観覧車、おしまい


 こんこん、――とノックの音がして真澄は、はっとした。


 受付係のお兄さんが扉を開けてくれていた。

 さっきまで真澄が見つめていた床の上には、もう何の影もない。



「ますみくん、おかえり」


 お兄さんは少しかがんで、ふわふわの真澄の頭を優しく撫でた。


「怖かったでしょう、よく頑張ったね」


 お兄さんの顔を見上げてみて、気づいた。真澄の目線はずいぶんと低くなっている。


「そうそう。ますみくんは、そんな顔・・・・だったね」


 真澄は、子どもの姿に戻っていた。


 やっと本来の自分の姿を思い出したが、そもそも姿というものが先ほどまでは在ったのかも怪しい。あの日から、誰に話しかけても通じず、気づいてもらえず。そんなことがもう十年も続いていた……ような気がする。なにせ、ぼんやりとしていたもので。


 つまりそれが、



「そうか。しんでたんだ……」



 真澄はじぶんの両手をしげしげと眺めて、納得した。


「人間がしぬって、ぽん、て感じなんだな……」

 ふふっと笑って、真澄はつぶやいた。


「ええ! そんなことないです、僕は一瞬だったけど、凄く痛かったですよ!」


 お兄さんは驚いた声を上げながら、真澄の髪をぐしゃぐしゃ撫でた。


「あの……ぼくの声が聞こえるの?」

 おそるおそる真澄は尋ねてみた。



「聞こえますよ、姿も見えます。

 『――ますみくんが、ようやくこちら側に来てくれたからね』」



「ぼく……、あの、お兄さんに謝らないといけないです」


 せっかく身をていして庇ってくれたのに、まさか持病の発作でしんでしまうとは……。真澄は深く頭を下げた。


「でもそれ・・さえなければ、僕の判断、間違っていなかったでしょう?」


 お兄さんはニコッと笑った。


 確かに、真澄はコースターの暴走に捲き込まれはしなかった。持病それさえなければ、今も生きていたかもしれない。


「ますみくん。僕はこの十年間、ずっと裏野ドリームランドで働いています」


 お兄さんはゆっくりと立ち上がると、黒の縦長帽子を脱いで、脇に抱えた。


「観覧車は特に人手不足で……きみ、もし良ければ、観覧車の係員になりませんか?」


 突然の申し出だったが、真澄は「はい!」と一つ返事で快諾してしまった。


「もっと考えればいいのに!」

 お兄さんに笑われた。


「あの……心ぞうのよわい、子どもでよければですけど」



 真澄はこの十年間。

 おそらく、ただふわふわと姿もなく漂っていただけなのだ。

 だから、憧れの観覧車で雇ってもらえるのなら、万々歳だ。



「わかりました。すぐにドリームキャッスルで、契約しましょう」


 観覧車で働くためには、ドリームキャッスルという中央にある大きなお城で、この廃遊園地の支配人さんと〈契約〉しなければならない。それができれば、晴れて、ドリームランドの夢の住人になれるのだという。


「大丈夫ですよ。きみは裏野ドリームランドにゆかりのある子どもだからね……」



 本日の、観覧車は【おしまい】。

 お兄さんは観覧車を締めて、帰り支度をはじめた。



 園内を眺めながら待っていた真澄は、ふと思い出してしまった。

 他の……いとこ達のことだ。


「僕も、あまり詳しくは知らないんです」


 お兄さんは申し訳なさそうに言った。


「でも、きみと一緒に来た子どもたち、生きていますよ。

 『――いまのところは、ね』」


 真澄は、ほっと安心した。



「……ところで、もうひとつ気になっていましたね」


 まっすぐ歩いて、お城を目指すはずだったが――途中、お兄さんは足を止めて、遠くのほうで不思議に輝くメリーゴーラウンドを指さした。


「あれは魂です」


 メリーゴーラウンドに浮かぶ、たくさんの淡い光のことだ。あれが魂だというのなら……あれこそが十年前、事故に捲き込まれて、しんだひとの魂なのだろうか?


「違いますよ」


 お兄さんは、ふふっと笑った。


「なにせお盆ですから。他からのお客さんも、遊びに来て交じっています……ほら、今夜のきみのようにね」


「ぼく……! あの、おばけなんですか……?」


「どうか怖がらないで」


 お兄さんは首を振り、かたまる真澄を気遣うように、肩へと手を置いた。


「僕ら裏野ドリームランド従業員のお仕事は、夜の遊園地の運営です。観覧車の係は……長いこと、ひとりきりで大変でしたが、これで安心です」


 受付係のお兄さんは、疲れていたのか「ふぅ」と溜息をついた。

 そして改めてニコッと笑い、つぶやいた。



『――まあ不満があるとしたら、背中の怪我が、十年経っても治らないってことくらいですかね』



 それを聞いてしまった、新米観覧車係の真澄は、気まずそうに目をそらした。






  観覧車編・了


 

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