。



 ボートはさらに山の斜面をあがっていく。

 敷地内の森の木々の高さを越えて、空へと、視界がいっきに広がった。


 アクアツアーに隣接しているのは園内で一番人気のアトラクション。白と黒のチカチカと派手なジェットコースターの巨大モノクロレールが見えてくる。


 もうまもなく、アクアツアーとジェットコースターのふたつのアトラクションはちょうど横並びの高さとなる。さっき、園内放送でわざわざコースターの出発アナウンスがあったのだから、タイミングが合えばその地点にて、両アトラクションの乗り物がすれ違うことになるはずだ。


 そうして間もなく「キャー」と、けたたましい悲鳴をあげながら一台のコースターが走ってきて、優たちの横を高速で過ぎていった。


「えっ……」


 これが、おかしい。優はすれ違いざまにちらりと見ただけだが、どこか異様なコースターだった。車体自体がガタガタ揺れていて、薄っすらと煙が出ていた気がする。何より人間が、ふしぜんにも、ぎっしりと乗っていた。


「こわ……」


 当時の優にはそれが、あのジェットコースターの悲劇の前触れだなんて、知るよしもなかった。もちろん――園内でこれから、おかしなことが起ころうとしているのは何も、ということも。



 山の頂へ到達した。

 優たちを乗せたボートはそこで、ぴたりと一瞬止まった。

 正面には大きな岩山があって、アクアツアーのレーンはその内部へと一直線に続いている。


 ふわり、と優の身体が浮上した。


 風を切る、急降下する。そして、岩山洞窟へと流れ込んでいくはずだ――った。


 遊園地の最奥さいおうそびえるこの大きな岩山は天然のものを切り開いて利用しているようだった。その内部は謎に包まれていて、園内マップにも詳細がのっていない。まっ暗闇かもしれないし、ぐるぐるとした螺旋状のトンネル構造かもしれない。何かが潜んでいて、それか突然飛び出てきて優たちを驚かせるのかもしれないし、ただ「ぱしゃっ」と、いたずらに水がかかるだけかもしれない。


 しかし、まさか――洞窟へ入ったすぐのところで、ぱっくりと大きなが口を開けていたなんて。そして、そこに本来架かっていなくてはならない水路の跳ね橋が、たて穴の向こう側へと巻きあげられてしまっていたなんて。ボートの乗客たちが騒ぎはじめた。はっとした優は、手すりを握り締めた。


  ここに、落ちるのか。


  ここに、落ちるんだ。


 優には、父も母もいる。さっきまで一緒だった祖父も、いとこ達だっている。けれどもその瞬間というのは誰も浮かんでこなかった。誰も、何も、優の頭の中には、いっさいが浮かんでこなかった。


 ざぁざぁ流れる水と一緒、

 優を乗せたボートは岩山洞窟の裂け目から、深い深いたて穴へと、










 まっさかさまに、落下していった――





 

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