無味の国の救世主

 今日も私は異世界の見知らぬ土地を歩いていた。


「ここは山岳地帯か。ひどい霧だな」


 足元ですらはっきり見えないほどの深い霧だ。曲がりくねった山道を一歩でも踏み外せば大変なことになりそうだ。


「用心して歩かねば」


 視界が悪い分、音には敏感になる。さりとて耳を澄ましても聞こえるのは自分の足音だけだ。植物も動物も存在しない荒野を歩いている気分だ。


 やがて霧が薄れ始めた。岩だらけの殺風景な景色の中に小さな建物の影が見える。山小屋のようだ。あまり文明が発達していないのだろう、木材を組んだだけの簡素な造りだ。


「喉が渇いたな。水でももらうか」


 玄関の前に立ち、がっしりとした扉を叩いて呼び掛ける。


「こんにちは。ごめんください。失礼します」

「何か用かね」


 開いた扉から親爺が顔を出した。汗と霧で湿った顔を拭いながら話す。


「旅の途中でこの地に立ち寄った者です。水を一杯恵んでいただけないでしょうか」

「いいよ。入んな」


 招かれて中に入る。親爺の他には誰もいない。部屋の中央に食卓。隅の暖炉では薪が燃えている。


「ちょうどスープが食べ頃だ。水よりこっちのほうがいいだろう」


 親爺は木皿を手に取ると、暖炉に掛かっている鍋からスープを注いだ。


「ありがとうございます」


 礼を言って食卓に着いた私の前に木皿が置かれた。コーンスープのようだ。湯気が立ち、まろやかな香りが鼻をくすぐる。


「いただきます」


 匙で掬って口へ運ぶ。味がない。コーン由来の甘さがかすかにあるだけだ。旨みも塩味もない。まるで茹で汁を飲んでいるような感覚だ。あまりの味気なさに食欲が失せる。しかし空腹には勝てない。自分の舌をだましながら飲み終えた。


「ごちそうさまでした。ずいぶんと薄味ですね。塩はどれくらい使っているのですか」

「塩? なんだね、それは」


 まさか、塩を知らないのか。私はさらに質問を重ねる。


「味付けはどのようにしているのですか」

「味? そんなの考えたこともないね。野菜も肉も穀物もそのまま焼く、煮る、蒸す。それで十分じゃないか。野生の動物だって味を付けて食っている奴らなんかいないだろう」


 私は外に出た。霧はすっかり晴れている。遠くに岩山が見える。その山肌は薄っすらと桃色をしている。あるいは、あそこに……


「もしよければ人を集めてくれませんか。それから採掘道具を」


 親爺は私の頼みを聞いてくれた。集まった人々と共に桃色の山肌を掘る。思った通りだ。そこには岩塩の鉱床があった。持ち帰って細かく砕き親爺のスープ鍋に投入する。手伝ってくれた人々に振る舞う。


「こ、これはなんというウマサだ!」

「食材に辛味を合わせただけで、これほどの料理に変貌するとは!」


 賞賛の声。親爺は驚嘆の眼差しで私を見ている。


「おぬし、只者ではないな。いったい何者なのだ」

「いえいえ、私はしがない旅人です。もっともここに来る前は飯屋めしやをやっていました」

救世主メシヤ! ああ、そうか、そうだったのか。やはり予言は本当だったのだな。味気ない料理から我々を救ってくださる者がきっと現れる。舌に喜びを与えてくれる救世主メシヤがいつか出現する。今日、その予言は成就したのだ」

「え、いや、メシヤって救世主メシヤじゃなくて飯屋めしや……」

「今こそアレを開封する時だ!」


 私の言葉を聞こうともせず親爺は山小屋の奥へ消えた。しばらくして戻ってきた親爺は黒曜石の壺を抱き締めていた。厳重に密封された蓋を開けると中には薄桃色の岩塩が入っている。


「これは我が家に伝わる秘石、『辛みの石』と申すもの。何に使うのかさっぱりわからぬまま先祖代々伝えられてきた家宝。今ようやくわかった。大昔、苦労の末に我が先祖が手に入れた岩塩だったのだ。だが、おぬしが鉱床をみつけてくれたおかげでこれは必要なくなった。礼だ。受け取ってくれ」

「ありがとう。頂戴します」


 私は岩塩の入った壺を受け取った。

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