クロという青年
第39話 11-1クロという青年
『──ってことで、バグじゃなく仕様らしいぞ。あぁそれとジャン、時間あるか?』
いつも通りのやり取りをしていた時、クロからの報告にその一文が見えた。
時刻は午後三時。スオウは検査中らしく返事がない。まだログインは出来ない時間帯で、クロはたまたま起きたらしく、チャット感覚でやり取りをしていた時の事だった。
『あるけど、どうしたの?』
返事をすると、ものの数秒で返事が来た。
『大した事じゃないんだけどさ、ちょっと話というか、相談があって。良かったらボイスチャットに切り替えたいんだけど、持ってる?』
『クロックを介さない奴、僕あまり知らないんだ』
『だったらここから。何度か使ってみたけど、そこそこ使い勝手がいいぞ』
添付されていたURLに飛ぶと、無料の通話ソフトのダウンロードページに飛んだ。
クロック仕様のツールが多い中、事情があって使えない人の為に存在しているのか、そこそこ更新されているようだ。
スオウとのやりとりをしているソフトは、生体番号でアカウントを取得する為複数の所持ができない。アウルとして使っている為、クロに教えるわけにはいかない。
念のためセキュリティにかけてみるも、これといって危険は検知されなかった。
『今入れた。IDはアドレスと同じにしておいたから』
『わかった、探す』
すぐ後に、クロからの申請が届く。オーディオ設定を終わらせたタイミングで、着信音が鳴り響く。
「はいはい」
喉に手を当て感覚を掴み、低めの声で応答する。
『よっす、わりぃな、突然。手間取らせちまったし』
「いいよ、二度寝するには微妙な時間だったし。それで、相談ってのは?」
ゲーム内より、声がガサついて聞こえる。ソフトの問題だろうか。
『ほんと大した事じゃないんだけどさ。ほら、お前リーダーだろ? 一応耳に入れておこうと思って。実はその……俺、水が苦手なんだ。あぁそのほら、飲んだりシャワーだったりは平気なんだけどな、水場というか……河だの池だの……』
「アクアレフトは平気だったのか? ……いや、言われてみれば、怯えてた気がするな……気づかなくてごめん」
『いやいや、俺も言わなかったしさ。なんつーかその……足を引っ張りたくなかったから、言うに言えなくて……てのは建前で。水が苦手ってのを言うのも、苦手というか……』
歯切れの悪い言い方から、言うのにまだ迷っている様子が伺える。
「そんなにダメなのか?」
『ん……ちょっとしたトラウマがな……まぁ、ジャンになら言えるかなと思って』
「随分ダメだってのは伝わってきた。無理には聞かないよ、どうする?」
『…………いや、言う。もしかしたら少し気が晴れるかもしれねぇし』
「だったら聞くよ。ゆっくりでいい」
『さんきゅ。そうだなぁ……どこから話せばいいやら。ジャンはさ、俺と初めて会った時……つってもゲーム内だけど、俺の事どう思ってた?』
ラチュラで初めてクロと出会った時の事を思い返す。
「それは……正直に言っていいのか?」
『いいよ、大体想像はついてる。鬱陶しい、だろ?』
「うん、めんどくさいと思った。クロがどうとかじゃなくて、普段から交流する事のない人種というか」
『わかるよ、言いたい事は。それを俺は目指してたからな』
「目指してた?」
意外な答えだった。
初見でクロに対し面倒だと思ったのは事実で、今こそなんとも思っていないものの、当初は浮ついたような軽い態度がどうにも馴染めないと思っていた。今まで生きて来た中で、出来る事なら関わりたくないタイプの人間と言うべきか。
『俺実はさ、むかし、いじめられてたんだよ。実際はいじめかどうかわかんねぇけど。相手はじゃれてただけかもな。でも俺にとっては苦痛でしかなかったからさ』
クロの声が、わずかに震えているように思えた。
『あ、だいぶ前の話しな? 今は全然、そいつらと関わる事もなくなったし。俺がまだ高校生の頃の話だ。俺、こっちの世界ではすごい背が低いんだよ。たぶん、ジャンが思ってるよりずっと。そんなもんが理由になるかって言われたら微妙なとこだけど、俺がいじめられるかもってビビってたのが出てたんだろうな。想像が現実になっちまって』
「かなり大きくなってからのいじめって、悪質なイメージがあるけど」
『そりゃあもう。ぱっと見じゃわからないようなとこ、あとは普通に生活しててもぶつけそうなとこばかり狙われるんだわ』
最初は意味がわからなかったが、それは暴力があったという事だと察した。
『しかも男って変にプライドがあったりしてな。親にも教師にも言えなかった。何度か、もう限界だと思って言おうとした事もあったんだけど……言ったらどうなるか考えたら怖くてさ。言って、信じて貰えるかもわからないし、仮に信じて貰えたとしても、止めに入ればあいつらはもっと巧妙な手を使ってくるだろうし』
クロの声が掠れて聞こえる。
「人数は?」
『正確にはわからん。男子校だったんだよ、んで、正面からつっかかってくる奴もいれば、自分が被害者にならないように協力する奴もいて、それを黙って気づかないフリする奴もいる。言ってしまえば全員加害者だな、俺にとっては』
「直接関わってなくても、黙認すれば加害者か……」
『こればかりは被害者にしかわかんないだろうけどな。でもまぁ、案の定というか、身長がどうとか、どうでも良かったんだと思う。何をしても、何もしなくても全部、調子に乗ってるなんて言われるようになった。そんな生活しててどこを調子に乗れるのか逆に聞きたいくらいなんだけどな』
力なく笑ったクロの声は、やはり上ずったような、時々呼吸を整えるような音さえ聞こえる。それがソフトの問題なのか、違う気がしてならない。
『学校ってさ、親睦を深めるだとか妙な理由つけてイベントやりたがるだろ? 俺のとこにもあったんだよ。夏休みの登校日が一日多くてさ、昼前から集まって海行って、夕方にはバーベキューやって、夜は花火して解散って感じで。俺んとこ、学校から海まで徒歩数分だったしな』
徐々に嫌な予感がしてくる。
『プールと違って海なんてめちゃくちゃ広いんだよ、当たり前だけどさ。教師がちゃんと見てるとはいえ、みんなテンション上がって遠くまで出ちまうだろ? 俺も行ったさ、嫌でも連れていかれたんだけどな』
おそらく、クロもかなりドキドキしているのだろう。声の震えが気のせいでは済まなくなってきた。それにつられて、ジャンの鼓動も激しく脈打ち始める。
『声なんか届かないくらい、遠くまで行った。あの時俺の周りに何人いたかも覚えてねぇや。結構いたと思うんだけどな……そんで、沈められたんだよ、数人がかりで。頭からだけじゃねぇ、わざわざ潜って足を引っ張るやつもいた。俺、別にカナヅチでもないけどさ、水の中で抵抗できるわけもなくて。まして、背も低い、力も弱い……死んだと思ったよ』
荒い息遣いをマイクが拾う。
『目が痛いとか、怖くてそれどころじゃなくてさ。海の中から見た空とか、大量に襲ってくる黒い手とか、勢いで吐き出した自分の息が泡になって消えていくのとかさ。あぁ、俺ここで死ぬんだなって。死ぬくらいなら、こいつら全員殺してやればよかったなって』
「……大丈夫か、少し、休むか?」
『いや、大丈夫だ……はぁ。その時は結局、ホイッスルに助けられたんだわ。夕飯の時間だから戻ってこいっていう、教師が鳴らした音。俺には聞こえなかったんだけど、全員が手を離して戻って行ったから気づいた。海面から顔を出してからも地獄だったさ。呼吸するので必死だし、浜に戻ろうとしてそれも怖くて。馬鹿なのか、その時はさ、いっそ沈んだまま意識を失って死んでしまえばよかったとすら思った。ほんの数秒前まで死にたくないと思ってたのにな』
「それが……トラウマになったのか」
『もうダメだったなぁ。風呂も、シャワーじゃなきゃ無理でさ。湯船が怖いんだよ、足を引っ張られるんじゃないかとか考えて。今でもたまに夢に出てくる、あの時の息苦しさも甦るくらいハッキリ。ま……こうして話してるのも、ほんとさっきそれで目が覚めたからなんだけどな』
「そっか……こう、なんていえばいいのかわかんないんだけど」
言葉を慎重に選ぶ。それほどの経験をしている人間に、うかつな事を言えばさらに追い打ちをかける事になるからだ。
『逃げなかったか、だろ?』
口にするまでもなかった。
『そのあとすぐ……ってわけでもなかったか。何しろ親にも黙ってたし、教師もポカーンとしたままだったな、まるで知らなかったみたいにさ。なんにせよ、中退したんだ。頼むから辞めさせてくれってな。親はそれなりに理由を聞いてきたけど、校長室で泣きながら頼んでからはそれ以上聞いてこなくなった。謝られたよ、親に。気づいてやれなくてごめん、ってな』
「…………」
『苦しかったなぁ……俺が黙ってたせいで、親が罪悪感に苛まれるなんて考えてもなかったしさ』
「でもそれは……プライドだけじゃないだろ?」
『心配かけたくなかったな、確かに。けどまぁほとんどプライドだったよ。さっきも言った通り言うのも怖かったしな。そんで、引っ越しまで提案してくれたんだけどさ、俺ん家兄弟が多くて。俺自身も双子の弟だし、他に兄貴も弟もいる。一番下は妹だ、その時は小学二年生。俺のせいで全員が引っ越しってなったら、可哀想だろ?』
「そう……なのかな」
『少なくとも俺はそう思った。だから、引っ越すなら俺一人でいいって言ったんだ。んでそっから仕事と家探して、海のないとこに住んでる。おおよそ検討がつくかもしれねぇな、こう言うと』
落ち着いてきたのか、今度の笑い声は少し明るくなったように聞こえた。ただ、潤はまだ気持ちが沈んだままだった。
『新地開拓ってのは気が楽でさ、もっとしんどいだろうなって思ってたんだ、最初は。けど、誰も俺の事を知らないし、いじめる前提で話しかけてくる奴もいなかった。恵まれてたのかもしれねぇけどな。もう頭ぶっ飛んでたんだと思うわ、俺。バリバリにキャラ作ってたんだぜ、お調子者ならいじられくらいで済むからな』
「じゃあ、クロの言ってた、目指してたってのは」
『アウルみたいなキャラって言うのかね。馬鹿でもアホでも、あのキャラなら笑ってられるんだよ。前に話したろ、アウルって配信者の話』
何度聞いても心臓が止まりそうになる、アウルという単語。
『あの時は女の釣り方がどうのって言ってたけどさ、ああいうキャラになりたかったから見てたんだわ。つってもわかんねぇか、知らないんだもんな?』
「そうだね、帰って調べたけどいまいちわかんなかった、よ」
『だろうな、クロックでしか活動してないし。あ、もうしてないんだっけか。俺は……たぶん、憧れてたんだと思う。アウルってな、いつ見ても明るいんだよ。中には媚び売ってるなんて言う奴もいたけど、そういうコメントが出ても逃げねぇの。媚びなら大安売りで売ってるよーなんて明るく笑い飛ばしてさ。普通そういうコメントが流れると、他の配信者は触れないんだよ。んで他のリスナーが反応してコメントが荒れる。けど、アウルはしっかり拾って、ネタにしてたんだ』
それは、よく知っている。触れずに流すのも手ではあるが、リスナー同士で勝手に争って荒れる事はよくある話で、アウルの配信でも昔はそうだった。ただ、どこかで吹っ切れてあえて拾うようにしたら、コメントが不穏になる事がかなり減った。調子乗んなよ、なんてコメントは良く来るが、それもまたただのツッコミのような範囲で。
『こういう生き方があるんだって思ったら、楽になったんだよ。こういう奴になれたら、俺も周りも笑って生活出来るのかなって。そりゃ、俺は配信者としてのアウルしか知らないから、本当は裏で凹んだりもしてるかもだけどな』
「どうだろうね、誰しも人に見せない顔ってあると思うし」
『だろ? もしかしたら……アウルもそういう人間なのかもしれねぇな。画面の向こう、配信を切った後、アウルがどう考えてどう生きてるのかなんて、俺にはわからん。でもまぁ俺はそういうアウルのキャラが好きだったからさ、そうやって演じるようになったんだわ。けどこれもまた考え物でなー』
「オフとの差が大変なんでしょ?」
『そうそう、よくわかったな。あ、お前もそういうタイプか? 俺の場合、ゲームとか配信とかじゃなくて、普段の生活で演じるようになっちまったから、いつ自分が本当の自分でいられるのかわからなくなってさ。母ちゃんは喜んでたけどな、引っ越してから明るくなったって。俺、知らないうちに母ちゃんにまで演技のテンションで接してたみたいで』
「……そっか」
『っと、話が脱線しすぎたな、わりぃ。まぁそんなわけで、俺は水がダメなんだわ。水の街なんてあからさまな場所があったくらいだから、さすがに似たようなのはもう出ないだろうけど』
「それでも、海や水辺は出てくるかもしれないからね。言ってくれてありがと、バレない程度に上手く誘導するよ」
『助かる。あ、でも無理な時はいいからな? ハイデみたいにアレルギーって程ではないからさ、別に死にはしねぇし』
「トラウマは心が死ぬよ、無理はしないで」
『おうよ。さてと……軽くシャワー浴びて準備するかね』
「もうそんな時間か、僕も準備しようかな」
『ん、聞いてくれてありがとな。まだちょっとわかんねーけど、なんとなく素のままで話せた気がして楽になった』
力なく笑ったクロの声に、もう震えは感じなかった。
『もし……もしお前も誰かを演じてる時があるなら、本来の自分を見失わないようにな。そのままでも受け入れてくれる世界が、きっとあるから』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます