彗星の魔法使い:急



 二人が共に暮らし始めていよいよ百日を迎える日の前夜、テラが星見台で夜空を駆ける彗星を眺めていると、メルがどこかよそよそしく話しかけました。


「どうしたメル、君も彗星を見に? あれって君が乗ってた旅星だよね? いつまで見えるの?」

「それについて、ずっと話さなきゃって思ってたことがあって……」

「話さなきゃいけないこと?」

「うん」


 メルは抱えていた秘密――自らと彗星の秘密をテラに明かしました。

 それはメルが旅を終えてから百日を迎えるまでの間、他人の命に干渉してはいけないということ。

 決まりを破った時、再び星渡の旅に出なければいけないこと。

 そして未だ夜空を駆ける彗星はその時の為に留まっているということ。

 それが星渡の一族として旅を終える為の約束でした。


「星の海に戻るの?」

「ううん。このまま朝を迎えれば、旅星は私を置いて旅立っていく。次に旅星がこの星に戻って来るのは何十年、何百年、あるいは何千年後……」

「じゃあこのまま夜空を眺めていればいいんだね」

「うん……」

「浮かない顔をしているね。もしかして、また旅したくなった?」


 テラの問いにメルはぶんぶんと首を横に振ります。


「私はここでみんなと……テラと暮らしたい」

「そっか。安心したよ」

「え?」

「僕も君と過ごす日々が楽しくてね。出来ることなら、まだ君の側に居たいと思ったから。それにまだまだ教えたいこと、見せたいものも沢山あるし」

「……うん」


 二人は優しく笑い合い、輝く夜空を見つめました。

 このまま夜を過ごせばやがて旅星は見えなくなるでしょう。

 どちらからともなく手を握ったのは、テラとメルの想いが一つとなった証――この先も一緒に居たいという想いの表れ。

 二人はそう強く願い、それが叶うと信じたのです。


 テラの耳に大地の声が届いたのは、そんな時でした。

 それはこの土地に来る前にも耳にした叫びでした。


「大地の悲鳴? まさか……!」

「テラ?」

「伏せて!」


 次の瞬間突如大地が大きく揺れ動き、そして轟音が幾度も響き渡りました。


「いったいなにが……?」

「そうか、大地が訴えていたのはこれだったのか」

「テラ?」

「あれだよ」


 テラが指差す方角にあったのは頂から巨大な火柱を噴き出す東の山の姿でした。

 溢れ出る炎の波は斜面を滑り、その矛先は村を向いていました。


「このままだと村が火の海に飲み込まれる」

「そんな……」

「君は村の人達を丘に避難させてくれ」

「テラは、どうするの?」

「僕はあれを止める。皆を頼むよ、メル」

「テラ!」


 メルが呼び止めようとする声も聞かず、テラは魔法で空へ飛び立ちました。

 目指すは炎の波際。それは魔法使いといえど、死地へ赴くのと同義でした。






「大地よ! 我が意思に応えよ!」


 テラは魔法で大地を盛り上げ、土壁で炎の行く手を遮ります。

 しかし炎は立ちはだかる全てを瞬く間に溶かし、勢いを弱めません。

 負けじと土壁を作り続けるテラですが、徐々に迫る炎の熱が彼の体を焼きはじめます。大地の力は膨大でもそれを操るテラの魔力は有限です。

 全てを溶かす死は確実にテラへと迫っていました。


「やはり、厳しいかな……」


 テラが死を覚悟した、その時です。


「テラ!」

「メル!? 来てはダメだ!」


 メルもまた魔法で空を飛び、テラの許に駆け付けたのです。

 テラにとってそれは誤算でした。何故ならメルが使は目に見えているからです。


「テラは死なせないっ」


 メルはテラの背に手を添え、目を瞑って静かな祈りの歌を口ずさみます。

 すると星空から数多の光が降り注ぎ、全てがテラの体へと流れ込んでいきます。

 それは彼女の魔法――星の力を他者に与える歌でした。


「僕だって……メルを死なせるわけにはいかないんだ!」


 星の力を受け取ったテラは体から膨大な魔力を迸らせ、それを大いなる魔法へと転化させます。


「大地よ! 我が願いに応えよ!」


 テラが新たな魔法を唱えた瞬間、大地の至る場所に裂目が生まれました。

 生まれた裂目は地の底を流れる大量の水を噴出させ、さらに大きな生物の様に動かして炎の波にぶつけます。

 水達は炎の上に覆い被さり、蒸気に変わりながら炎を次々と黒い岩へと変えていきました。

 さらに勢いを増す水はそのまま山の頂へと登り、火を噴き出す口に蓋をして、やがて全ての炎を岩へと変えました。

 こうして、死が村に辿り着くことはありませんでした。

 テラとメルの魔法が村と人々を救ったのです。




――しかし、夜明けの兆したる陽の光が微かに見え始めた時でした。


「メル! 体が……!」


 突如として、メルの体が光に包まれ始めたのです。

 それは人の命を救ったことでメルが受ける罰の証でした。


「そっか。旅星は許してくれないんだね」


 メルは再び星渡の旅に出ようとしているのです。それはテラとの長い別れを意味します。

 それでもメルは、テラの命が救えたなら良いと思っていました。

 そしてテラもまたメルが駆けつけた時、この結末を予見していました。

 しかしテラにはそれが許せません。この星を旅していないメルが再び星の海へ旅立つことを。


「……星よ。我が願いに応えよ」

「テラ? なにを……?」


 テラが魔法を使うと、忽ちメルを包む光が全てテラへと流れました。

 そして光を帯びたテラの体は足先から光の粒となって、夜空の彗星へと導かれていきます。

 テラが使ったのは星の力を得たことで成し得た、身代わりの魔法でした。


「テラ! そんなことダメ! これは私のっ……」

「メル。君は十分星の海を旅してきた。そして僕も、この星を長いこと旅してきた。でも、この星はきっと星の海とは比べ物にならないほど素晴らしいもので満ちている。それを君は知るべきなんだ」

「そんな……テラ! 私はテラと、あなたと一緒がいいの……!」


 メルは瞳から涙を溢れさせ、切なる想いを縋る様にテラへとぶつけます。

 この別れが悠久の如き時間に及ぶと悟っているからです。


「メル。君に僕の名前をあげよう。今日から君はメル・アイヴィーだ。これで君は老いることなく、その命を好きな時に終えることが出来る」

「テラ……?」

「僕の旅の終わりを待ってくれるなら嬉しいけど、それがいつになるか分からない。だからこの星を飽くまで旅して、色々なものと出会って、そして満足したその時は天に帰りなさい」

「そんなの、無責任だよっ……」

「そうだね。ごめん。でも君に知ってほしいんだ。この星の素晴らしいものを」


 テラはメルの体を優しく包み込み、メルはテラの体を強く抱きしめました。

 初めて交わした抱擁。二人は互いの想いを肌に伝わる熱と高鳴る鼓動で初めて知りました。

 しかしテラの体は彗星に導かれ、星屑となって空へと昇っていきます。


「メル。君と出会えて本当によかった」


 その言葉を最後にテラの体は見えなくなりました。

 メルは天を仰ぎ、彗星に向かって叫びます。


「テラ! 私も……あなたと出会えてよかった! 私は、私はあなたのことが――」


 メルの言葉の終わりを待たずして朝日が昇り始め、夜明けと共に旅星は夜空から消えていきました。

 あとに残ったのは、陽の光に照らされて一人立ち尽くす少女の姿だけでした。






「テラ。私、待ってるから。ずっと、ずっと――待ってるから」


 メルは目尻に溜まった涙を払い、大地を歩き始めます。

 決して忘れることのない決意を胸に抱いて。


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