第七章 そこにいる猫

第42話夜明けの時

凶星から放たれた光の矢は、間違いなくこの俺を射抜いたはずだった。

だが、俺は不思議な力の中にいた。しかもその矢と共に甦ってきた数々の出来事。


――お前か、アキハ。まさか、お前だったとはな……。なぜ、黙ってた?


(そうですね、兄様あにさま……。断片的には思い出していましたけど、完全に思い出したのは、ほんの少し前です。彗星が近づいてきたから。置いてきた記憶が戻ったみたいです。でも、覚えてる? あにさま。シロさんが言ってたでしょ? 千年守護獣が一つだけ願いをかなえてもらえるって話。あれ、本当なの。ただ、管理者の承認が必要なだけ。言ったでしょ? 私はクロのお目付け役だって)


――なんだと!? そんな話、あの化け猫二千年守護獣どもは言ってなかったぞ? それに、願い俺の願いに承認が必要なら、何故お前があの時に来た? 順番がおかしいだろ? あと、その話の仕方。秋葉もみじとアキハが混じってるぞ? 大丈夫か? 本物か?


(大丈夫だよ! 本物だよ! まだ、しっくりこないだけだよ! それに最初の答えは簡単だよ、私が願ったことが現実になっただけ。まだ、クロの願いは叶えていないよ。管理者としての記憶も戻ってるから、間違いないよ)


――なんだ? そのお前の願いは? それに、結果的には俺の願いはかなってるんじゃないか? 今までわからなかったのは、不思議だが。


(ふふ、ないしょ。それより、今はしずくの事じゃないの? 守るんでしょ? 千年守護獣のクロ)


――そうだな。まずはあれを片づけるか。感覚を同調させて、全て見てろよ、アキハ。今度こそ、俺は約束を守る。その最後の一太刀を見逃すなよ。

(うん。頑張ってね、クロ。色々わかって、今までの私じゃないみたいで混乱するけど、今の私は全部わかるよ)


笑顔のアキハに、秋葉もみじの面影がかさなった。

千年生きた俺は、秋葉もみじに会う事を願っていた。

だが、千年守護獣である俺の願いよりも、秋葉もみじの願いが優先された。


という事は……。


千年守護獣の願いを叶えているのは猫神だという事か……。

そういえば、化け猫二千年守護獣ども……。全員猫だったな……。


その瞬間、不思議な力は終わりを告げる。


目の前には、不敵に近づいてくる奴が、凶星が集めた禍々しい邪気を受けて、ますます黒く光っていた。



***



ますます黒々とした大男病魔が、クロに向かって不用意に近づいてくる。矢が刺さってから、それほど時間はたっていない。


凶星ハレー彗星の光の矢を、クロへの攻撃と勘違いしたみたいね)

(確かにそう見えるかもしれない)


でも、元々凶星ハレー彗星は猫神様の住む世界。その末裔として地球に来た猫目一族の魂を持つ者に、危害を加えるわけがない。


(ちょっと早いけど、あれは猫神様からの贈り物)


前回の来訪の時は私の願いをかなえてくれたから、同じような兄様あにさまの願いは保留された。


(妹としてではなく、生まれ変わって兄様あにさまと過ごしたい)


それが、この世界地球に帰るときに願った私の願い。

あの日私が死んだ日を境に、兄様あにさまは守護獣として生きていた。


私が最後に言い残した言葉を守り通してくれた。生まれ変わった姿で、千年間生き続けてくれていた。だから、私も生まれ変わりたかった。


(そんな私の願いを、私が地球に帰るときに、猫神様はかなえてくれた。しかも、私と兄様あにさまの記憶を凍結して)


だから、兄様あにさま……。いいえ、クロの願いもきっと叶う。


だって、今のクロは完全に記憶を取り戻してるのだから。


黒々とした大男病魔が、力任せに振るう上からの重たい一撃。

それを巧みに刀を傾けることで、刃のいく先をずらしている。しかも、ほんの少し重心が逸らした方に傾く瞬間に、大男病魔の刀をなぞるようにしながら攻撃する。


当然、大男病魔は上体を逸らしてそれを避ける。でもそれは、下半身を残したままの回避。

だから、そこに隙が生まれていた。


それを逃すクロじゃない。


切り上げた刀は右手に任せ、その弧を描く動きを体がなぞる。

上体を逸らした大男病魔の無防備な腹部に、クロの蹴りがさく裂した。

思わずよろける大男病魔


当然、そこをクロは見逃さない。


その瞬間に、クロは素早く回転して着地する。猫ならではの身のこなしと、剣術を極めた者の動きが合わさった、クロだけにしかできない動きを見せる。


しかも、素早く駆け抜けるクロ。

すれ違いざまに、大男病魔の胴を両断する。その瞬間、刃からでる青白い炎を極大にして。


青白い炎で焼かれる二つの大きな塊。


だけど、切り離された大男病魔の体は、互いに引き合うように集まり繋がる。

そして何事もなかったかのように、またクロに攻撃してきた。


さっきから、それが繰り返される。邪気の多さが大男病魔に味方する。無限ともいえる力が大男病魔には注がれている。


それに対して、クロは確実に消耗している。その姿も、少し小さくなっている気がする。


『人型は消耗が激しい』

それは、体力だけでなく、力そのものを失っていくもの。守護獣としての力のすべてを顕現しているから。

このまま力を使い続けると、やがて人型を維持できなくなる。そして、クロはただの黒猫になってしまう。


このままじりじり戦い続ければ、やがてクロは負けてしまう。


大男病魔がその事を知っているとは思えない。でも、大男病魔は確実にそういう戦い方をしている。

そして、この黄昏の世界に大男病魔は夜空を呼び込んだ。


(でもね、ハレー彗星を凶星と呼ぶ時代はとうに終わっているの。流れ星に恐れを抱いた時代は終わり、今は願い事をする時代だよ)


ただ、人の願いは利己的なものが多い。中には排他的なものさえある。そして願いは全てかなうわけじゃない。


(願えば、願う程、それを叶えたい欲望が出てくる)

(叶わない願いに、恨みがでる。妬みが出る。憎しみが募る)

(それが邪気を生んでいく)

(だから、彗星には邪気が集まってくる)


しかも、猫神様はおっしゃっていた。


『生きる上で、欲望は必要なものだ。でも、それを制御コントロールする術が人間は未熟なのだ』と。

私のような魂憑姫たまよりひめの存在は、かつてはそれを教え導く存在だったみたい。


(でも、人の世には世俗の導き手権力者たちが出て来てしまう。そんな人達にとって、神の存在は邪魔になったようだった)


全てはそれが始まりだという。

権力者たちは、時間をかけて真実を少しずつ塗り替えていく。特に猫神様は七十六年に一度しかやってこない。しかも、彗星の姿は見慣れている星とは違っている。


みんな初めて見る人ばかり。

初めて見るものに対しては、恐怖するのが生き物としての感情。


だから、人の世の権力者たちが口伝を操作するのも簡単だった。


(口伝の記録が終わりをつげ、木簡や竹簡に置き換わっていく。そうなると、里そのものをつぶしてその存在を消していった)


そうやって、権力は真実に蓋をする。人が人を支配しやすくするために。


――うるさいぞ、アキハ。頭の中でいろいろ考えているつもりだろうが、全部こっちに聞こえてる。見てろと言っただろ! 黙ってろ!


(もう! 昔の兄様あにさまはもっと優しかったよ!)


――昔は昔、今は今。お前だって、昔はもっと俺のいう事をおとなしく聞いてただろ。それに言ったぞ? 今の俺は千年守護獣の黒猫のクロ。猫目九郎という名はすでに捨てた名だ。そしてこの千年、俺は待っていた。ここで言うのもなんだが、俺はすでに満足してる。まあ、欲を言えばお前とのんびり過ごしたかったけどな。いや、もう一つ言えば、未知のフカフカも堪能しておきたかったか?


戦いながら、クロは楽しそうに笑っている。そんなクロを見守るように、彗星は輝きを増している。


(もう、無茶苦茶だね……。何言ってるかわかってないよね? でも、クロらしいよ。この百年以上、私は一緒に過ごせたから満足しているけど、その欲は認めてあげる)


――それは、どれだ?

(しらないよ)


彗星が輝きを増している。その輝きが、周囲に漂う暗闇を一層深く感じさせる。

その暗闇から、邪なものを引き出す大男病魔

それを切り刻むクロ。


もう何度目かわからない程、大男病魔は両断され、切り刻まれ、燃やされている。

そして、優勢に戦っていても、クロはどんどん小さくなっていく。


でも、クロにあきらめの意志はない。クロはちゃんと知っているから。


この世界を作っているしずくの意志もここにある。

ちゃんとクロが勝つことを信じている。

『生きたい』と言った、しずくの言葉がここにある。


だから、クロは自分の勝利を疑っていない。


(この黄昏の世界に、夜空を呼び込んだのは失敗だったね)


止まった時間が動きだし、黄昏たそがれの時が夜になる。

なら、その次が来るはず。


ここで使うとどうなるかわからない。でも、もうクロに迷いはないし、そもそも迷ってないかもしれない。


――さあ、これで最後だ。しずく! もう大丈夫だ。お前の明日はちゃんと来る!


またも大男病魔を微塵に切り刻み、燃やし尽くしたあとに空に駆けあがるクロ。その姿はすでに元の黒猫を通り越して、黒い子猫になっていた。


禍々しい気配を漂わせながら、なおも再生する大男病魔


その頭上で、クロの体が黄金色の光に包まれる。眩いばかりの光が、この世界を優しく照らす。


あれほどあった大男病魔の闇。病魔を包み込んでいた闇が、みるみるうちに溶けていく。

その光に照らされて……。

そしてついにその姿を見せる病魔。

その姿は、太陽の熱にあてられ溶ける雪の置物のようだった。


どんどん溶ける病魔。でも、クロが放つ光は、その輝きを増すばかり。


いつしか夜空は、金色の光で塗り替えられていく。


(見てるよね? しずく。もう大丈夫だよ。あと、みんなにも伝えておくね)


もう大丈夫だと告げたクロの声は、きっとしずくに届いたと思う。


千年守護獣が起こす奇跡の光。

まるで朝日のように、温かく輝いている。


今まさに収束するこの世界。

ここに、やっと夜明けが来たことを告げるように。


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