✅十年後②


 観覧車を目指す真澄は、ふと何かの存在を感じた。


 今通り過ぎた背後の空間に〈メリーゴーラウンド〉が、ぼんやりと現れていた。真澄が驚き見つめていると、ぼんやりからだんんと輪郭が濃くなり、やがてしっかりと存在してきた。回転床ステージの上に人影はなかったが、オルゴールのメロディが鳴り響くと、三拍子の円舞曲ワルツにあわせて壮麗な彫刻の――いろんな表情をした木馬たちがひとりでに廻り出した。決められたレーン上を動くしかない木馬たちだが、目玉だけは自由らしい。真澄は、じろじろと見られてしまった。


 それと同時に園内の方々ほうぼうから、淡い色をした光の玉のようなものが、ポゥ……と現れて、ふわふわと宙を漂ってきた。大きい玉や、小さい玉、それぞれが廻るメリーゴーラウンドへと巻かれていき、浮かびあがっては、灯り飾りのような幻想的な輝きとなった。



「――乗りますか?」



 不思議な光景に足を止めていた真澄へ声がかかった。


「坊っちゃん、乗りますか?」


 この声の主、憶えている。

 はっとした真澄がふり向くと、煙突みたいに長い帽子を被った観覧車の受付係のお兄さんが、あの日の姿のまま立っていた。いや、立っていたのはメリーゴーラウンドからだいぶ離れた先のところだ。お兄さんは、誰もいない観覧車乗り場の受付台へゆったりともたれかかって真澄の到着を待っていた。


「やぁ、十年ぶりだね」


 真澄が〈のりものチケット〉を渡すと、お兄さんはニコッと笑った。


「ますみくん、っていう名前だったんだ」


 昔は日焼けしていて健康そうな人だったのに、今のお兄さんはなんだか、とても青白い顔をしている。


「大丈夫ですよ、背中が悪いだけだから。――さあ、扉を開けますね」


 お兄さんは平然としていた。真澄が気にすることではないのだろう。それにしても当時と変わらない縦長帽子、黒の制服姿がほんとうに格好いい。真澄はこの憧れをとことん伝えたかったが、今は、お兄さんがせっかく開けてくれた観覧車のカゴに乗らなくてはいけない。


「ますみくんのカゴだよ。一周まわって戻ってきたら今度こそ、どのようだったか、感想を教えて下さいね」


 真澄がカゴへ乗り込むと、受付係のお兄さんはしっかりと安全点検をしてみせて、そして敬礼した。


「ますみくん、――グッドラック」


 懐かしい、十年ぶりのこの台詞。

 真澄を乗せたカゴは、ゆっくりと上昇をはじめた。




 地上を離れてく――

 カゴを見あげるお兄さんの姿も小さくなっていく――




 ところで観覧車の係員は、今はもうあのお兄さんひとりだけだろうか?

 そう考えたところで真澄は気がついた。係員だけでない、は、どうしたか。さきほおど、遠く、遊園地の入り口を眺めたときには、まわる観覧車の全てのカゴに黒い人影が乗っていて、その様子が窓ガラスへと映し出されていた。


 しかし観覧車乗り場の受付台のところで、お兄さんと喋っていても、乗り降りをするお客の姿などはひとりも見なかった。


「観覧車はずっと、まわり続けていたのに……」


 急に不安になった真澄は、窓に張りついて他のカゴの内を覗いてみた。


「あのカゴも、このカゴも……あれも、あっちも……」


 真澄のところから見えるカゴ、その全てがからだった。


「誰もいない。誰も……」


 やはりこの裏野ドリームランドとは〈おばけ遊園地〉だったのか。では、出迎えてくれたウサミーくんや、ぽつんとひとりいた受付係のお兄さんとはいったい――。


 へたりと、真澄は座席にすわり込んでしまった。




 ゆっくりとまわる観覧車。

 真澄を乗せたカゴは、やがて頂上へ。




 窓の外は、裏野ドリームランドの輝く夜景だ。幻想的な灯り飾りが連なって、この遊園地を暗闇から浮かびあがらせている。とても、とても綺麗だ。しかしこれらの全ては夏の夜の幻なのだろうと、どこか冷めるような悲しい気持ちで眺める真澄だったが、ふと……向かいの座席に、黒い人影に気づいた。


 それは黒い小さな子どもの影で、座席へ膝を立てるようにしてすわり、顔を窓ガラスにぺたりとくっつけて外を眺めている。


 突然そこにいたので驚いたが、不思議と怖い感じはない。

 なぜだろう……子どもの影と真澄は今、同じカゴの中にいても、同じときには、存在していないように思えるのだ。


 この子どもの影の正体に、心当たりがある。十年前、観覧車のカゴに乗っていた真澄自身のような気がするのだ。あの日、あの瞬間、遊園地のどのアトラクションよりも空高く昇ったとき、観覧車のカゴから見える景色に歓喜していた当時の真澄、そのものだ。


 ほら、子どもの影は行ったり来たりと大はしゃぎ。カゴの中を、ぱたぱたと走りまわる姿を見て「やっぱりな」と、真澄は確信した。


 だから、そろそろだ。


 観覧車の頂上を通過して、しばらく。子どもの影はぴたりと動きを止めた。園内のある一点に注目しているようで、窓の外――地上をじっと覗き込んでいる。これはあの日、園内の異変に気づいた瞬間のじぶんの姿と重なる。この後、遊園地でいったい何が起きたのか。真澄の記憶は非常に曖昧あいまいだ。真澄はカゴの中を移動すると、あの日の小さなじぶんの影と並ぶようにしてすわって、当時いちばん人気だった、あのアトラクションを探した。


「あれだ」


 真澄が声をあげたと同時に一瞬にして園内の灯りが落ちた。暗闇の中、ふしぜんにも浮かびあがるジェットコースターの白黒のレール。園内のそこだけが劇場的にライトアップされていて、その光が、明るい、明るく、とても明るい、もっとだ、眩しい――――ジェットコースターのアトラクションから、ずうぅっと伸びてきた強烈な輝きが、だんだんと園内を包み込んで、やがて鮮やかな白昼の色彩をもたらした。


 なんてことだ、

 まるで十年前の、になったのだ。


 

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