第40話守りたいもの(中編)

――九郎……。九郎……。


『誰かが、俺を呼ぶ声がする』


――九郎。愚かな息子よ、寝ておる場合か? 目を覚ませ。


『何だ? この聞き覚えのある声は、まさか親父おやじ殿か?』


――九郎。そなた、己の力を何とする? 己は今、何をしておる? 己は何を成したのだ? 守るべきものを守れず、猫目九郎と名乗るのか?


『うるさい。親父おやじ殿とて、肝心な時にいなくなったではないか。親父おやじ殿が消え失せたせいで、この俺が、一族がどれだけ苦労したことか。それに、アイツは拒絶した。この俺を刺し、俺が守ることを拒んだのだ』


――全て承知の事よ。絶えず見守っていたのだからな。だが、今はそれどころではないぞ? お前がどれほど気を失っておったか考えてもみよ。そして、あの子が本気でお前を拒絶すると思うか? 考えてもみよ。お前を生かすために決まっておろう? お前は鬼の姿から人間に戻っておるではないか。それが何よりのあかしだ。そして、お前のちかいはその程度のものだったのか?


『だまれ……。だまれ。だまれ! そのようなこと、言われるまでもない!』


――ならばいけ。猫目の秘法はお前が知るだけのものではないのだ。己を守護獣とする秘法とてある。それは魂を守護獣と同化させる秘法だ。お前が行ったのは、守護獣を降臨させ、その力を己のものとするものだろう。すでに、お前に力を吸われすぎた守護獣は消え失せた。もはや、鬼神化も使えぬのであろう? 今の状況ではそれでは足るまい。ならば、己を燃やせ。己の魂を賭してみよ。己の魂が失われれば、己が守護獣となるが、異存はあるまい?


『……愚問だな。親父おやじ殿よ、この俺を誰だと思っておる? 親父おやじ殿が出来たことを、この俺が出来ないと思うか?』


――それでこそ、我が息子。我ら猫目一族は猫神様の末裔。守るべきものを守る一族。守護者の血脈。守るべきものは己の魂をかけて守るのだ。すでに猫神様も御照覧だ。そして、すでに俺はお前の守護獣となっておる。今こそ、お前に施した封印を解こう。己の魂を守護獣この俺の魂と同化して戦え。あとの事、全てお前に託す。


『ああ、言われるまでもない。一族がどうのというのは、この際どうでもよい。この俺がアイツを守ると誓ったのだ。ただそれだけのこと』



***



雄達ゆうたつ様! 九郎が!」

神官のあげた悲鳴。その声の調子に、差し出した小刀をその手に持ったまま振り返る雄達ゆうたつ

そこには光の珠に包まれる九郎と黒猫の姿があった。

徐々に重なる二つの体。まるで九郎の体の中に、黒猫が入っていくようだった。


「ぬ! 面妖な! 何をしておる! 今のうちに討ち取れ!」

雄達ゆうたつの号令一下、その場にいる検非違使けびいしが抜刀する。神官も御神刀を抜き放つ。そして一斉に切りかかる。


その隙に自らは少女を抱え、九郎との距離をとる雄達ゆうたつ

最も遠い位置に少女を下したときには、すでに決着はついていた。


首のない体が、よろよろと祭壇の端に進み、そのまま下に落ちていく。


不安を伴う喧騒が、祭壇の下で起きている。


「待たせたな。さあ、妹を返してもらおう」

転がる御神刀を拾い上げ、その切っ先を雄達ゆうたつに向ける九郎。その体は淡い光を放っていた。


「おのれ、死人め! 生者の世界をもてあそぶな!」

春澄透水はるすみとうすいの式神が二体降臨する。降臨したその瞬間、式神は手にした太刀を九郎に向ける。


――静寂の雫がぽたりと落ちる。


その瞬間、二体の式神は一斉に太刀を突き出していた。


「失せろ。邪魔をするな」

ただの一振り。その一閃で、式神二体は藻屑と化す。

さらに刀を振るい、祭壇の上にいた人とモノを吹き飛ばす。


ただ、坂上雄達さかのうえのゆうたつと彼が抱える少女を残して。


何もなくなった祭壇の場で、にらみ合う九郎と雄達ゆうたつ


「妹も巻き込む剣圧を放つか?」

「お前を信頼していたよ。そこからは動かぬとな」

「余計な信頼だな。だが、この俺の周囲だけ攻撃しないというのは得策ではない。むしろ、この俺だけを攻撃した方がお前にとっては都合がいいはず」

「お前はもう、俺の敵ではないよ。あの時、お前の騒速そはや真打しんうちは鬼の体の中にあった。しかも、お前は手放したのだ。この俺が、その時に何もしないと思ったか? いかに名刀といえども、あれほど鬼の瘴気をあびればなまくらにもなる。今持っていないのがその証拠だ。もはや、あのように戦えまい? いや、もしも名刀が健在だとしても、今の俺の敵ではない」


祭壇の下はあわただしい気配が広がっていた。戦いの準備を号令する声と共に、数多くの式神が飛び上がり、祭壇を囲ってきた。


「さすがだ、九郎。だが、それはお前も同じだろう? お前の愛刀はこの祭壇の基礎として打ち付けてある。止血は終わっているとはいえ、しんぞうを一突きにされたのだ。生きておる方が不思議だろう」

「愚かなり、雄達ゆうたつ。大将軍があの世で泣いているぞ。あの刃が、鬼の心臓に届くものか。あれは、呪詛封じの御神刀だ。それすらわからぬとはな。大将軍と違い、本物の鬼と戦った事のない証だ。だが、戯言もここまでだ。さっさとここを去れ、雄達ゆうたつ


歩き出す九郎の目の前に、いくつもの式神がその行く手を遮るように立ちふさがる。

だが、九郎の歩みは止まらない。

瞬間に全て切り捨て、打ち下ろしてきた雄達ゆうたつの太刀と刃を合わせる。


「去れと言ったのがわからぬか? お前では、俺は止められん。牙の折れた飼い犬よ」

「ぬかせ!」


雄達ゆうたつが力の限り押した瞬間、九郎はひらりとその力をいなしていた。

まさか、九郎が打ちあいに応じないとは思ってなかったのだろう。

前のめりになる雄達ゆうたつ

その場に入れ替わるように、九郎がすっと少女の前に立っていた。


兄様あにさま……」

「すまぬな。俺は、諦めも悪い兄だ」

その背にそっと体を預ける少女。その声に、顔を背に向け答える九郎。


その瞬間、祭壇が大きく揺れだしていた。

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