ロベリアという少女
第29話 7-1ロベリアという少女
「あれ、ロベリアだけ?」
ジャンの言葉に、ロベリアが頷く。
『三人はまだ来てない。助かった。ハイデ、喋れないから』
名指しされたハイデは、小屋の片隅で本を読むのに熱中していて気づいていないようだった。
「あれは?」
『クロがドロップアイテムから渡したもの。魔力はないただの書物。ユニークアイテム』
ハイデに目をやりながら、ロベリアのすぐ隣へ腰を下ろす。嫌がられるかとも一瞬考えたが、どうやら嫌ではないらしい。壁に背を預け膝を抱えているロベリアは、冒険手帳を開きマップを眺めている。
『……ジャン』
「ん?」
『クロックのアカウント、ないんでしょ』
唐突に振られた話題に、一瞬固まる。
「あ、あぁ、ないよ。原因はまだわからないんだけど、返事待ちしてるとこ。随分前の話だけどな」
先に真実が出てしまい、咄嗟に嘘を吐いたところ矛盾が生じてしまった。ロベリアは知ってか知らずか、気にしている様子はない。
アウルの存在を知らないだろうと安心しきっていたが、どこでバレるかわからない。思えば、話題に出なかっただけで、本当は知っているかもしれないのだ。
『あたしもロックされたの。でも、理由はわかってる。ママのせい』
「お母さん?」
『そう……あたしが学校に行かないのは、クロックのせいだと思ってる。典型的な、自分の姿が見えていない大人』
ロベリアは相変わらず抑揚のない喋り方だが、言葉の節々にいつも以上の棘を感じる。
『学校に行ってない事すら、最近まで気づかなかった。ママはずっと仕事だから。学校から連絡が来て初めて、あたしがずっと行ってなかった事を知った。何も知らないくせに、知ったような口で言う。親っていう肩書なんか、建前でしかないの』
「じゃあ、本当の理由は?」
『…………聞くんだ?』
はっとした。なんとなく許される気がして踏み込んだものの、どこまで立ち入っていい話なのかわからない、とてもデリケートな問題だった。ゲームとは関係のない、外の、現実世界での話。【ロベリア】を動かしている、少女の人生。
「ご、ごめん」
『いじわるしただけだから、いいよ。……学校なんか行っても、楽しくない。面倒』
「やめちゃうってのは、難しい?」
『義務教育はやめられない』
その言葉に一瞬だけ固まる。
「失礼ついでに聞くけど、いくつ……?」
『じゅういち』
言葉に詰まった。どうせ見た目と声が幼いだけで、動かしている人間はもっと大人だろうと思っていた。声色こそ子供だが、ボイチェンがなくとも自力で声を変えられる人間を、アウルは身近に知っている。だからこそ、その類だと思っていたら、本当に少女だった。
『学校はね、模範的な人間を量産する工場なの。国語や算数の内容なんかどうでもよくて、それがどこまで当たり前に取り組めるか、皆と一緒に進めるか、そういう場所』
この口ぶりからも、とても子供とは思えない。
『知らない事を知る場所、出来ない事を出来るようにする場所、いろんな考え方があると思う。それは否定しない。けれど、出来て当たり前だと思い込ませて、出来ない子を追い詰めるような今のシステムが、あたしは嫌い』
「そっか……なんとなく、わかる気がするけど」
『病気じゃなきゃ学校に行くのが当たり前、だから先生も、そんなに仲良くない子達も、早く学校に来てねなんて言うの』
「義務教育は……まぁ……」
『義務教育……考えてもみて? 子供には、学校に行く権利がある。親は、学校に通わせる義務がある。この時点でおかしい。片方が義務になっている以上、子供の立場で学校に行く権利を使うか使わないか、その選択が出来ない。望んでいなくても、ママはあたしを学校に行かせなきゃいけない。それがママの義務だから』
何も言えなかった。
ジャンもまた、学校という場所が嫌いで仕方なかった事を思い出す。どれだけ居心地が悪くても、実家にいる方がよほど気が楽だった。
しかし、義務教育を終えて時が経つほど、その時の記憶は薄まっていく。喉元を過ぎればとは良く言ったもので、終わってしまえばそれが良くも悪くも思い出に変わる。そして同じように、学校には行っておけ、という立場になっているのだ。自分だって。周りの理解がなかった事が追い打ちになっていたのに。
「あたしが学校に行かない理由が、欲しかったんだと思う。だから、クロックのせいにした。あたしがどの程度の知識を持っているかなんて、ママは気づかない。今でもこうしてゲームにログイン出来るのは、ママがそれだけあたしの事を知らないから。もう帰ってきてる時間だけど、部屋で静かに寝てると思い込んでる。おかしいでしょ、あたしがママのカードをいくら使っても、気づきもしない」
フローワールドにログイン出来るのは夕方六時から午前三時までの九時間。全員が揃うのは夜中で、さらにこのゲームに参加できるのは、決して安くはないデバイスの所持。なおさら子供が混ざっているなんて、思いもしなかった。
『クロックに戻らなきゃ、あたしの居場所はどんどんなくなっていく。似た境遇の友達が、きっと待ってくれてる』
意味もなく指先でマップをくるくる回していたロベリアの目に、うっすらと涙が浮かんで見えた。
「他に、居場所が見つけられたら楽なのにな」
ジャンの言葉が、ロベリアに対してのものなのか、自分に対して言った言葉なのか、ジャン自身にもわからなかった。
ジャンにとっても、クロックこそが唯一安らげる場所だった。顔の見えない、素性も知らない関係性が一番心地よく、信用できた。いや、信用できないのが当たり前の世界だからこそ、安心して人を疑い、裏切られても諦めがついたのかもしれない。そうやって弱い自分の心を誤魔化してきたのだろう。
『ジャンは、人を追い詰めたりしないでね』
唐突な言葉に、返事が出来ない。その意図がよく見えなかった。
『自分が知っている事が全てだと思わないで。NPCと違って、関わっていない間もそれぞれの人生を生きている。そこに年齢なんて関係ない。子供だから、女だから、そういうのは区別にも差別にもなりうる』
ロベリアの言葉が重く圧し掛かる。何も言えず、ただ横に座っているロベリアの頭を撫でた。嫌がる素振りはない。冒険手帳を閉じ、抱えた膝に頭を乗せ素直に撫でられている。
『みんなの前ではしない方が良い、特殊性癖だと思われる』
「お、おい」
『冗談。ハイデ、そろそろ皆が集まる。本、仕舞って』
ロベリアが声をかけると、ハイデは顔を上げ微笑み、本を閉じた。
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