✅観覧車のばあい②


「お待たせしました、坊っちゃん」


 受付係のお兄さんは、日に焼けた健康そうな顔でニコリと微笑み、ぽつんとひとり残された真澄を呼んで観覧車のカゴの扉を開けてくれた。


 受付係のお仕事は、列の整理や〈のりものチケット〉の回収。だからほんとうは、ひとりのお客のためにカゴの開け閉めなんかはしないはず。優しい人なんだ。ウサミーくんが荒らしてしまった乗り場、その整理のために観覧車のリーダー格である受付係のお兄さんがみずから対応してくれたのだろう。


「あ、あの……」


 真澄は言うべきだろうか迷った。ウサミーくんに真澄の〈のりものチケット〉を一枚渡したままで、そのままいなくなってしまったことを。しかし観覧車は動いてまわっている。お兄さんがせっかく用意してくれたカゴも、どんどん空へ進んでいく。真澄の後ろには、順番を待つお客がたくさんいて皆が不満そうな顔をしている。


 心臓が、どきどきする。

 真澄は小さく首をふると〈のりものチケット〉は諦めた。


「大丈夫。観覧車は何も怖くないよ。園内の全てが見渡せるから、一周まわって戻ってきたら、どんなだったか、感想を教えて下さいね」


 ぽつんひとりカゴに乗り込んだ真澄が不安そうに見えたようだ。受付係のお兄さんは安全点検をしっかりとしてみせて、そして敬礼した。


「地上から、見守っています。――グッドラック!」


 真澄をのせた観覧車は、ゆっくりと、空へ昇っていった。



「うわあ」


 ふわりと浮く身体。


 観覧車の窓ガラスに手をついて真澄は地上を見渡した。

 想像していた以上に、高い。


 しかし今、青々澄んだ空や、遠く山海さんかいの景色よりも、真澄がだんぜん気になるのは、観覧車の係員たちの恰好いい、真っ黒の制服だ。中でも、受付係のお兄さんだけが特別に被っている黒の縦長帽子、その帽章のぶぶん。観覧車をかたどった銀色のエンブレムが大きく刺繍してあってとても素敵だ。ひとめ見ただけで真澄も被ってみたくなってしまう。でも「いいな、いいな」と思う反面、真夏にあの制服はものすごく暑そうに見えたのもまた事実だった。


 観覧車から少し離れたところを、ウサミーくんが歩いている。園内をキョロキョロしながら、一緒に遊んでくれる次の子を探しているのかも。


「ふふ、ズルだなぁ」


 空から眺める夏休みの裏野ドリームランドは、ほんとうに賑わっていた。家族連れ、男の人、女の人、ペットなんかを連れている人もいた。


「ぜんぶ、小さく見える」


 この日この時、遊園地の中で、真澄は特別な場所にいた。

 他のカゴと比べて今、やっと観覧車の頂上に達したことがわかったのだ。


「すごい……!」


 真澄は歓声をあげた。

 ぐらぐらと揺れるカゴの内を、行ったり来たりと大はしゃぎだ。ひとりきりの密室だから恥ずかしくなんかない。だって、観覧車の頂上だ――真澄みたいなひ弱な子どもが、たったひとりで遊園地の頂へ辿りついたのだから。


「すごく高い……ジェットコースターよりも!」


 観覧車、意外と楽しいかもしれない。真澄は夢中になって外を眺めた。なんだか、いつも一番人気であるものに、別のかたちで勝った気すらしていた。

 と、そこに園内放送が。



“――ジェットコースター、イチバン、ニンキ。ゴチュウモク、クダサイ!”



 まさに今、スタート地点を発進した一台のジェットコースターがあった。真澄は「おや?」と思い、目で追いはじめた。なにせ園内でどこよりも高い位置にいたものだから、それは、とてもよく見えた。


 異様だ。


 コースターのシートはどの列もぎゅうぎゅう詰め。めいっぱいに、重たく人が乗せられて、火花を散らし、走ってる。


 ああ大変、バランスが、あんなにも不安定で――


 真澄の顔から、微笑みが消えた。



「なに……あれ」


「なに…………」


「だめだよ……」



「――――ウソ」



 このジェットコースターが、のちに脱線して遊園地に大事故を起こしたのだ。


 あとは……、

 あの日のことで、憶えているのは……、


 慌てたお客が一斉に走って、逃げて、倒れて、踏まれて、轢かれ――という大混乱。


 あまりにショックな光景で……真澄は、あとのことを憶えていない。


 黒の縦長帽子の……受付係のお兄さんの印象がつよかったから……たぶん、彼が助けてくれたのだろうと、なんども思い出そうとするのだが……どうしてもだめで、ぼんやりとする。



 結局、十年も経ってしまった――


 

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