あの日
今、スタート地点から一台のジェットコースターが発進した。
観覧車の高さに有頂天になっていた真澄は、その異様さに気づくと、心臓がどきりと震えた。ずいぶんと人がたくさん乗っている。シートはかなりのぎゅうぎゅう詰めで、あきらかに車体に乗せていい人数を越えている。まだ大したスピードも出ていないはずが、ぐらぐらと危なっかしく揺れている。
「そうだ……みんな」
まさか、いとこ達が乗ってはいないかと不安になった真澄は、乗客ひとりひとりの特徴を目で追った――どうやら、いない。それだけは確認することができたが、真澄を乗せたカゴはどんどん地上へと降下していってしまうから、その後のジェットコースターの様子は見えたり見えなかったりで、よく分からずだ。もうこの観覧車も、おしまい――が近いのだ。
そんなとき、怖い音がした。
『パン……ッ!』と、コースターの部品が、弾けるように飛んだらしい。その部品の飛んだ先――何気なく歩いていた、ひとりの頭へと突き刺さった。悲鳴だ――真澄がそっちへ一瞬の余所見をした隙に、ジェットコースターでは、さらにおかしなことが起きていた。
ぐうぅっと、コーナーを曲がるさいに、片側の車輪が浮つき、それが戻ると同時に火花が散った。車体まで燃えはじめて、乗客の座るシートの合間からは、なんと、煙が出ている……!
立て続けに「キャー」と恐怖に慄く悲鳴が上がったが、あれはコースターに乗る人々の悲鳴か、それとも下で目撃した人の悲鳴だったか。
ああ……! もう視界の限界だ。地上に近い真澄には、もう確認できない!
それでも必死で窓へはりつき、真澄はなんとかジェットコースターの行方を、ことの顛末を見届けようとした。
何が、今、何が、起こっているのだろう、
真澄の心臓が、どきどきと、どきどきとする、息をするのも忘れている、
「――事故だ! ジェットコースターで事故だっ!」
園内に
地上では、全ての人が入園ゲートへ殺到していた。
家族連れ、男の人女の人、はぐれた子ども、飼い主とはぐれたペットだって歯を剥きだしにして逃げていた。
とにかく身の危険を感じた人々が一斉に走り出し、慌てて、倒れて、踏まれて、轢かれて、ドミノ倒し。誰かの上げた悲鳴に驚き、別の誰かが悲鳴を上げていく、誰もが、誰もが……園内は、あっという間に大混乱。
真澄も焦った。はやく、はやく逃げないと――。
観覧車の係員達は、その殆どが逃げてしまっていた。真澄のカゴが地上へ到着した頃には、先ほどの受付係のお兄さんひとりだけしか残っておらず、それでも彼はお客のために、懸命にカゴの開放作業を続けてくれていた。
真澄のカゴへもすぐに駆け寄ってきて、ロックの解除を急いでくれたのだが――真澄はもう、その後ろに見てしまっていた。レールから脱線したジェットコースターが、この観覧車のほうをめがけて、飛び出てきたのを。
だから真澄は必死に訴えた。カゴの中からずっと、お兄さんに気づかせようと窓ガラスを叩いていたのだ。けれども、お兄さんは気づかない。真澄の怯えきった顔が「出して……」と、急かしているのだと思っていた。
ドンドン、ドンドン――「違う、後ろ!」
ドンドン、ドンドン――「違う、後ろ……!」
真澄のあまりの動揺ぷりに、やっと異変に気づいたお兄さんが背後をふり返った。――あの暴走コースターは、地面に落下しつつも尚、跳ね上がり、たくさんの人を
「逃げて――――ッ!」
真澄は、窓にはりついて悲鳴した。
「逃げて…… ハァっ、」
呼吸がうまくできない、それでも真澄は必死でお兄さんを急かした。
胸が苦しい、苦しい痛い、痛い……!
その一瞬だった、
窓一枚を隔てて、お兄さんと、目が合った。
お兄さんは冷静な顔だった。
とっさに判断して、彼は覚悟を決めたのだ。
真澄を、じぶんが無理に助け出し、そこでふたり捲き込まれるよりも、このカゴの中へ残したほうが助かるかもしれない、と。
「はっ、……なるべく、ガラスがいかないといいんだけど……ごめんな」
お兄さんは涙を流して、でも、笑いかけてくれた。
「どうして、どうして? 逃げて、お兄さん……逃げて!」
苦しい胸をおさえながらも、真澄は窓を叩き続けた。
それから……、
とてもゆっくり、物事が見えた……。
お兄さんは、その長い両手を広げ、真澄のカゴを抱え込んでくれた。なるべく窓ガラスの部分を覆うようにしてくれたのは、さいごの言葉の通りだったのだろう……。
彼はそのまま目を瞑り、そのときを、待った。
背後では、人間の体が捲き上がっている。男の人も女の人も、子どもも、その一部も、もう殆どちゃんとした人の乗っていない、暴れ狂った真っ赤なコースターが、煙を上げながら迫ってきて――カゴの外の、お兄さんの身体を、背後からえぐるように、つよくぶつかった。
もう……ほんとうは、
それほどの速さはなかったのだと思う。
けれども衝撃はものすごく、真澄のカゴは大きく揺れて……その窓ガラスには、お兄さんの口から吐かれた赤い血液が、べったりとついて流れていった……。
「出して……」
「カゴから、出して……、お兄さんを助けなきゃ……」
『“出して……”』
真澄がつよくそう思ったとき。
真澄は、すでにカゴの外に立っていた。
あの日はそのまま遊園地で見つけた祖父や他のいとこ達について、帰ったのだ。
なら、なぜだろう?
今、このカゴの中にいる真澄の、子どもの頃の影。
なぜ、胸をおさえて、床へ倒れたままなのだろう。
夜の観覧車はとっくに地上へ戻り、ぴたりと停止しているのだが、
真澄は茫然と、床を眺めたままだった。
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