No.2 紙の山

 久留島がトイレで吐いている間、緒方は優雅にコーヒーを飲んでいた。トイレからでてきて、芳醇な香りに気づいた久留島は口元をおさえる。

 平常時であれば、いい香りだと久留島も入れに行くところだ。今は飲み物だろうと口にする気になれない。

 久留島がトイレから出てきたのを確認すると、緒方は開いていた新聞をたたんで立ち上がる。


「似たような事件がないか調べに行くぞ」


 吐くだけ吐いてゲッソリした後輩に対して無情ともいえる一言だが、調べない事には何も始まらないのも事実。

 この仕事においては無知は死に直結する。まだ多くない経験でも、十分にそれを理解した久留島は力なく頷いた。


 事務所の奥。畳みが敷かれた職員の休憩スペースには座布団や、仮眠用の布団なども置いてある。

 床の間には掛け軸、花が生けられた花瓶が置かれており、一般的に連想される和室そのままの造りだ。

 緒方は和室に上がり込むとズカズカと床の間に近づき、掛け軸をめくり上げる。そこにあるのは白い壁には不釣り合いなボタン。それを緒方が押すと、小さな機械音が聞こえ始めた。耳を澄ませなければ聞こえないような、ごく小さな音ではあるが、何かが動いた。そう分かる音である。


 その音を聞いた久留島は、掛け軸の隣に置いてある花瓶を動かす。その下にも和室には不釣り合いなボタンがある。それを押すとまたもや小さな機械音。すぐ後に、ガコンと何かが動く音がした。

 音の方をみると掛け軸の下、板張りの床の一部が動き小さなくぼみが現れる。埋め込まれていたのは和室とは不釣り合いなデジタルロック。

 見知らぬ人が見たら驚く場面だが、緒方は迷わずしゃがみこむ。


 ピッピッという番号を入力する音が複数回響いて、それからひときわ大きな音がした。もはや隠す必要がないと言わんばかりの機械音。騒音というわけではないが、深夜であれば響きそうな音。それを聞きながら待つこと数分。床板と掛け軸のかかっていた壁の一部が引っ込み、足元に階段が現れた。


 初めて見たときは度肝を抜かれた光景だが、今となっては当たり前。

 どういう仕組みなのかという疑問は消えないが、聞いたところで教えてもらえない。そもそも、緒方を含めた他の職員も詳しくは知らないだろう。


 先行した緒方が壁際のスイッチを押す。階段が明るく照らされると同時に、再び大きな音。頭上の壁が動く気配に、慌てて久留島は緒方の隣まで移動する。

 音がやんだあと振り返れば、入ってきた出入り口は綺麗さっぱり消えていた。

 初めて入ったときは、このまま閉じ込められるのではと怖くなったものだが、今となっては慣れたもの。それでもたまに故障したらどうなるんだろうと考えて怖くなる事がある。

 その時は、潔く生き埋めだなと笑顔で笑えないことをいった同僚の言葉が耳にこびりついて離れないのだ。


 無言で階段を下りていくと、すぐにドアが現れる。

 ドアの隣には自然現象研究所の入り口の木製の看板とはまるで違う、金属製の看板がつけられている。


 特殊現象監視記録所。

 

 飾り気のないその文字が、久留島と緒方が働く本来の職場である。自然現象研究所とは仮初の名前。地上にある建物すらダミー。この地下こそが本拠地。

 通称、特視。

 といっても、仲間内でもめったに使わないうえ、国家機関だというのにどこにも記録が乗っていない秘密組織である。そのまますぎる名称も、表に出ることもないし、真面目に考えるのが面倒くさいという理由からだろうと久留島は邪推している。


 古めかしい木造建ての建物にある隠し階段。地下の部屋。いかにも秘密組織といった雰囲気は、学生であれば興奮する要素の一つだが、成人した久留島にとっては、冒険心よりも不信感の方が強い。職員としてこの施設が建てられた目的、仕事内容を知っているならばなおさらだ。


 緒方がドアを開くと、地下にしては広い空間が目に入る。コンクリート打ちっぱなしの壁には窓がない。通気口や温度調節のための空調はあるものの、天井も壁も床も灰色。部屋の中には天井まで届く整理棚が所狭しと並べられている。

 冷たいコンクリートから感じる無機質さ。敷き詰められた整理棚の重量感と圧迫感。外の世界と遮断された静かで異質な空気。何度訪れても、ひんやりとした何かに肌を撫でつけられるような悪寒を感じて久留島は腕をさする。


「植物……どこら辺だったかな……」


 緒方は顔をしかめながら奥へと歩いていく。その姿を見つめた久留島は、部屋の中に広がる整理棚をざっと見つめて、引きつった笑みを浮かべた。

 サボるな。手伝えという緒方の視線を受けて、嫌々ながら近づく。


 整理棚には今までに調査した対象の資料、調査結果がファイルにまとめられている。古いものから新しいものまで、その量は膨大だ。一応のジャンル分けはされているが、かなり大雑把で検索システムもない。人力で確認するほか方法はないのである。


 植物系統がまとまっている棚から五、六冊のファイルを引っ張り出し、長テーブルの上に置く。緒方も久留島と同じようにファイルをめくり始めており、いつの間にやら眼鏡をかけていた。

 最近すっかり文字読みにくくなったとしかめ面でいっていたが、強面な顔に眼鏡は妙にしっくりくる。酸いも甘いも知り尽くした熟練した雰囲気が渋い雰囲気を作り出し、その手を好む女性にもてそうな雰囲気だ。


「なんで、今の時代に紙なんですか……。あんな出入り口作っといて……」


 ファイルのページをめくりながら、文句をいう。あれだけの技術があるならば、検索システムの一つや二つ簡単に作れるだろうに。


「第一の問題は、セキュリティ。機密事項が多いから、万が一を考えての事だろう」


 ファイルから目を離さずに緒方が律儀に答えてくれる。後輩の戯言に付き合ってくれる優しさは嬉しいが、内容には納得がいかない。

 たしかに久留島の仕事には機密事項が多い。わざわざダミーの組織名、職場を作るくらいだ。しかしながら業務内容からいって、公開したところで信じる人間はいないだろう。久留島だって、ここの存在を知るまでは世界には裏があるなんて考えもしなかった。


「昔は今よりも情報管理が甘かった。その結果広まったのが現代につたわる都市伝説だ」

 久留島の不満を感じ取ってか緒方は言葉を続ける。


「だいたいはただの噂。本気にするやつなんていない。実行しようとしても大概の人間はできない。資格がないからな。だが、資格があると気付いていないやつが偶然、その気もなくとんでもねえ事件を引き起こす場合がある」


 そういうと緒方は久留島と目線をあわせた。


「こっくりさん。くらいは知ってるだろ」

「まあ、噂くらいは……」

「ごくたまに本物がおりてくる。そんな話きいたことないか?」

「ありますけど、ただの噂……」


 と言いかけて久留島は言葉を止めた。

 この職場に来る前だったらただの作り話。そう言うことが出来たのに、今の久留島にはそうだと断言することが出来ない。


「そういうことだ。面白半分で手を出されたら困る。偶然でも厄介なのに、知識があるやつが本気でやろうとしたら、さらに最悪だ。だから、ここの情報は外部に出ないように、厳重に保管されてるんだ」

「それは分かりましたけど、それなら電子のセキュリティをあげればいいんじゃないですか。それくらいの技術あるでしょ」


 いくら読み進めても、終わりの見えないファイルの山。内容も新人である久留島には難しいものが多く、頭に入ってこない。理解できても、そんなことが現実にという頭の奥の方にこびりついた、捨てたはずの常識が邪魔をする。

 だからせめて、時間くらいはかけないように出来ないか。そう思って久留島は発言したのだが、緒方は神妙な顔をした。


「デジタルにできたなら確かに便利だけどな、それをするためにはここにある情報を全て整理して、入力しなきゃいけねえんだぞ」

「あっ……」


 久留島はおそるおそる整理棚を見つめる。

 天井まで届く整理棚が部屋の奥まで敷き詰められ、そこにはぎっしりとファイル。関連書籍が詰まっている。これを全て入力。それは当然ながら人力でやるほかない。


「お前がやってくれるっていうなら、俺は大賛成するけどな。デジタル化。楽だし」

「……いやー、紙っていいですよね。温かみがあってー」


 白々しい声をあげる久留島を無視して、緒方は「わかったら、さっさとやれ」と無情な一言を口にする。

 あきらめて久留島は目の前のファイルに目を落とすが、先の長さに気付けば緒方と同じように眉間にしわが寄っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る