第56話 16-3暗い世界に花束を
『昔々、あるところに、高校受験に失敗したみじめな少年が居ました。少年は無駄にプライドが高く、それまでいい子に育っていたはずが、初めての挫折に耐え切れず突然グレてしまいました』
「うっせぇよババア‼ すっこんでろ‼」
綺麗に片付いていた部屋のありとあらゆる物をかき集め、部屋の入り口を塞ぐ幼い潤。
『高校入学祝いにと親に買ってもらったパソコンに嚙り付く毎日。クロックでは誰から詮索される事もなく、あっという間に熱中してしまいます』
真っ暗な部屋で、顔を青く照らすディスプレイの光。
『そのうち、自分も配信者になろうと決めた少年は、それまでほとんど手を付けず貯めていたお小遣いを切り崩し、機材を揃え始めました』
親のいない時間帯を狙って荷物を受けとる潤の姿。中から取り出したのは、安いヘッドセットだった。
『最初は、ただの雑談配信から始まりました。誰も来ないか、来ても素通りされる毎日。それでもめげずに少年は、毎日毎日配信をしています』
何日も同じ服で、風呂にも入らず、適当に注文した配達物で食事をする潤。
『そんなある日、一人のリスナーがフォロワーになってくれました。彼女は、大して面白くもない、ただちょっと声がいいだけの少年の配信を、毎日、毎回、見に来てはコメントをしてくれるようになりました』
画面の前で嬉しそうに話している潤。
『継続は力なり。続けていれば見てくれる人はそれなりに現れるものです。リスナーの数は徐々に増え始め、一度波に乗ってしまえばあとは簡単でした。あっという間に増えていくフォロワー。いつ配信を始めても誰かしらが見てくれる。それが、少年にとっては救いでした。さらに深く、少年は配信の魅力に取り憑かれていったのです』
リスナーから寄せられたファンアートを、配信を区切る度に切り替えて表示する潤の姿。満足気に笑っている。
『さて、初めてファンになってくれた彼女の事を、少年は大切にしていました。まだネットに慣れていない少年は、彼女に心を許し、特別大切に毎日やりとりをしていました。しかし、配信中はアウルというキャラを崩さないよう、表向きは一人のリスナーとして扱っていたはずでした』
語られる過去の話、過去の映像に、気持ち悪さと嫌悪感がこみ上げる。
『アウルのリスナー、ファン、フォロワー。この際呼び方はどうでもいいでしょう。ファンが増え、そのうち勘のいい一部の人間は、少女がアウルにとっての特別なリスナーである事に気が付きました。世間とは狭いもので、過激なアウルクラスタの中に、現実世界での彼女のクラスメイトが混ざっていました。一度広まり始めた噂は留まる事を知らず、張本人のアウルは気づきもしませんでしたが、その実、彼女への精神的、肉体的攻撃が始まっていたのです』
顔の見えない少女が、学校の一室で制服を乱暴に引きはがされ、泣きながらうずくまっている。
『彼女は、ただひたすら耐えていました。怖くて学校には行けなくなりましたが、それもまたアウルの配信を見れる時間が増えたのだと、ポジティブに考え生き抜いたのです。もちろん、アウルはそんな事を、知るはずもありませんでした。ただ、前にも増して配信に顔を出すようになった彼女に、アウルは言い放ちます』
「学生でいられるのも今のうちだぞ、■■■。まだ若いんだから」
聞き取れない名前。思い出しそうで、思い出せないその名前。大切にしていた、初めてのファンの名前。
『彼女はそれでもめげず、配信を見続けました。ただのリスナーに紛れ、わからないように演じながら。アウルは、いつ見てもログイン状態になっている彼女に、さらに追い打ちをかけるようになりました』
「アレルギーが悪化した? この前もそうやって休んでただろ? 俺もそうだったからわかるんだよ、■■■。逃げたくなってもな、逃げちゃいけない時があるんだって」
吐き気がしてくる。忘れてしまいたくて、実際に忘れていた古い記憶。
『どうでしょう? 散々現実から逃げ回り、ネットの世界でしか生きられないアウルに、そんな言葉をかけられ続けた彼女の気持ちがわかるでしょうか。反吐が出ますね。ですが、彼女はもう、アウルなしでは生きられないとさえ思っていたのです。健気で、可愛い、アホな子です』
カーテンを閉め切り、昼も夜もわからない部屋の中で、傷だらけの身体を丸め画面を見つめる少女の姿。
『あまりにも純粋で馬鹿みたいにアウルを崇拝していた彼女を、それはそれは大事にしていた兄がいました。それまで妹の変化に息を潜め様子を伺っていた体の弱い兄は、見かねて身をのりだしました。兄もまた、妹の様子を見るため、ずっとアウルの配信を見ていたしがないリスナーの一人でした』
同じ屋根の下、壁を挟んで隣通しの部屋で、画面を見つめる二人の男女。
『ファンが増え続け嬉しくなるアウルに、兄は提案しました』
「俺、アウルのファンクラブ作ろうと思うんだけどどう思う? こういう応援を形にした場所って、きっとみんな欲しがってると思うんだ」
懐かしい、スオウの声。
『妙な向上心と、腐っても残っていたプライドで活動を続けていたアウルは、あっさりと承諾しました。それは、アウルが配信を始めて二年の月日が流れた頃でした。ファンは続々と増え、その数も五桁に乗り始めた頃です』
作ったばかりのファンクラブコミュニティに、たくさんの人間が登録していく様子を嬉しそうに見ている潤。
『兄は、それとなく妹について探りをいれました。妹は学校どころか、部屋の外に出る事すらままならない状態にまでなっていました。見事に廃人です。アウルにはもちろんの事、妹にも正体を隠していた兄は、いつでもアウルの味方をしていました。その腹の内に、どれだけの憎悪があった事か、誰も知らなかったようです。アウルは何気なく答えました』
「■■■? あぁ、最近は連絡来なくなったな。忙しいんじゃね? ほら、学校サボってただろ、ずっと。この前俺から結構ハッキリ言ったから、行くようになったんじゃないかねぇ」
スオウとの通話越しに、ゲームをしながら軽く答える潤。
『兄の憎悪は膨らむばかりでしたが、一方で妹はさらに危険な方へ向かっていきます。どうにか居場所を確保したかったのでしょう。自分がアウルにとって特別な存在だと、思いたかったのでしょうか。コミュニティで、アウルが住んでいる地域の事を話してしまいました。けれど、お馬鹿な妹は、うっかり匿名にチェックを入れず投稿してしまったのです。さすがに馬鹿なアウルでも、妹がばらした事に気が付きました。妹にとって久しぶりに一対一で話せた通話は、アウルの怒りを延々と聞くだけのものでした』
「俺がここに来るまで、どれだけ大変な思いをしたと思ってんだ‼ わかるか⁉ わからねぇよな‼ ■■■‼」
思い出したくもない、過去の記憶。散らかった部屋を片付け、必要な物だけ箱に詰める、少しだけ成長した潤の姿。
『住所バレしてしまったアウルは、実家を出る事にしました。完全に一人だけの暮らしになったアウルは、前にも増して活発に活動をするようになります。広告の効果もあり、外に働きに出なくとも、食べていく事は簡単になっていました。アウルが新たな機材を揃え、アバターを利用して配信するようになったのも、その頃からでした。まさか、兄がゲーム開発の為に作っていたポリゴンだと一ミリも思っていなかったアウルは、馬鹿みたいに兄を信用し、完全に気を許していました』
デバイスをつけ、身振り手振りで愛嬌を振りまくアウルの姿。このあたりから、記憶は徐々に鮮明になっていく。
『散々アウルに罵倒され、今度こそ諦めたかのように思えた純真無垢で馬鹿な妹は、最後の賭けに出ました。そんな事をせずとも、兄が支えていたにも関わらず。そして、問題のアウルが望む答えをくれるわけもないと、いくら馬鹿でもわかっていただろうに』
「ごめん、付き合う事はできない。でも……■■■がもっと大人になったら、な。きっと思春期だろ、きちんと色んな経験をして、それでもって言うなら俺はここで待ってるから」
嫌な汗が頬を伝う。スマホでリスナーからの声援を確認しながら、片手間で答える潤の姿から、目を離したくとも離せない。
『さて、可哀想にフラれてしまった妹は、完全に生きる気力を失ってしまいました。数日もの間、まるで動きのなかった妹を心配した兄が、部屋のドアを叩きます。もちろん、返事はありません。いつもなら諦める所を、兄は胸騒ぎに駆られ必死にドアを開けようとします。それでも開かなかったので、兄は自分の部屋のベランダから、妹の部屋へ乗り込みました』
知らないマンションのベランダで、ふらつきながら窓に手を伸ばす青年の姿。閉め切ったカーテンの隙間から、ゴミの山が見える。
『幸い鍵が開いていた窓を開いた兄が見たものは……』
一人称視点での場面に切り替わる。
散らかった部屋の真ん中で、不自然にぶら下がる二つの足。ハエが飛び交い、頬をかすめ窓から出ていく。視線を上げると、全身の力を抜きぐったりと、変色した少女の遺体。
「うっ……ぇっ」
思わずえづく潤。
『子供の頃からずっと、可愛くて可愛くて仕方がないと思っていた妹の変わり果てた姿でした。悲鳴を上げ、泣きじゃくり、ぼんやりとしている間に葬儀を終えてしまった兄。そんな事など全く知らず、何万人もの人々に向け愛嬌を振りまくネットアイドル、アウル。前々から考えていた、それでも実行に移すわけにはいかないと思いとどまっていた、一つの計画が動き出しました。兄は、愛おしい妹の為に。愛おしいあまりに、妹の幻想に恨みをぶつけながら』
先ほどまでとは違う部屋、パソコンの前で、鋭い目つきを光らせひたすらプログラミングをしている青年。いくつもの機材、タワー型サーバーらしきものも見える。
『ようやく形になってきたデータの調整を行いながら、兄は本格的に行動を始めます。手始めに、海外限定販売のエナジードリンクをアウルに勧めました。ありもしない通販サイトをでっちあげ、安い市販のジュースをいくつか混ぜて、仕上げに薬と超小型端末を混ぜたオリジナルパッケージのドリンクでした』
いつも飲んでいた、エナジードリンクの箱が見える。スオウに勧められ、半信半疑で買ってからハマりこみ、愛飲していたもの。
『薬の効果もあり、完全にハマりこんだアウルは何度も注文するようになりました。まさか、アウルを殺したいほど憎んでいる相手に、住所や本名を自らバラしているとはつゆ知らず』
あまりにもハマりこみ、何度か配信で宣伝しようかと思った事もあった。その度、スオウがやんわりと止めていたのを思い出す。マイナーだから、あんまり注文が殺到すると手に入らなくなるぞ、と。
『注文が入ってから何度目か、それまで自宅から遠く離れた地で発送を行っていた兄は、ついにアウルの自宅近くに引っ越し、自分の手で直接届けるようになりました。ドリンクに入った薬も、超小型端末も、徐々に増え続けている事も知らず、何か月も、何年も繰り返し飲むアウルを、兄はじっくりと観察していました。そしてついに、アウルの行動が手元で全て把握できるまでになったのです。この開発が世に出れば、兄はきっと大金を手に入れられたでしょう。それでも、兄の目的はただ一つ。アウルの人生を、肉体的、社会的に抹殺する事だけ。動き始めた執念の歯車は、もう止まる事はありませんでした』
アウルの声で語られる現実。誰にも知られたくなかった本当の自分の姿。それらが目の前でいともたやすく映像になっている。
『使っていたデバイスが壊れた時も、心優しい大親友のスオウ君……可愛い妹を失い殺意に満ち溢れた兄は、新たなデバイスの購入を勧めました。金をいくら貯めこんでいるのかも、全て知っていたからです。既製品ではなく、カスタマイズしたオリジナルのデバイスに、満足気なアウルは気づきませんでした。それが、兄の計画しているゲームへの切符だという事に』
丁寧に梱包されたデバイスを、一つ一つ確かめながら装着して喜ぶ潤の姿。
『時は満ちた。兄は、アウルの生体番号を使いクロックにログインしました。そして、自らのアカウント……スオウのアカウントに対し、生体番号悪用についてのプログラムデータをいくつも転送しました。超大型SNSクロック。その多くを半自動化しているだけあって、アウルのアカウントはあっという間にロックされてしまいました。後は簡単です、用意していたゲームへ招待し、現実も、ゲームの世界も、全て兄の知る範疇。この時の為だけに作り上げた一世一代の大舞台。音声合成ソフトを利用し、自分で声を吹き込み、一から組んだAIはまるで人間のようにプレイヤーを演じてくれました』
「私はユリィ、よろしく」
初めて会った時のユリィが笑う。
「ジャン、大丈夫か?」
心配そうに手を伸ばすクロ。
「守りはまかせとけ‼」
快活に笑うカブト。
「馬鹿ばっかり」
悪態をつく小さなロベリア。
『さぁ、これでわかっただろう、潤。僕の可愛い妹を死に追いやった悪魔め。俺はお前をなぶり殺す為に、ずっと準備してきたのさ‼』
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