アイカツ!登山話「プロと納期」
「ムーブ、オン、ナ……うわっ!」
まずは最初の一歩、と岩壁にかけた右手がいきなり外れ、崩れ落ちてきた小石の数々が男の頭に降り注いだ。
「うへぇ……よくこんなところ昇るよなぁ、いちごちゃんは」
髪についた砂ぼこりを手で払いながら、立ちはだかる巨大な壁を見上げた。
ここはエンジェリーマウンテンの麓。
社の命令により、この山の頂上を目指す彼だったが、その垂直に切り立った崖を前にして、早くもこのルートを断念せざるを得ない事態を迎えていた。彼はポケットからスマホを取り出し、アドレス帳を開いた。
「……もしもし? 佐山です、お疲れ様。崖ルートはとても無理だね。念のためにもう一度訊くけど、そっちはどう?」
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動かないエレベーターの前で待機する同僚が、その電話に応えた。
「あっ、田崎です。おつかれさまです~。こっちのエレベーターッスか? いやぁ、ずっと停電したままですよ。それどころか、天気予報じゃもうすぐ荒れるらしいですし、断線の復旧は当分無理じゃないかと。……ええ、あとは加藤さんにお任せするしかないですけど、大丈夫ッスかね? 電話もとっくに圏外みたいで繋がらないですし……」
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「ぶぇっくしょん!」
そのくしゃみは、人の噂のせいか、それとも先ほどから急に下がり始めた気温のせいか。森の中をさまよう加藤は、ひとり道なき道を進んでいた。
「本当にこの方角で合ってるんだろうな……?」
心配になった彼は、肩下げ鞄の中から一枚の地図を取り出して、じっと細目で睨みつけた。その用紙はいたって普通のコピー紙だったが、プリントされた地図は随分と古いもののようだった。それは、スターライト学園の図書館から出力してきた、二世紀近く前のエンジェリーマウンテン周辺の地図であった。
「うーん……このまま真っ直ぐ……真っ直ぐ………………おっ!」
突如その森が拓け、目の前に巨大な岩壁が現れた。エンジェリーマウンテンの西側に出たのだ。
「ははぁ、なるほどね」
その岩壁は、かつて星宮いちごが昇った東側のように切り立った崖ではなく、比較的緩やかな斜面や複数の段差の組み合わせによって構成されていた。加藤は、わずかに笑みを浮かべて古地図に目を落とした。
「大昔の地図とはいえ、地形はそうそう変わらないもんだからな」
これなら登れる、そう思った。
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「くそ、昨日の予報じゃ晴れるって言ってただろ……!」
おそらく、晴天ならば問題なく登れたのだろう。しかし、季節外れの猛吹雪により、今や周囲の景色は白一色。スマホへ電波の届かないルートを進んだ加藤に、突然の荒天予報を知る術はなかった。足を止めている間にも体温は下がり続け……徐々に両のまぶたが重みを増してくる。
(このままじゃ……まずい……)
ぼやける意識をかろうじて保ちながら、方角もよく分からないままに重い一歩を踏み出す。だが、前進しているかどうかの感覚もあやふやだ。果たして自分は前に進んでいるのか、後退しているのか、それとも立ち止まったままなのか……それすらもわからない。その極限状態の中で、ふと、耳元で何かが囁いた……気がした。
”こっちだよ”
半ば無意識のまま、声のする方へ足が向かう。
”こっちだよ”
”こっちだよ”
繰り返すその言葉を追いかけているうちに、突然ハッと意識が戻った。……暖かい。……吹雪もない。だんだんと目が慣れてくると、周囲がごつごつとした岩の壁に囲まれていることが分かった。そこは、エンジェリーマウンテンの中腹に空いた洞窟の中だった。外からわずかに吹き込んでくる雪が、そのまま上空へと昇っていく。見上げると、はるか上方……螺旋状に続く坂道の先に、ぽっかりと空いた出口らしき横穴が見えた。さっきの声が一体なんだったのかは分からない。だが、この道を行けばきっと山頂へたどり着けるに違いない。その希望が、加藤の足を再び前へ前へと突き動かした。
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「ふう、やっと吹雪も止んだか。ちゃっちゃと木から雪をどけないとなぁ……うわっ!」
手入れを始めた庭木の間から、突然、薄汚れた男性が顔を出したのだから、天羽邸の庭師が驚いたのも無理はない。
「あんた、一体どこから……?」
「お、驚かせてすみません。洞窟の出口が、このお屋敷の庭に繋がっていたようで……。あ、わたくし、こういう者です」
加藤の上着は雪と泥にまみれてすっかりボロボロだが、金属製のケースに入ったその名刺は無事だった。
「ふむ……株式会社ダンダイ、商品開発部……。ダンダイと言えば、たしか老舗の玩具メーカーでしたかな?」
「ええ、よくご存じで。実は最近、アイドルのグッズなども手掛けておりまして。今もアイカツドールという商品の企画を……じゃなくって、今度開催される『大スター宮いちご祭り』で販売するグッズ制作のために、ぜひ天羽先生にご協力をいただこうと思い、こうしてお願いに上がった次第です」
なんとまぁ、と庭師は驚いて口を開けた。
「停電でエレベーターが使えない上に、先ほどまでの猛吹雪。よく無事にここまで辿り着きましたねぇ」
「いや、自分でも不思議なんですが、何かの声に呼ばれて……いつの間にか」
それを聞いて、庭師は少し真面目な顔つきで話し始めた。
「それは、もしかしたらこの山の神様かもしれませんね」
「……神様?」
「ここには昔から人々を導く神様が住んでいると言われているんです。今から180年前に天羽由宇一郎が起こした、この『エンジェリーシュガー』というブランドの名前も……直訳では『天使の砂糖』ですが、本来は『神霊の伝令』を意味しているんです」
「神霊の伝令……」
加藤はゆっくりと頷いた。不思議な話ではあるが、実際にそうと思える体験をした彼は、それを素直に受け入れることができた。
「なるほど、なんだか納得です。……ところで、さっきのお話の続きですが」
「ええ、エンジェリーシュガーのミューズである星宮さんのファンのためなら、きっと天羽先生も喜んで協力してくださると思いますよ」
「それじゃあ……!」
「……ただ、実は今、先生はその『大スター宮いちご祭り』のための新作プレミアムドレスの制作で根を詰められてしまい、ずっと部屋に籠られたままなんです。私も心配ですが、ぎりぎりまで集中の邪魔はしたくありません」
「えっ」
加藤は頭を抱えた。彼が請け負った指令……それは、ライブのグッズ制作に必要な「イベント当日に星宮いちごが着る、エンジェリーシュガーの新作プレミアムドレスを撮影してくること」だったからだ。
「い、一体、いつ完成する予定なんでしょうか……?」
そう問うてはみたものの、返ってくる答えは分かり切っていた。それでも、訊かざるを得なかった。
「天羽先生はプロですから、おそらく納期ギリギリまで最高のクォリティを目指されることでしょうね」
……まいった、それではグッズ制作など到底間に合わない。ここまで来て、手ぶらで帰ることになるのか。加藤の頭に、この指令を下した「グッズ担当」の言葉が蘇る。
”もし、いちごたんがその日に着る新しいドレスのグッズがすぐに手に入ったら、きっとステキなのです! らぶゆ~!”
その気持ちは加藤も同じだった。ファンの喜ぶ顔が見たい。彼らが迎えるステキな明日に、少しでも彩りを添えてあげたい。だが、自分にできることは、もう何もなかった。自分の無力さに打ちひしがれた。その姿が、庭師にある決断をさせた。
「天羽先生はプロです。そして、あなたたちもプロだ。……これを持って行ってください」
「……えっ、これは」
庭師が差し出したもの……それは、今まさに制作の真っ最中であるプレミアムドレス、リラフェアリーコーデのデザイン画だった。
「いいんですか、こんなものを預かっても……」
「ええ、きっと天羽先生なら快く了承してくださるはずです。……私も先生も、あなたたちの作るグッズを楽しみにしていますよ」
「あっ、ありがとうございます!」
加藤は深々と頭を下げると、手にしたデザイン画を大切に抱えながら、晴天のエンジェリーマウンテンへと飛び出した。
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大スター宮いちご祭り、開演一時間前。
これから始まる一大イベントに、全国から集まって来た数千人の観客たちは期待と興奮を抑えきれず、会場のスターライズスタジアムの内外を問わず早くも大きな盛り上がりを見せていた。その中でも、特に賑わっていたのがイベントグッズの物販ブースだ。北大路さくらがプロデュースしたパンフレットを中心に様々なグッズが飛ぶように売れていたが、その中でも一際注目されていたのが。
「わっ、このドレスラバーチャームなに? 見たことない!」
「どれ~? えっ、本当だ知らない……。もしかしてこれ、今日お披露目になる新作ドレスじゃないの!?」
グッズリストから目ざとく”それ”を見つけたファンたちの間から、驚きと喜びの声が上がる。そして、それを遠目で見つめる男たちがいた。
「いやはや、間に合ってよかったですね。さすが加藤さんですよ」
「いや、佐山お前が現場と最速・確実に繋げてくれたからだよ」
「本当、加藤さんも佐山さんもすごいッスね! 俺も協力できて鼻が高いッスよ!」
「お前はエレベーターの前でボーッとしてただけだろ」
「えぇ~……」
今、様々な人々の想いを乗せて、大スター宮いちご祭りが始まる。
きっと、この先には素敵な明日がある。
そう確信する三人だった。
-おしまい-
(補足)
『アイカツ!』第9話 9分34秒~
『劇場版アイカツ!』47分~
を、コマ送りや一時停止でよく見てみてね。
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